第六十九話 ルベライト商会の契約 後編
レニードがソファから身を乗り出すようにして、アレクをじっと見据えた。その瞳には、先ほどまでの穏やかさはなく、見逃しようのない鋭い光が宿っている。
「どうしてその後、お二人で行動を共にされていたのか。その経緯を教えていただかねばなりません。……まさか、ラナさんが教えたのですか? いや、そんなはずはない。ヴィクトリア様がクレミス村へ行くことは、ラナさんにも伏せていたはず。なぜです? まさか、ヴィクトリア様がアレクさんにだけ、こっそりと行き先を打ち明けたとか?」
畳みかけるようなレニードの「圧」に、アレクは一瞬、息が詰まるような感覚に陥った。ヴィクトリアが自分にだけ特別に打ち明ける? ありえない話だ。むしろ自分は、行き先も告げられず、レニードと二人で旅立ってしまった彼女の背中に、どれほど落胆したことか。
「ないです! 絶対にそんなこと、ありません!」
アレクが反射的に、そして食い気味に否定すると、レニードは案外あっさりと頷いた。
「そうですよね」
「……なんで、そこで『そうですよね』って納得するんですか?」
少し拍子抜けしたアレクが聞き返すと、レニードは冷めた茶に視線を落とし、さも当然だと言わんばかりに肩をすくめた。
「いや、あのお嬢様が、特定のどなたかにだけこっそり行き先を打ち明ける等、今のところはあり得ないことですから……。いえ、ですがそういえば、アレクさんは『彼氏』でしたっけ? ラナさんがそんなことを言っていたような気もしますが」
「違います! それは絶対に何かの間違いです……彼氏……え?」
不意に飛び出した「彼氏」という単語に、アレクは激しく動揺した。レニードは机の上の茶器を指先でなぞりながら、検分するように続けた。
「あそこに行くのは、私も馬車の中で聞いたのです。ヴィクトリア様を降ろした後、私はすぐにユリウスを連れてソルティへ戻りました。こちらに戻ってからもヴィクトリア様があそこにいることは誰にも漏らしておりません。勿論ヴォルフのオヤジ様にもです……。誰に聞いたのですか?」
アレクは、サントゥスの町で出会った二人の女性のことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
「……誰に聞いたわけでもないんです。本当に、偶然だったんですよ。サントゥスに着いた時、俺が連れていたパリス――あの馬を見つけて、ヴィックの叔母さんだっていう人たちが、勝手に荷物を積んじまったんです。それで、そのまま村まで案内される羽目になって……」
「……マイラ様とアイラ様ですか」
レニードは一瞬、呆れたように天を仰いだ。あの自由奔放な叔母たちならやりかねない、と瞬時に納得したようだ。
「なるほど。パリスが縁で、あのお二人に捕まった……。偶然の再会だった、と。……合点がいきました。ですが、アレクさん」
レニードの表情から、わずかな苦笑すらも消え失せた。
「お嬢様は春まであそこで療養すると仰っていた。それが、どういうわけか王宮の馬車であなたと一緒に帰ってきた……。待ってください……まさか修道士ハンスの件ですか? いや、しかし、クレミス村はもう雪の要塞となっていて、外部から人も、情報も一切入らないはず」
レニードの困惑はもっともだった。あの村の冬を知る者なら、この時期に人が山を越える事等、天変地異でも起きない限りあり得ない事である。
「……情報が入ったんです。命懸けの伝言が」
アレクのその一言に、レニードの眉が跳ね上がった。
「カシアスという人が、村にやって来ようとしていました。さすがにあの雪で村までは辿り着けなかったみたいですが、ふもとで足止めを食っていた彼から、情報を得た村の族長が吹雪の中を駆けつけてきたんです。ヴィックに、どうしても伝えなきゃならないことがあるって」
レニードが絶句した。あの誇り高い村の族長が自ら動いた。その事実だけで、事態の異常さは明白だった。
「それで……ヴィックは村を降りる決意を固めたんです」
そこまで言えば、もうそれ以上語る必要はなかった。レニードの瞳に宿っていた鋭い疑念が、深い理解と、やるせなさを孕んだ溜息へと変わっていく。彼はすべてを察したのだ。
「……ヴィクトリア様はマリア・ロゼ様をお止めするのに、無理をされたわけですね?!」
レニードは天を仰ぎ、こめかみを押さえた。
「……ホントに困った人たちだ。ロゼ様と言い。オヤジ様もですが……ヴィクトリア馬鹿の大厄災と言われても仕方がない」
レニードはそこまで言ってハッとした。
「……まずいぞ。もしかして、診察を受けたのは王宮の従医ですか?」
「そうです。謁見の間で倒れたので」
その瞬間、レニードは弾かれたように立ち上がり、扉を開けると大声で叫んだ。
「ジャン! テオ!」
名前を呼ばれた二人が、異変を感じてすぐさま駆けつける。
「わかっているな! これから大変なことになるぞ。ヴィクトリア様が帰ってこられたというだけでも十分な騒ぎになるというのに……お見舞い客が押し寄せて来る。とにかく、誰が来ても丁重にお断りしろ。ジャン、お前はすぐさま王宮へ行って、宰相のジュール様に対処するように話してこい!」
「は、はい!」
二人が弾かれたように走り去る背中を、レニードは険しい表情で見送った。
「さてと、これで経緯はわかりました。あとひとつだけお聞きしたい」
「……まだ何か、あるんですか?」
「アレクさんはどうなさるおつもりですか? これから」
「これからとは」
「今、オヤジ様は留守にしております。だがいずれ戻ってこられます。アレクさんはオヤジ様に会いたいのですよね? オヤジ様に会ったあと、貴方はどうされたいのですか?」
そこから先の事を考えていなかった。元々の目的地は中央都市サントゥスだった。そこで赤髪の双剣使いに会えると信じていたし、武者修行の場だと思っていた。だがサントゥスは彼の目的地ではなくなった。赤髪の双剣使いに憧れているのは今も同じだ。
だが……彼の心のなかにはもう一人、いや、それ以上に重くなった人がいる。
「俺はできたら、ここにいたい。ヴィックの傍で」
その言葉で、レニードはアレクの気持ちを汲んだ。
「わかりました。うちで働くという事でよいですね」
アレクは頷いた。「よろしくお願いします」
「最終的な判断はヴィクトリアお嬢様ですが……それで雇用契約を結びます」
レニードは改めてアレクを正面から見た。その目はもはや、商会の人間としての厳しさだった。
「アレクさん……いえ、アレク。正式にうちの商会で働くのなら、もう私は貴方をお客扱いは致しません。それともう一つ、ヴィクトリア様はお嬢様です。ヴィックなどと気安く人の前では呼ぶ事はやめてください。それだけの覚悟はありますか?」
「……ヴィクトリア、お嬢様」
慣れない呼び方を口にすると、苦い砂を噛んだような違和感が走った。




