6.魔王と風呂
塩の作り方を光の四天王ルミナに教えた後、俺と専属メイドのリーズは魔王城に帰還した。
「この後は如何なさいますか?」
俺の部屋に戻ると、リーズが聞いてくる。その問いに、俺は即答した。
「風呂って入れるか?」
海岸で長時間潮風に揉まれたから、髪や皮膚がベトベトして気持ち悪い。正直、今すぐにでも洗い流したい。
それになにより、勇者として旅をしていたこの十か月くらいの間はずっと魔術で汗を流すだけで風呂に入れていなかった。もっと言えば、日本での社畜時代だってゆっくり湯船に浸かれる余裕は時間的にも精神的にもなかった。
だから、久々にゆっくり風呂に入りたい!
「はぁ……? 三十分ほどお時間をいただければご用意できますが……」
「……? なら頼むよ」
俺、何か変なこと言ったかな……?
俺は、相変わらず無表情のままどこか困惑している様子のリーズに首を傾げた。
「かしこまりました。すぐにご用意いたします」
そう言ってリーズが部屋を去ってからおよそ三十分後。コンコンコン、と規則正しいノックの音が聞こえた。
「和也様。浴場のご用意が整いました」
「ああ。今行く」
俺は着替えとバスタオルを手に、扉を開けた。
***
脱衣所も結構広いな。やっぱり大人数で使う想定なんだろうな。
脱衣所には掃除用具入れのような形をしたロッカーが壁一面に並んでいて、背の低い長椅子なんかもあった。鏡や洗面台もある。
「ではわたしは廊下で待っております。何かありましたらお声がけください」
「ああ。案内ありがとなリーズ」
「いえ、仕事ですから」
リーズが脱衣所から出ていく。
「……よし。入るか!」
昨日は疲れてそのまま寝ちゃったからなー。俺はステータスのおかげでのぼせないし、思う存分浸かるぞー!
俺は近くのロッカーを開け、早速服を脱ぐ。それから腰にタオルを巻いて、浴室の扉を開けた。すると、浴室から一気に湯気がなだれ込んでくる。
この感覚懐かしいな。蒸気に肌を洗われる感覚、好きなんだよなー。
湿っぽくも温かく気持ちいい湯気を肌で感じながら、俺は浴室に足を踏み入れた。
「ん?」
よく見ると、湯気の中に湯船に浸かる人影がある。
先客がいたのか。
特に気にすることもなく洗い場に向か──おうとして気付く。
ん!?
先客の髪色は、ある人物に既視感しかない紫だった。しかも髪は後ろでまとめられているし、人影の大きさもちょうど子どもサイズ。ある可能性が頭に浮かんで咄嗟に目を逸らすが、もう遅かった。
「む?」
入り口付近で突っ立っている俺を不審に思ったのだろう。人影がゆっくりと向きを変え、その紅い双眸とバッチリ目が合ってしまった。
「魔王……」
「勇……者……? なぜ、ここにおるのだ……?」
唯一の救いは、魔王の声に羞恥心がなかったことだ。彼女はただ純粋に、俺がここにいることを疑問に思っているようだった。まあ、この状況が完全アウトなのは変わらないんだけど……。
「……あー、悪い。わざとじゃないんだ。すぐ出ていく」
俺は魔王から目を逸らし、脱衣所に戻ろうと踵を返す。すると、魔王の方から話しかけてきた。
「勇者、もしや其方も湯船に浸かりに来たのか?」
「ああ。けど魔王が入ってるなら俺は後にするよ」
「その必要はない。ちょうど良い機会だ。湯船に浸かり、語らおうではないか。其方とは一度ゆっくり話してみたかったのだ」
「えっ?」
魔王は俺に裸見られて平気なのか? まあでも確かに、魔王はまだ子どもだしなー。銭湯の混浴制限年齢よりかは上な気もするが、その感覚で言えばセーフ……か?
「本当にいいのか?」
「うむ。妾に二言はない」
「分かった。なら先に体洗ってくるよ」
本当にいいのかこれ……? でもここで強引に引き返したら俺だけが意識してるみたいになるし……。
「もう分からん! なるようになれだ」
俺は答えの出ない疑問を投げ捨て、体を洗った。それから魔王の横に近づき、片足のつま先を湯船に入れる。
本当にいいんだよな?
俺は魔王の顔色を窺いながら、恐る恐る湯船に浸かった。
生き返るぅ……!
こんな状況だというのに、久しぶりにお湯に包まれた体は自然と脱力し、湯船に溶けていく。体の芯から温まる懐かしい感覚に天を仰ぐと、隣にいる魔王が普段より柔らかい声で言った。
「其方は湯船に浸かることが好きなのだな」
「これが嫌いなやつなんていないだろ」
「どうであろうな。好みはともかく、魔族の男は風呂には入らぬよ」
「えっ!? そうなのか!?」
「うむ。其方の反応を見る限り、人族の場合は違うらしいな」
「ああ……」
これがカルチャーショックってやつかー。……あ、だからリーズも魔王も、俺が風呂に入ることに首を傾げてたのか。
「ん? ってことは魔王城には男湯がそもそもないのか?」
「うむ。風呂は妾や、城に尽くしてくれる女魔族たちが交代で使っておるぞ」
「えっ! それヤバくないか!? もし今誰か入ってきたら──」
女性陣から氷のように冷たい視線を浴びせられ、社会的に死ぬという最悪の可能性が脳裏をよぎり、全身から血の気が引いていく。風呂に入っているというのに指先が冷たい。
「安心せい。『交代で』使っておると言っただろう。妾が出るまで誰一人として入って来るまい」
「そうなのか……」
よかったぁ……危うく、せっかく手に入れた魔王城でのセカンドライフが終わるところだった。
俺は一安心し、胸を撫でおろす。もう事故らないように男湯を作った方がいいかもなーなんて思っていると、魔王は遠い目をして呟いた。
「まさかこうして勇者と肩を並べて湯船に浸かる日が来るとは……人生、何が起こるか分からぬものよな」
「そうだな。俺もこっちの世界に召喚されたばっかりの頃は魔王と風呂に入ることになるとは思わなかったよ」
そこまで言った時、ピチャンと水音が木霊した。
「……なあ魔王。俺はもう勇者じゃないし、肩書きで呼び合うのはもうやめないか?」
「それも良いかもしれぬな」
そうは言ったものの、俺も魔王も相手を何て呼べばいいか分からず、静寂が訪れた。数秒後、どちらともなく首だけを横に向け相手を見る。
「……なら、もう一度名乗っとくか。俺は雨取和也。好きに呼んでくれ」
「妾の名はノクティネル・ナイトメアだ。改めて、よろしく頼むぞ。和也」
そう言って体の向きを変え、手を差し出してくる魔王。俺も彼女と向かい合うように向きを変え、握手を交わした。
「ああ。よろしくなノクティネル。……あー、長いからネルって呼んでもいいか?」
「構わぬ。其方の好きにするがよい」
「ならネルって呼ばせてもらうとするよ、ネル」
「う、うむ……」
「ん? どうかしたのかネル? のぼせたか?」
俺から目を逸らし、心なしか顔がさっきより赤くなっているネル。彼女が歯切れ悪く返事をするのも珍しい。
本格的にのぼせてきたのかと心配していると、彼女は俺から少し距離を取り、恥ずかしそうに小さく口を開いた。
「わ、妾は大丈夫だ。ただ、思いのほか名で呼ばれることが面映くてな……皆からは『魔王』としか呼ばたことがなかったから、名で呼ばれることがこれほど照れ臭いものだとは知らなかったのだ」
「そういうことか」
確かに魔族がネルを「魔王」以外の呼び方してるとこ見たことないな。でもそれって、ネルがみんなから魔王として認められてるってことでもあるよな。
「それにしてもネルはすごいよな。その歳で魔王になって魔族のために働いて。……ネル、ちゃんと休めてるか?」
「うむ。週に一日は休んでおるよ。……そう言えば其方は、休みなく労働させられていたのだったな」
「ああうん……三年くらい」
「ふむ。其方の苦労を分かるとは言えぬが、辛かったであろうことは想像がつく。……よくぞここまで頑張った。其方のように優しく優秀な者が使い潰されずにすんで嬉しく思うぞ」
「……っ!」
ネルの言葉で、この三年間の社畜生活が初めて報われた気がして、目の奥からグッと熱いものが込み上げてくる。俺は唇を噛んで涙を堪えると、お返しとばかりにネルを褒め返す。
「ネルだって、自分が死にそうになった時も魔族のことを考えてた。それに頭も柔らかくて、敵でしかなかった俺を受け入れてくれる優しさもあって……誰がなんと言おうとネルこそ最高の魔王だよ」
そう言って俺は、衝動のままにネルの頭を撫でた。ネルの紫髪は毛布のようにサラサラで、撫でているこっちまで気持ちいい。
「なっ……!? や、やめよ和也! 妾はただ魔王として当然のことをしたまでだ。褒められるいわれはないぞ!」
口ではそう言いつつも、頭を撫でる俺の手をどけようとはしないネル。調子に乗って彼女の頭を撫で続けていると、ネルは頬を赤らめ、プイッとそっぽを向いてしまった。
「あはは……俺が悪かったって。拗ねないでくれよ」
「ふんっ! 妾は拗ねてなどおらぬわ」
拗ねてるところもかわいい……ホントこういう妹が欲しかったなー。
口をツンと尖らせたネルを眺めていると、ふとある情報が頭をよぎった。
『魔族は寿命や成長速度の個人差大きい』
……ん? あれ? ネルって本当に子どもなのか? 実は俺より年上だったり……。
焦った俺は、女性に対して失礼だと承知しながらもネルに聞いた。
「そ、そう言えば、ネルは今何歳なんだ?」
「ん? 今年で二十一だが、それがどうかしたか?」
ほぼ同い年!? じゃあこの状況ヤバくない!? だって同い年の女性と裸で一緒に風呂入ってるとか、もうセクハラ超えてるよ!
「お、俺はもう上がるから、ネルはもう少しゆっくりしてくれ!」
「いや、和也が上がるなら妾も──」
「頼むからもう少しだけ浸かっててくれ!」
「う、うむ……」
俺は半ば強引にネルを引き留める。そうして、呆気に取られているネルを湯船に残し、脱衣所に駆け込んだ。
やっぱり男湯いるなこれ……絶対ベットとか調味料とか作ってる場合じゃないだろ。明日にでも作り始めよ。




