雪は真実を隠すように降り積もり
舞踏会が始まってもノエルの姿は見当たりません。
そしてベアトリーチェもレーヴェについて何かを感じたようで――?
夕方、舞踏会が開幕してもノエルの姿は見当たらなかった。トワにだけは伝えた方が良いかとも思ったけれど、彼女は今大勢の男たちに囲まれている。というか明らかに目をハートにした騎士たちに囲まれている。その状態になぜかイラついたがそれはさておき、彼女と話を出来そうな雰囲気にはない。
ベアトリーチェも、トワと同様に何人もの男たちに囲まれていたけれど三曲目が終わったころに上手く撒いたようで、今見える範囲にはいなかった。
ノエルは一体どこに行ったんだろう。
僕が手記で読んできた過去の断片を彼には教えてあげた方が良いのかもしれない。それにオリバーさんが何らかの情報を持っていることも。そうしたら何か、ノエルの中で納得できる部分があるかもしれない。
「とは言っても、何から話すかなぁ」
オリバーさんがメイドたちに迫られ、一曲だけですよと前置きをして踊りだした。華麗なステップは相当どこかで教わってきたように見える。
オリバーさんに結局問いかけることが出来なかった理由の一つには、僕自身過去の断片を上手く処理できていないことがある。必ず■■■■と呼ばれる男の視点から手記は始まり彼の心情もまるで自分が体験したもののように感じることが出来るけれど、それはとても主観的で、過去の出来事を捉えようとすると難しい。自分が混乱半分で頭の中に入れているものを他人に話すのはもっと難しいことだった。果たしてノエルが望む通りに筋道を立てて伝えられるだろうか。
少し頭を冷やそうと思い、舞踏会の場をそっと離れて部屋を出る。するとちょうど廊下には美しい黄色のドレスに身を包んだベアトリーチェの姿があった。
「あら、レーヴェは踊らなくて良いんですの?」
「僕は元々ダンスとか出来ないからね。そう言うベアトリーチェは良いのかい? たしか、たくさんオファーしている人がいたみたいだけど」
「さすがに全員と踊ったら疲れますわ。去年も適度にこうして休憩を入れていたのです」
「……たしかに。トワの様子を見たら大変そうだったよ」
「ふふっ、そうですわね。トワは去年も人気がありましたから」
ベアトリーチェはふうっと額の汗を拭って笑顔を向けてくれた。
こうしてドレスで着飾っていると分かる。彼女のキリッとした顔立ちに甘い感じのドレス、そして桜色の巻き髪が合わさるとかなりの破壊力だ。スタイルに関してはトワよりも魅力的に見える。トワが飛びぬけているだけで、ベアトリーチェだって村にいれば求婚者が列を為すくらいまでは予想できた。
「私、貴方に感謝しているんです。トワは去年よりも大きく変化を見せましたわ。去年のクリスマス、彼女は笑顔でしたけれど今なら分かります。それは見せかけに過ぎなかったのだと。――貴方のお陰ですわ」
「そんなことないよ。ベアトリーチェだって女子同士仲良くなったんだろう? 時間の問題だったと思うよ」
「いいえ。私は巫女様やこの古城についての知識を教育され、巫女様にどのような知識を与えればよいかさえ決められていました。けれどそれはトワのことを完全に無視したものでしたの。私では一生トワの孤独に気づいてやれなかったでしょう」
「……それは仕方ないというか。僕は逆にこの古城のルールや当たり前になれるのに時間が掛かったわけだし」
別にベアトリーチェが至らなかったのではない。おそらくベアトリーチェの家が望む候補と巫女様の関係は、僕が来る前のあれだったんだろう。どちらがトワにとって正解だったかなんて長い時間が経った後、トワに聞いてみなければ分からない。
「……そう言えばさ、どうでもいいことなんだけど。ベアトリーチェの家って何て言う名前なの」
「あ、名乗っていませんでしたのね? それはごめんなさい。古城の人たちはみんな私たちのことをある意味有名人のように知っているので、あえて話す必要がなかったのですわ。改めて名乗らせていただきますわね」
ベアトリーチェは恥ずかしそうに頬を紅潮させ、姿勢を整えた。そしてドレスの裾をちょこんと持って丁寧にお辞儀までしてくれる。
「ベアトリーチェ・クレストと申します」
桜色の髪がぴょこんと揺れて、彼女が柔らかい笑みを見せる。それは言葉を失うほど美しい仕草だったのに、僕の思考は別のところにあった。
ベアトリーチェ・クレスト。
クレスト家。
それはもしかして――あの人物の家柄だったりするんだろうか。
「ねぇ、もしかしてアシュリー・クレストさんって知っている?」
「ええ、それはもう。とっても有名ですわ。何でもその方が『最初の候補』らしいですわよ」
衝撃で思わず頭を抱えてしまいそうだった。
最初の候補が、助太刀してくれたアシュリーさん、なのか。じゃあ候補が生まれたのは、あの時代ということになる。
「よくアシュリーさんのことをご存知でしたわね。私の家では有名ですけれど、他の所では全く知れ渡っていないでしょう?」
ベアトリーチェの言う通りだ。僕が住んでいた村では知名度ゼロだろうし、古城の中でもその名を口にする人はいない。ただ僕があの本で知っているだけで。
「まぁそうだね。たしかオリバーさんが口にしてたのかな。……それよりノエルのことだ。イベントが始まってからどこかに行ってしまって姿を見かけないんだけど」
ベアトリーチェは僕が慌てて話題を変えたのには気づかず、そうですわね、としばらく考え込んだ。
「たしかに私も見ていませんが、今日は城の外には出られないはずですわよ。オリバーさんが仰っていたでしょう? 今日は特別なルールだって」
「あぁたしかに。となると、ノエルは外に出たわけじゃないんだね」
「ええ。さすがにルールを破って城から離れていればトワが気付いているでしょうし。部屋にでも籠っているのではないですか?」
そう言えばトワは候補の居場所がすぐに分かると、夏に村を訪れた時に言っていたっけ。だとすればノエルがルールを破っている可能性は低い。それほど僕が心配する必要もなかったかもしれない。
「……昨日のこと、どうしましたの? あの時はトワを落ち着かせるためにああいう態度を取りましたけれど、ノエルが悪いわけではないのでしょう? 彼は言い方がきつくても決して理不尽なことを言う人ではありませんから」
何と言うか、ベアトリーチェがそこまで考えていたとは驚きだった。やっぱり心の底ではノエルの様子がおかしいことに気づいていたんだ。
「僕にだけ『巫女様に触れてはいけない』っていうルールが課されていたんだけど、僕はそれが全員にあるものだと思ってて。――それで何かノエルが急に、トワとオリバーさんが何かを隠しているんじゃないかって」
「なるほど、それで。ノエルは元々オリバーさんのことを信用していないというか、あまり気が合わないというかそういう節がありますの。きっとそれが高じたのでしょうね。でも一方で、そのルールを貴方に課した理由も分かりますのよ」
ベアトリーチェはそこで一旦目を伏せ、息を吸った。そして次にその目が僕の方を向いたとき、彼女の瞳は何かを憐れむように涙で濡れていて。
「レーヴェ、手をこちらに出してください」
突然のことに僕は理由を考える間もなく、おとなしく手を差し出した。ベアトリーチェの華奢で細い手が僕の手を包み込んでいく。それは抱擁にも似た不思議な感覚だった。
――温かい。
心の隙間を埋めていくような温もりが、ベアトリーチェの優しさが、この手を通じて伝わってくる。
おそらく時間にして数十秒。まだ握っていてほしいという心残りと共にベアトリーチェはゆっくりと手を離した。
「ふふっ、これ以上するとトワに焼きもちを焼かれてしまいますわ」
「――ベアトリーチェ、今のは?」
「ただの、おまじないです。……レーヴェ、貴方はこの城に来てから私たちのことを本当に親身になって考えてくださった。そして今もノエルのことを案じてくれているのでしょう? それは私たちにとって非常に嬉しいことです。けれど貴方一人が全てを背負う必要はありません。もう少し、肩の力を抜いてくださいな」
「そ、そんなこと急に言われてもなぁ。ノエルにとってはお節介のようなものだし」
「ノエルはきっとそう言うでしょうね。でもどこかで貴方の優しさに救われていますわ。……レーヴェ、貴方はどうなんですの。貴方の心は誰かが救えていますの?」
涙に潤んだベアトリーチェの瞳がまるで僕を試すように見つめる。
先ほどの柔らかな手の感触がまだ残っていた。僕が肩を張りすぎないように彼女がリラックスさせてくれたんだろう。不覚にも涙ぐみながら僕の手を握ってくれたベアトリーチェの姿は破壊力抜群だった。――それでも、ベアトリーチェの問いに真っ先に思い浮かんだのは彼女ではなかった。
「うん。この城に来て、誰かの力になりたいって思えて、僕は何だか誇らしいんだよ。ただ村の中で生活していただけでは絶対に抱けなかった想いなんだ」
あの時、森で彼女のことを見つけていなかったなら。
あの時、彼女の後を付いていくのを躊躇っていたのなら。
あの時、候補になることを拒んでいたのなら。
僕はこんな想いを抱くことはなかっただろう。トワのことを考えていたら心に光が差したような感覚になって。彼女が心から笑えるような未来に繋がるように願った。その想いがどれだけ僕の背中を押したか分からない。
「――そうですのね。たとえその体質上トワに触れることが許されなくても、貴方にその想いが宿っているのなら。候補になって良かったのですわね」
「……うん、そうだね。ベアトリーチェも何か僕のこと、気づいたんだ?」
「ええ、ノエルが初日から気づいていたこと――私もようやく分かったのです」
「そうなんだ。……多分今、君がそのことについて僕に伝えようとしても邪魔が入るんだろうね」
「昨日のトワとノエルの様子を見ればそうだと思いますわ。ただ、そうなのだとしたら、トワは何を考えているんですの? 貴方を候補にした意味が全く分かりませんわ」
僕を候補にした意味が全く分からないと改めて言われるとかなり胸に刺さるが、僕自身それはずっと知りたいことでもあった。何故、あの時森で一目会っただけの僕を候補なんていう役目に就かせたのか。彼女はそれについて多くを語ってはくれない。ただ「来るべき時」のためなのだと、まるで予め用意された答えのように呟くばかり。
「でも昨日、僕に事実を伝えないのはトワを救うことになるんだって言ってた。僕はそれを信じるよ。巫女様を支えるのが、候補の役目だからね」
「――そう、ですわね。トワは私にとって大切な友達ですわ。私も何があっても支えます。あぁ、そうですわ。トワを隠れさせておいて今の言葉を聞かせるべきでした。トワが『巫女様を支えるのが、候補の役目だからね』なんていう貴方の言葉を聞けば必ず可愛らしい反応をしますわよ」
「……そうやってトワをからかうのは、ほどほどにね」
「またそうやって照れ隠しをなさらないでください。あ、『巫女様』と『候補』の部分を『トワ』と『僕』に変えてくださっても結構ですわよ」
「いや、変えないしもう一度も言わないから。ほら、そろそろ部屋に戻らないと騎士たちが追っかけてくるぞ」
「――面白くないですわね。まぁ良いですわ。直接お伝えください。私はおとなしくダンスに戻ってそろそろトワを助け出しますので」
何も分かってない、と肩を落とした僕のことを横目に彼女はスッと横を通り過ぎて部屋につながる扉に手を掛ける。耳を澄ますとまだ部屋の中はダンスで盛り上がっている声が聞こえてきた。
クリスマス。
城の人々が身分を気にせず接し、白い布を外す唯一の日。そんな日が、毎日続けばいいのに。そうすればトワだって寂しい想いをしなくて済む。もしも僕が来年、この古城で暮らすことが許されなくても。
「ねぇ、レーヴェ」
扉を開ける直前、どこか緊張を帯びた声が廊下に反響した。
「どうした?」
「……貴方、本当は最初にトワに会った日、山で何をしていましたの? 私には貴方があの時失った何かを埋めるようにトワに固執しているように見えます。――トワの力になりたいというのは私も同じですわ。ただ貴方がトワのことを盲目しているのが怖いのです。……貴方が全部背負う必要はありません。もしも貴方がこの事実を知ったならその時は――私も友達として貴方の力になります」
「あ――」
僕は。
僕はあの日、何をしていた? そうだ、山菜を採りに行って――ほんとうに?
頭が割れそうに痛い。何かを思い出そうとすると思考がそこでぼやけていく。僕は何を失ったって言うんだ。
ベアトリーチェは僕の返事を聞く前に扉を開け、音楽が鳴り響く部屋に入って行った。廊下で取り残された僕は一人、荒れた呼吸を整える。
思い出さない。山菜を採りに山に入って、奥深くまで歩いて。その記憶しか僕にはない。何かを失った記憶なんて僕にはない。
ましてやトワに固執しているなんて――ない、はずだ。
「あんまりベアトリーチェに心配を掛けさすなよ。あいつは純粋で傷つきやすいんだ」
ノエルの声が聞こえた気がして廊下を見渡したけれど、彼の姿を見つけることは出来なかった。
まさか、隠れて僕たちの会話を聞いていたのか?
けれど少し待っていてもノエルが姿を現す気配はない。今日のノエルは一体どうしたって言うんだろう。
僕は諦めて予定通りバルコニーを目指すことにした。
過去と繋がる人物はレーヴェのすぐ近くにいたようです。
最初の候補。
それが示すことはつまり――あの手記の時代から古城の慣習は始まっているということ。
過去を知ったレーヴェには一体、どんな選択が出来るのでしょうか。




