見つけたいと願ったんだ
ノエルの話の後半です。
せめて今だけは、候補になっても楽しいこともあるんだって思ってほしいけれど――。
そんな風にノエルに願ってしまう僕は、少しずれているだろうか。
昼食の時間を控えた店内は徐々ににぎわってきていた。時折店の扉のチャイムが鳴り、その度にキッチンからコーヒーの独特の香りが漂ってくる。
「……お前は、不思議な奴だな」
まるで独り言のようにノエルはぼそりと呟いた。その視線はテーブルの上のカップから逸らされていない。――というか、考えていることを悟られたんだろうか。
「あ、え、ノエルが幸せだったら良いなぁって思ってること?」
「はぁ? ちげーよ。お前いつもそんなこと思ってんのか?」
「え? そんなわけないでしょ、あはは。あー、本家とか分家とか関係ないってこと?」
「――あぁ。正直、お前のことが羨ましい」
いつもは強気なノエルがそんな風に話すのは珍しかった。やはりベアトリーチェが本家に顔を出していることを気にしているんだろうか。
「そんなノエルに羨ましく思われるような生活はしてきたつもり、ないけど。古城では何より生活に困らないし、好きな物だって買えるし、何でなのかは分からないけど相当お金持ちだよね。僕は古城に来る前、病気がちなお母さんがいて、日々の生活だってぎりぎりだったんだ。それこそ羨ましいよ」
「……そうだな。結局はない物ねだりなんだ」
ノエルは暗い表情をしたまましばらく黙り込んでしまった。
ない物ねだり。
たしかにそうなのかもしれない。僕は安定した生活を送れることを羨ましく思った。けれどノエルは古城のしきたりと、候補として本家から課せられる重圧から逃れたいと思っている。どちらの方が幸福だなんて決めることは出来ない。
「候補って、結局何なんだろうな。何に対する候補なんだか、本家の奴らはもう分かってないのかもしれない。だって結局、今まで『来るべき時』なんてなかったんだから。実際に力を持っている巫女様がいなければおとぎ話みたいな伝統だと思わないか?」
「うん。最初に知った時、だから驚いたんだ。巫女様に――トワに候補となるための儀式をやってもらって、彼女に不思議な力があることが分かったから納得できたけどさ」
「やっぱりそうなんだな。外部から見れば、それが普通、か」
そうか、ノエルは伝統の中で生きることに息苦しさを抱いているのか。
きっと元から本家と分家の関わりを見ていて不満はあったんだろう。ただ、巫女様という権力者を前に、その不満を悟られることはあっても口に出すことはしなかった。
僕が古城に来て巫女様にトワという名前を与えた時から、その見せかけの均衡は崩れてしまっていたけれど。
ノエルにとって権力者であり、従わざるを得なかった巫女様はトワという友達になった。さらに外から来た僕が、それが「普通」なのだと言い切ってしまった。ノエルはだから余計にこの伝統への疑心を高めてしまったんだろう。僕たちを縛るこの制度は何なんだろうか、と。
トワは全て知っているんだろうか。ノエルがこの古城の制度に疑問を抱き、苦しんでいることも。来るべき時のことも。僕たち候補が何のために集められたのかも。あの古城が森の中で息を潜めるように伝統を受け継いでいかなければいけない理由も。
「ノエルはトワのことが嫌い?」
「そんなわけねぇだろ。あいつだって変なルールの中で力を持って生まれてしまった被害者だと俺は思ってる。ただ俺が嫌いなのはこのルールとか伝統そのものだ。俺たちを縛り、それがさも当たり前のように教育される本家や分家の奴ら。そしてその環境を作った古城の制度。外部から来たお前が変だと思ったもの全部、俺は一回壊してやりたいね」
「僕が驚いたもので言うと――騎士たち、とか?」
「あぁ、お前はそう呼んでたよな」
古城で初めて会った銀の鎧を着た人たちを、僕は相変わらず「騎士」と呼んでいた。僕の名称は他の候補二人のツボに入ったらしく、そのまま僕たちの中では「騎士」で通じてしまっている。二人は以前どう呼んでいたのか尋ねても何も答えてくれないのが腑に落ちない所だけど。
「ともかく、俺が本家とか制度とかにイラついていてもお前が気にすることじゃねぇし、首を突っ込むべきところでもねぇ。安心しろよ、トワに何か恨みがあるわけじゃないから」
「いや、別にそれを心配していたわけじゃ……」
「嘘つけって。お前、トワに惚れてるだろ。態度見れば分かるんだよ。長年のカンでな」
顔を上げてにやりと笑ったノエルに僕はぶんぶんと手を振って否定した。やりすぎて若干疑われる形になってしまったのは反省点だ。
「長年のカンって、君は僕と同じくらいの年齢だろ! まったく……トワのことは、何て言うのかな、恋とかじゃなくて兄になった気分っていうのか。とにかくトワに巫女様じゃない同年代と同じような経験を積ませてあげたいなって」
「ここに変人がいます。すぐに捕まえて――」
「そんな変な意味で『兄になった気分』とか言ってるわけじゃないから。とにかくトワのことを気にすることはあってもそれは、好きだってことじゃないと思うんだ」
「……などと、八月時点では語っており」
「誤解だ――」
肩を落とした僕の頭をこつんと小突いて、ノエルは「冗談だ」と笑った。
美形の彼がこうやって不意に笑顔を見せると心臓に悪いと言うかなんというか(断じて変な意味ではない。アメと鞭のようなものだ)。一瞬だけ吐く息を止めて彼の顔を見入ってしまう。
「何だ? 何か変なことでもあったか?」
「いや、ノエルって普段からその笑顔だったら絶対モテるだろうなと思って」
「古城に来るまでは愛想笑いでこんな感じだったが、たしかに女子から色々言われたな」
「やっぱり――良いなぁ」
「トワのことはタイプじゃないから安心しろ」
「いやいやだから違うって!」
ノエルは意地悪そうにふっと笑った後、少しだけ表情を硬くした。
「まずはお前の名前、早くちゃんと呼んでもらえると良いな。まぁお前がトワと結ばれるためにはそれ以前に大きな壁があると思うが。……今までのお前の様子を見ていると、本当に気づいていないらしい」
低くなった声に、一瞬どきりとした。初めてノエルと会った時も言われたことだ。
『……お前自身、気づいていないのか、それとも分かっていて黙っているのか。まぁ今は何も言う気はない。どうせ俺が分かったのなら巫女様にも気づかれているはずだ。その上で候補に選んだんだろ』
あれはどういう意味だったんだろう。特に隠し事をしているつもりはないから、僕も気が付いていない重要なことがある?
「それ、前も言ってたよね。本当に心当たりがないんだ。教えてよ、ノエル」
「はぁ。これを言ってもお前にはプラスではないと思うぞ?」
「でもこれだけ焦らされると僕も気になるし」
「……仕方ないな、言っても大声を上げるなよ?」
そんな大声を上げるほど驚くことなんだろうか。ノエルの表情がだんだん険しくなり、周囲に聞こえないようにするためか顔を近づけた。その様子を見ると、さすがに怖気づく。
やっぱりいいや、そう言おうとする口もカラカラに乾いて声が出ない。
「……お前はな――」
「ノエル、レーベ、お待たせしました」
凛と響く美声。そして四か月経った今も僕の名前をちゃんと呼ぶことが出来ないどこかたどたどしい言い方。
視線を横にずらすと、僕たちのテーブルの横にはトワが立っていた。
店の扉のチャイムが鳴ったのにも気が付かなかった。それよりも、ノエルが言い始める前にトワが店内にいたら気が付いていたと思うのだけれど。
「言わせる気はないって感じだな」
首筋を押さえながら苦々しく口にするノエル。その様子にどこかで見覚えがあった。初日、トワの部屋に案内された時のオリバーさんだ。オリバーさんも何かトワに反論しかけて首筋を押さえていたような気がする。じゃあ今もトワは、ノエルに制裁を与えたっていうのか。
「トワ、今ノエルに何したの!」
思わずトワに掴みかかるところだったけれど、彼女に触れてはいけないというルールを思い出し、更にノエルの手で遮られて僕の右手は宙を切った。
「俺がお前にこの事実を伝えることは駄目なんだってよ。トワがそう決めているらしい。それに逆らわないように制裁が与えられたってだけだ」
ノエルはさも当然の報いだとばかりにそう言い放ち、伝票を持ってレジに向かって行ってしまう。
トワが――巫女様が駄目だと思ったから、ノエルに痛みという制裁が与えられる。そんなの、おかしいじゃないか。そう思ったものの、僕の口はその意に反して動いてくれなかった。トワの表情が、普段と変わらなかったからだ。
あぁ、彼女は僕の怒りが分からないんだ。巫女様として正しいことをしたのだと思い込んでいる。
「……トワ、僕は」
「まだ知る時ではありませんから」
トワが巫女様として話すときの、どこか僕たちを突き放すような口調。トワは巫女様である前にトワという少女であり、同時に僕たちの友達トワである前に巫女様なのだった。
彼女に名前を与え、友達として四か月過ごして、彼女は見違えるほどの変化を見せた。それでも、彼女の価値観はすぐに変えることは出来ない。
僕はせめてもの抵抗として彼女の青い瞳をじっと見つめた。
「…………」
トワのことだ。僕の気持ちなんて今の一瞬で分かってしまっただろう。平然としていたトワの表情が少しだけ曇った。
「君は僕のことを想ってノエルを止めてくれたんだよね。ちゃんと、分かっているから」
「レーベ……」
気が付くと喫茶店内の視線がトワに集中していた。
一瞬、大声を出したせいかとも思ったが、彼らの視界に僕のことなど入っていないようだった。そう、誰もが一瞬見ただけで見入ってしまうその美貌――トワの存在はそれだけこの店内で際立っていた。
慌ててトワから目を逸らし、面倒なことが起きる前に、と声を掛けて店を出る。
――本当に、見た目は可憐で周囲の視線を集めるほどの美少女なのに。一体誰が、彼女にこんな巫女様という役割を与えたのか。それが神だと言うのならあまりにかわいそうじゃないか。
何だかトワとの溝が浮き彫りになった気がして、僕は震えを隠すためにぎゅっと身体に力を入れた。
ノエルはレーヴェについて何かを知っているようです。
けれどトワはそれを伝えることを赦しません。
何故レーヴェは今知ってはならないのか。そこにはトワのある願いが隠されているのです。




