その先に、こんな穏やかな日々が待っていると信じて
トワは巫女様であり、特別な存在です。けれどどこかで普通の女の子であることも望んでいるのです。
そしてレーヴェはトワに、普通の女の子のことを教えてあげたいと思っています。
それを知ることは、トワにどんな影響を与えるのでしょうか。
他人の視線から逃げるように店を出たところで、ちょっとした違和感を覚えた。トワの足取りがいつもと違うような気がしたんだ。
気になって後ろを振り返ってみるけれど、彼女は店での一件がなかったかのように涼しい表情で僕のことを見上げた。
「トワ、もしかして何かあった?」
「……特に、何も」
ふるふると首を振る彼女の仕草にまたしても違和感。それは体調が悪く、頭痛を我慢している時の僕とそっくりで。
「トワ、体調悪いでしょ。村を回るのはまた今度にして、今日はもう城に帰ろう」
「……大丈夫。まだ、ここに――」
「帰れよ」
ため息をつき、強い口調でノエルがそう言った。怒っているのではないことは、古城で暮らす内に分かっていた。最初は彼の口調にいら立ちが混じっているようで怖かったけれど、こうやって彼が口に出すのは、心配してくれている時なのだ。善意を、善意に見せないようにそう装っているのだと僕は勝手に理解している。
「……けれど、まだ」
「いいから。帰って休んだ方が良い」
ノエルがそこまで言うということは、彼から見てもトワの顔色は良くないんだろう。こういうところは僕よりも長く彼女と接しているノエルの方が分かっている。
完全に失念していたけれど、トワは今日、巫女様としての仕事でこの村を訪れていたんだ。神木の力を授かった巫女様だから出来る浄化だとか何とか。詳しい内容は教えてもらっていないし理解できる気もしないけれど、ただ彼女の不思議な力に関することなのは確かだ。きっと披露も溜まっていることだろう。
「でも――」
トワは僕たちに心配されることよりも、村の中を見て回れなくなることを気にしているようだった。悲しそうに目が伏せられ、唇が何かを言いかけて止まる。迷惑は掛けられない、とでも思っているんだろう。
「仕方ないな。レーヴェ、お前はトワと一緒に、先に村の中を回って適当に帰れ。俺はこれからベアトリーチェのところに行って、用事が済んだらあいつと帰る」
「え、でも――それじゃあ」
ノエルが本家に顔を出すことになってしまう。あんなに行きたがっていなかった場所を訪れることになってしまう。そう言おうとした僕のことを彼は視線だけで止めた。トワのためだ、とでも言いたげな様子で表情を緩める。
「そうしたらトワも少しは村の中を見て回れるだろ。相手もレーヴェなら楽しいだろうしな」
「ノエル、僕が代わりにベアトリーチェの方に行くよ!」
「馬鹿、あの家に関りがないお前が行ったって中に入れてもらえないだろ。どうせ俺は顔を出しても出さなくても文句を言われるんだ。労力は一緒だ」
そうだろ、とトワ問いかけるノエル。トワも彼が本家に行きたがっていないことは十分知っているようで、何も答えない。
しばらくするとノエルが沈黙に耐えかねて大きくため息をついた。
「だから、お前たちが気にすることはない。ほら、行って来いよ。レーヴェ、迷わずトワを城まで送るんだぞ」
ノエルはそれからトワの耳元で何かをそっと呟き、村の中心街とは反対側に歩いて行ってしまった。
ノエル、こういう所に気遣いが出来る人なんだよな。改めて自分の子供っぽさを感じて虚しくなる。
「トワ、ノエルの好意に甘えて先に帰ろう。君が行きたいなら少し村を見て回っても良いし」
「……分かりました。では少しだけ、歩きましょう」
トワは一瞬僕の顔色を覗き、中心街の方に歩き始めた。やはりトワはどこか体調が悪かったのか、早めに帰ることには反対しなかった。ただ今回は候補が一緒に行くのだからと断ったお陰で、監視役がついていない外出――トワにとっては珍しい機会でもある。出来るだけその機会を存分に味わってほしいという想いは僕にもあった。
中心街は相変わらず活気に溢れている。新鮮な食材に加え、衣服や装飾品を出品する店も数多く並んでいた。
「さ、どこから回ろうか」
古城で暮らすトワは人混みといったものにあまり馴れていないのか、強張った表情で中心街の入り口から動こうとしない。手を触れることすら許されていない僕は仕方なく手招きをして彼女の半歩先を先導した。
トワの興味があることって、何だろう。
そう言えば食事は候補と巫女様で一緒になることはないから、食材の好き嫌いも知らない。服だって自由の利かない彼女のためにメイドや城の誰かが買いに行っているのだろうから、彼女の好みが反映されたものだとは思えない。彼女の趣味が反映されているものがなかなか思いつかなかった。
「トワ、君はどんなものが見たいのかな」
「……分かりません。レーベ、どうかそのまま先を歩いてください」
先を歩くと彼女のことが視界の端でしか見れないから心配なのだけど、トワが不安なんだったら、とそのままゆっくり通りを進むことにする。
行き交う人たちが何人もトワのことを二度見し、その美しさに魅了されていく。きっと彼らが目を引かれるのはその美しさだけではないんだろう。彼女が巫女様という特別な地位にあることから滲み出る、使命感や威圧感といったものが彼女の存在を特別なものにしている。一般の人々はトワがまさか森の中にある古城の最高権力者であることは知っているはずもないけれど、すでにこの通りを歩くだけで注目を浴びていた。
こんなに注目を浴びていたらトワも視線に耐えきれなくなる時は近い。仕方がない、一度店に入って彼女の年代が好きそうな装飾品でも見よう。
自慢ではないけれど、古城からは生活していくのに十分すぎる金額を受け取っている。その一部をトワのために使ってしまっても何も問題がないほどに。
「トワ、あの店を少し見てみよう」
不思議そうな表情をしながら装飾店に入る僕に付いて来るトワ。もしかしたら、トワはこういう装飾品についてもあまり詳しくないのかもしれない。本来ならベアトリーチェの方が詳しいだろうけど、次に四人で出掛けられる日もいつかは分からない。
「どうかな。きれいでしょ?」
君のような年代の女の子が好きなんだよ、とはあえて言わなかった。その事実を伝えれば彼女は努力してこの商品棚に並んだものを好きになるよう心掛けるだろう。それほどまでに今のトワには普通の女の子への憧れがあった。
「…………ええ」
沈黙が長かったせいでトワは退屈しているのかと思ったけれど、逆だったらしい。その青い瞳は商品棚の装飾品にくぎ付けになっている。
そう言えばトワがペンダントや髪飾りを着けているのは見たことがないかもしれない。
「いらっしゃい、カップルさんかい?」
四十代くらいに見える髭を生やした男が僕たち二人を見てにやりと笑った。
たしかにこんなトワみたいな美少女と中心街を歩いていたらカップルに見間違えられても仕方ないし、むしろ可愛い女の子といるだけでそう思われて幸せというか――ってそうじゃなくて。
「そうじゃないんですが。トワ、気に入ったみたいだね」
『ええ。とても可愛らしいものばかり。この村の人々はこのような装飾品を普段から着けるのですか?』
頭に響き渡る凛とした声。時々トワはこうやって頭に直接語り掛けようとする。けれどそれは意識してやっていることではないようで、すぐに焦った顔になるのもお決まりのパターンだった。逆に言えばそれほどこの店の商品に意識が向いているということでもある。とりあえずは気に入ってくれたようで良かった。
「トワにとっては儀式の時とかに使うイメージなのかな」
「そうかもしれません」
「儀式ってなんだ? あぁ、誕生日みたいなものか? お嬢さんも着飾ったらもっといい女になれると思うぜ」
店の男はトワのことを足のつま先から頭のてっぺんまで一通り眺め、裏から似合いそうな物を出してきてやると張り切って奥に引っ込んでしまった。
「……本当に、きれい。まるで吸い込まれてしまいそう」
トワが眺めているのはたしかヒスイと言う宝石だったような気がする。トワの言う通り吸い込まれてしまいそうなほど宝石の色は魅力的だった。
トワが身に付けたら、似合うだろうな。ブロンド色の髪によく映えそうだ。あぁ、彼女が身に着けるとしたらどんなものが良いだろう。ペンダント、イアリング、ブレスレット。どれも似合いそうな感じがするけれど、今一つピンとこない。それに僕がトワにプレゼントをあげるなんて初めての事なのだし、最初にあまり気張ったものをあげても重いというか――。
店の店主が持って来たものを一通り眺め、トワがほうっとため息をつく。しかし、しばらく商品を見つめたあと彼女はそっと首を振った。
「今度オリバーに頼んで買ってきてもらいましょう。レーベ、今日はここで」
「あ、うん、分かった。トワ、少し先に出ていて」
トワは後ろ髪をひかれるように店を出て行く。その様子を見る限り、商品が気に入らなかったというわけでもないらしい。もしかして、巫女様のルール上、直接買うことは出来なかったのかもしれない。
きっとオリバーさんは色々と詳しいから、トワから要請があれば好きなものを城に取り寄せることは出来るんだろう。
だけど。
「すみません、少しだけ見せていただきますね」
トワが熱心に見ていた商品の内、僕も気になっているものがあった。
海の色をした花がモチーフの髪飾り。
とは言っても、僕自身、海を直接見たことがあるわけじゃない。ただ絵画が村の教会に飾ってあって、いつも眺めていたお気に入りだった。おそらくこの森で暮らすトワも本物を見たことはないだろう。
きっと彼女の髪色に映える。それに、この海の色は彼女が望む自由を表現しているような気がするから。
「こちらを、プレゼント用にお願いします」
「了解。まったく熱いねぇ。気温もこんなに暑いのにそれ以上されるとこっちが困るよ」
「いえ、だからですね、彼女とはそういう関係じゃないんです」
「でもこれは彼女にプレゼントするものだろう?」
「まぁそうなんですけど」
「やっぱり熱々じゃないか。ほら、大事に渡すんだぞ」
店主にからかわれながらきれいな箱に包んでもらった髪飾りを鞄に入れて店を出ると、行きかう視線から目を背けるように店の方を向いて立っているトワと目が合って、思わず今買った髪飾りを鞄に隠した。多分渡すのは今じゃない方が良い。
「大丈夫ですか? 何かあれば……」
「いや、大丈夫だよ。少し店の人と話してただけ。さ、これからどうする?」
「……そうですか。ではそろそろ城に帰りましょう」
トワとしてはもう少し回りたかったのだろうけど、その意思に反して彼女の顔は少し赤い。熱があるのかもしれない。だいたい今日の気温は暑すぎてそれも彼女に良くないんだろう。
「じゃ、そうしようか。森の方が少し涼しいと思うよ」
「それを期待します」
今度はトワが先導して村の出口まで歩き始める。その様子を見ながら僕は思わず拳を握りしめた。
彼女に触れることが出来れば熱があるかどうかくらい分かっただろう。この人混みでも手を引いてあげられたはずだ。もどかしい。トワに触れられないことがこんなにも、もどかしいなんて。
城の中とは違いどこか危なっかしいトワの姿を追いながら僕は深くため息をついた。
ルールとは言え、大切な人に触れられないのはとても悲しいことですね。
この手は温もりを知るためにあるはずなのに――。




