14 悪しき怪物は迷宮に潜む⑤
「くっ……」
「アリアドネ、だったか。――あのさ、俺は、ミノタウロスの気持ちを応援してやりたいんだ」
自立うんぬんは、家族の問題だろうけど。
脅迫じみた言動で、夢を追いたい弟の道を阻むなんて、間違っているはずだ。
組みふしたアリアドネを見下ろし、彼女の言葉を待つ。
「勇者様……」
「……っ……」
ぞくり。
また鳥肌。
いったいこれはなんだろう。
「……はあん……っ」
「……え?」
今の声は、なんだろう。
気のせいか、アリアドネが身悶えたような気がするんだが。
「男の子って、どうしてこうなのでしょうっ……」
「ん?」
「私を押し倒して、地べたに這い蹲らせるなんて……! だめです。だめ。……ああでも、なんてヤンチャで可愛いの……!?」
錯覚じゃない。
俺の下のアリアドネが、もんどりうって身悶えている。
地面の上で。
ごろごろと。
「これでは……」
アリアドネは困り果てたように口元に手を置くと、ほうっと深いため息をついた。
「ああ……母性本能が、くすぐられてしまいます……。どうしようもないぐらいに……」
「……!?」
ぞわっ。
アリアドネの自愛に満ちたその声を聞き、俺は震え上がった。
彼女の頬が赤く染まっている。
うっとりと、恍惚の表情を浮かべながら。
(もしかしなくても……この人……変態……? )
ぞわっ。
また寒気が……。
(あれ? そういうことなのか? )
さっきから、アリアドネの強さに悪寒がしていたわけじゃなくて……。
別の種類の危険を察知していたのか?
「……男の子はいつもそう。やんちゃな天使……。こうして暴れて泥だらけになって、いくつになっても無邪気な初年のまま……とっても愛らしいわ……」
ごろごろ転がったから、あんたも同じくらい汚れているぞ。
「お、おいミノタウロス。おまえの姉さん……これ、どうしたらいいんだ……。対処方法を教えてくれ」
「さすがだ、元勇者……。圧勝とはな……。姉上だって、女戦士として名の知れたお方だというのに……」
ミノタウロスがしみじみと言う。
いや、そうじゃない。
(なんで外野気分で、感心してるんだ……)
「どうです姉上。ごらんになったでしょう。このお方の強さを。俺が何故この道を選ぶ決断をしたのか、お分かりいただけたはず」
「ええ……。理解したわ……。この子についていきたいと願ったお前の心を」
あれ。
なぜだか、ミノタウロスの出立を許してくれそうな流れになっている。
わけがわからない。
でも、とりあえずはよかった。
そう思ってホッとしたとき、アリアドネが俺のほうを振り返った。
「ただし! やはり弟一人で旅出されるわけにはいきません。そんな状況、父も私も心配で心配で、どうにかなってしまいますから」
「まさか姉上……」
ミノタウロスがぶるりと震える。
アリアドネは俺とミノタウロスを見比べて、にっこりと微笑んだ。
「私も同行させていただきます」
(え……!? )
「だって、男の子ふたりだけじゃあお姉ちゃん心配だもの。ミノタウロスのことも、勇者くんのことも……ね」
「あ、えっと……元勇者だ……」
「わかりました。元勇者くん?」
小首を傾げて、にっこりと微笑むアリアドネ。
この微笑みは本当に女神の如しって感じなのに……。
この人は中身が色々と残念すぎる。
(……でもそうだな。 まとめて連れて行けば全部、解決か)
「ミノタウロスはどう思う?」
「俺は……そうだな。姉上にも、もっと広い世界を見てもらいたい……」
そうか。
ふたりは、この孤島にある神殿の深部で、ずっと暮らしてきたんだ。
アリアドネが過度なブラコンになったのも、そんな環境のせいなのかもしれない。
「わかった。アリアドネ、君も一緒に来るといい」
「まあ……!」
アリアドネがばっと勢い良く顔を上げる。
彼女はそのまま、両手を広げると、俺とミノタウロスをヒシと抱き寄せた。
(うわっ……!?)
「うれしいわ……!!」
ぎゅむ。
柔らかい何かが、顔面に推しつけられている。
(息が……息ができない……)
「ありがとう。お姉ちゃん、きっとあなたたちを守ってみせますからね」
暴れたい。
が、本気を出すと怪我をさせてしまう。
攻撃力爆増スキルのカンストを、このときばかりは悔いることになった。
「アリアドネ……! 息を……息をさせてくれ……ッ」
「あら……!」
「ぷはっ……」
ようやく口元が解放され、肩で息をつく。
俺たちのことを、まだ抱きしめたままのアリアドネが、蕩けきった表情で見下ろしてくる。
「ふふ。そんなに一生懸命に息をして……ハァ……かわいらしいお方……」
そういうアリアドネこそ、頬を紅潮させて、ハァハァ言っているし。
「ああ……! ミノタウロスだけでなく、こんな可愛い弟が増えるなんて……! 元勇者くんのお姉ちゃんとして過ごす、これからの日々が楽しみです」
待て待て。
違う。
「俺が欲しかったのは、姉じゃなくて農家だからな……」
「では農奴も兼任します」
奴隷はだめだ、奴隷は。
普通に農業をしてくれ。
それで十分だ。
「とりあえず普通に働いてくれればいいよ。ほどほどに。手を抜くぐらいでちょうどいい」
「まあ! 駄目ですよ、勇者くん!」
突然メガネをかけたアリアドネが、人差し指をつきつけてくる。
そのメガネ、どこから出した……?
「お姉ちゃんとして、そんな姿を弟に見せるわけにはいきません。弟にお世話をされる姉なんて……お世話を……って、あら……? 一生懸命私のお世話をしてくれる、ミノタウロスと勇者くん……『だらしないな、姉貴は』なんて生意気な口をききながら、お風呂上がりの私の頭を拭いてくれる……? ああっ! そ、それはそれで……興奮しますっ」
アリアドネは自分の体を抱きしめると、たまらないといったように身悶える。
それをぽかんと眺める俺。
「……ミノタウロス。君の姉さんは変わっているな……?」
「そうだな。姉上は少し変態の気がある」
え。
(少し? これで……? )
◇ ◇ ◇
そんなこんなで俺は、ミノタウロスとアリアドネを連れて、死の谷へ帰還することになった。
道中では、自然の洞窟や大木の影を利用して野営をした。
ベジタリアンを称するミノタウロスの野草知識は大したもので、食べられる草とそうでない草、実は毒を持っている草なんかを教えてもらった。
俺はミノタウロスに言われた通りの野草を集め、それを使ってアリアドネが料理を作ってくれた。
山菜の新芽を使った炒め物やスープで、心も腹も大いに満たされた。
夜は、「固い地面に弟たちを横たわらせるわけにはいきません!」とアリアドネが膝枕ならぬ胸枕を提案してきたのだが、それは全力で断った。
――そして、自宅に到着。
シャルロッテは俺が戻ってから半日後、ヨルムンガンドを連れて無事帰ってきた。
でもそのあとが大変だった。
俺がミノタウロスと彼の『姉』を迎えたと知るや否や大参事になった。
とにかくシャルロッテが荒れて荒れて仕方ない。
「なんじゃ、その女はーっ……!!」
「浮気じゃ浮気じゃ」と泣きじゃくり、宥めようとしたオーク達に噛みつき、御殿の半分を破壊された。
まずい。
これはアリアドネに会わせられない。
ところが実際二人が、対面すると……。
「まあ! なんて可愛らしいお嬢さんなのでしょう……!」
「……む……?」
アリアドネが瞳を潤ませて、シャルロッテを見下ろす。
「ふわふわのお耳。綺麗な髪……お人形さんのよう。この方が、元勇者くんの奥さんなのですね」
「お、奥さん……?」
シャルロッテは、そわそわとしはじめた。
「『奥さん』……。ふむ。なかなかよい響きじゃな? 奥さんか……。奥さん。つまりわらわのこと。わらわは旦那さまの奥さんじゃ。ふふふ」
「勇者くんの奥さんなら、私にとっては妹のようなもの。シャルロッテちゃん、お姉さんにいっぱい甘えてね……?」
「ふ、ふん。旦那さまを弟呼ばわりは気に食わんが……」
そんなことを言いつつも、シャルロッテは頬を染めてうれしそうだ。
「……兄貴。姫さまは早くに母君を亡くされていて、こういう母性全開の人には弱いんですよ」
オークたちが耳打ちをしてくる。
(なるほど……)
「よし。そなた、このわらわの広い心に免じて、夫の下僕……そして、畏れ多くもわらわの姉となることを許可する!」
「まあ、シャルロッテちゃん……! こんなに早く認めてくれるなんて……!」
アリアドネが恍惚の表情で、シャルロッテの手を取った。
待て待て待て。
俺の意思はどうなったんだ。
(そもそもくどいようだが、シャルロッテのことを嫁にしたつもりはないんだけどな……)
「なあミノタウロス……」
「いい農場だ。これなら、俺特製の肥料を存分に生かせるだろう」
ミノタウロスは変態姉のことは放置で、満足そうに畑を眺めている。
一方、青い顔をしたオークたちは……。
「兄貴……ミノの旦那に、本当に肥料を出させるんですか……?」
「え?」
「ヨルムンガンドの旦那……その肥料と土を混ぜる役目なんて、おかわいそうに……」
そういえば、ミノタウロス特製の残飯で肥料を作る仕組みの話をしていなかったな。
まあいいか、それは明日伝えれば……。




