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第六十ニ話 扉の向こう側 後編

どれくらいの時間が経ったのだろうか。

扉の向こう側で知らせを待つ者たちにとって、その沈黙は永遠にも等しく感じられた。


やがて重厚な扉が内側から、静かに開かれた。

姿を現したのは、侍医に付き添っていた若き弟子だった。彼は廊下を埋める重苦しい空気と、女王の鋭い視線に気圧されたように一瞬身を縮めたが、意を決して周囲を見回した。


「えっと……アレクという方は、おられますか?」

その場にいた全員の視線が、アレクに集中した。

当然、自分が真っ先に呼ばれるものと信じて疑わなかったマリア・ロゼが、驚愕に目を見開く。


「な、何故じゃあ――! なぜ私ではないのじゃあ!?」

「あ、あの……ですが、ヴィクトリア様本人が、意識が戻るなり『アレクを呼んでくれ』と仰ったもので……」


弟子の困惑した説明に、マリア・ロゼは言葉を失い、その場に縫い止められた。


アレクは、自分を呼ぶ声に弾かれたように顔を上げると、女王やカシアスの視線を突き抜けるようにして、開かれた扉の向こうへと足を踏み入れた。

室内には、微かに薬草と清潔な布の匂いが漂っていた。

ベッドの上のヴィクトリアはまだ顔色は青白く、その瞳にもいつもの鋭い光は戻りきっていない

アレクはベッドの傍らに駆け寄ったが、いざ彼女を目の前にすると、込み上げる感情に喉が塞がり、言葉が出てこなかった。


「……心配させたな、アレク。私はなんともない。ただの、少しばかり疲労が溜まっただけだ」

「何をおっしゃってる!ただの疲労と甘く見てはいけません。今の貴女は、いつ心臓が止まってもおかしくないギリギリの状態だった。過度な疲労が命を奪うということを、どうか肝に銘じておいてください」


侍医の厳しい言葉に、ヴィクトリアは意外そうに瞬きをした。


「そうなのか? ……私はすぐに仕度をして帰るつもりで、アレクを呼んだのだが」


「(え? ええっ!! 俺を一番に呼んだ理由はそれ?!)」

アレクはガックリと肩を落とし、やり場のない虚脱感に襲われた。


だが、黙っていないのは侍医だった。

「帰る? 一体どこへですか。ただの疲労と甘く見ないでくださいと言った私の言葉が、理解できなかったのですか?」

「理解はしている……理解はしているが、ここにいては気が休まらない。……それは何故だか、理由は分かるだろう?」

そう言われて、侍医は反論の言葉を飲み込んだ。


先ほどの一連の様子を見れば、理由は明白だった。 診察中に矢継ぎ早に質問を浴びせ、処置の邪魔だと叱責されるまでヴィクトリアの傍を離れようとしなかったマリア・ロゼの干渉。そして、扉一枚隔てた向こう側からでもはっきりと聞こえてきた、あの凄まじい叫び声。

ここに留まれば、ヴィクトリアが眠っている間も、女王が「あの子の様子はどうじゃ!」と幾度となくこの部屋を嵐のように掻き乱すのは目に見えている。

侍医はしばらく頭を抱えて考え込んでいたが

やがて重い溜息と共に顔を上げた。


「分かりました。本当は二週間安静にするべきですが……いいですか、帰っても無理をしてはいけません! それは本当に、肝に銘じておいてください」

「そうか……」

ヴィクトリアはホッとしたような声を漏らし、その青白い顔をわずかにほころばせた。


「ありがとう、侍医殿」

頑なだった彼女が見せた、年相応の柔らかな笑み。侍医はそれ以上何も言えず、「やれやれ」と肩をすくめて道具を片付け始めた。


「それでは私はこれで失礼しますよ。……おい、行くぞ」

侍医が弟子を促し、医務室を後にしようとしたその時、ヴィクトリアが静かに声をかけた。


「侍医殿。すまないが、外にいるマリア・ロゼ様、ジュール宰相、それにカシアスを中に入れてもらえないか? 少し、話があるのだ」


その言葉を聞き、女王陛下たちが中に入るなら、自分のような者がここに残るわけにはいかないと考え、アレクは侍医たちの背を追うようにドアへ向かおうとした。

「アレク。お前は、そのまま中に残っていろ」

短く、けれど拒絶を許さない響き。

アレクは驚いて足を止めたが、彼女の瞳に迷いがないことを見て取り、壁際でそっと居住まいを正した。


やがて扉が開き、侍医と弟子が三人と入れ違うように廊下へ出る。

侍医はすれ違いざま、今にも部屋へ飛び込もうとしていたマリア・ロゼの前に立ちふさがり、鋭く釘を刺した。


「陛下。あまり無理をさせないようにしてください。一応、自宅へ帰る許可は出しましたが……今の彼女は、硝子の細工よりも脆い状態だということをお忘れなく」


「帰るだと! 本気かヴィクトリア!?」

侍医の警告など耳に入っていないかのように、マリア・ロゼが叫びながらベッドへと駆け寄った。

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