第五十一話 計算違いの再会
丸太小屋での朝食は、昨夜に引き続きアレクにとって針のむしろだった。村の男たちが跪かんばかりの勢いで差し出す食事をどうにか胃に収め、二人はようやく小屋を後にすることになった。
「お気をつけて、ヴィクトリア様! アレク様!」
深々と頭を下げる男たちに見送られ、二人の姿が朝霧の向こうへと消えていく。その背中が見えなくなってようやく、男たちは大きな溜息をつき、肩の荷を下ろした。
「……死ぬかと思ったぜ。ヴィクトリア様のあの眼光、数年前より鋭くなってやしねえか?」
「ああ。それにしても、あのアレク様というお方……最後まで腰の低い、不思議な御仁だったな」
安堵の空気が広がる中、一人の男がふと首を傾げた。
「……なあ。俺たち、一番大事なことを聞き忘れてねえか?」
その言葉に、全員の動きが止まる。
「あのヴィクトリア様の『嵐のような帰還』に圧倒されて、それどころじゃなかったが……。あの二人、どうやってあの雪山を下山してきたんだ?」
小屋の中が、再び静まり返った。
「……空でも飛んできたのか?」
「馬鹿を言え。人間が空を飛べる道具なんて、この世にあるはずねえだろ」
笑い飛ばそうとした若手の言葉が、ふいに遮られた。
「ふふっ……」
短く、意味ありげな笑い。一同の視線が、暖炉のそばに座る年嵩の男――バルカスへと集中した。雪山の下山を甘く見すぎていたカシアスに現実を突きつけた、クレミス村の男たちの中でも最も山を知り尽くした猟師だ。
「バルカス、なんだ? 何がおかしい」
「空でも魔法でもなく、神々の奇跡って奴を起こしたようだ」
バルカスの手には、一房の「白銀の毛」があった。それはヴィクトリアの外套に紛れ込むようにして付着していたもの。
この辺りに生息する獣のそれとは明らかに異なる、神々しいまでの光沢を放つその毛を、バルカスは慈しむように見つめている。
男たちは、その白銀の毛を見た瞬間に察した。神獣オルティスが、奇跡を起こしたのだと。
一方、そんな背後の静寂など露知らず、丸太小屋のあるトレヴィス山の野営地から歩いて二十分程。ヴィクトリアとアレクは、すでにサンマルコの街の石畳を踏みしめていた。
「……アレク、着いたぞ。カシアスが居るのはあの宿だ」
「……ヴィック、まさかとは思いますけど、普通にノックしてくださいね?」
「なんだそれ…私はいつだって普通だぞ!何処かの筋肉馬鹿のご令嬢と勘違いしてないか」
宿屋の重い扉を押し開けると、朝の柔らかな光が差し込む食堂が広がっていた。
そこには、まるで一枚の絵画のように完璧な佇まいで、窓際の特等席に座り優雅に朝食をとる男がいた。
カシアスだ。
ヴィクトリアは迷うことなく、板張りの床をズカズカと鳴らして食堂へ踏み込んだ。そして、その男の目の前まで行くと、不機嫌そうに腕を組んで見下ろした。
「随分と優雅な朝食だな、カシアス。我々の朝は、簡素なスープと卵とパンだったぞ」
「……!?」
その声を聞いた瞬間、カシアスの端正な顔が驚愕に染まった。
常に冷静沈着な彼が、椅子を蹴るような勢いで立ち上がり、あろうことかテーブルの上のティーカップを派手に倒してしまったのだ。白いテーブルクロスに琥珀色の液体が広がっていくが、今の彼にはそれを気にする余裕などなかった。
「ヴィ、ヴィクトリア……!? なぜ、ここに……なぜです!」
「なぜ、とは何だ。お前が私を訪ねてクレミス村まで来ようとしていたと聞いたから、わざわざ私がここまで来てやったのではないか」
「……いえ、そうではなくて……」
カシアスはヴィクトリアから視線を逸らし、泳がせるように食堂の何もない空間を見つめた。
「クソっ……! 数日はかかるだの、途中で地獄を見ることになるだのと言っていたのは、すべて嘘か! 結局、安全に下山する方法があったんじゃないか……!」
彼は信じられないといった様子で、誰に言うでもなく一人ごちた。
バルカスにあれほど「物理的に不可能だ」と断言され、絶望の淵に立たされたあの時間は一体何だったのか。
だが、ヴィクトリアはそんな彼の混乱などどこ吹く風で、事もなげに言い放った。
「嘘ではないぞ。……死にかけた」
あまりに平然としたその一言に、カシアスは言葉を失う
。彼がようやく、彼女の背後に立つ少年に視線を向けようとした時、ヴィクトリアが先回りして答えた。
「コイツはアレクだ。私の旅の相棒だ。だからアレクも一緒に同乗だ! 異論はないよな!? カシアス」
「……勿論です」
カシアスはアレクをじっと見つめ、何かを言いかけながらも、彼女の有無を言わさぬ勢いに頷くしかなかった。
「じゃあ決まりだ。カシアス、私はこれから商業ギルド本部に行ってくる。三十分で話をつけてくるから、馬車をそちらに回せ。そこで待ち合わせだ。――アレク、行くぞ」
「えっ……」
カシアスが問い返す間も与えず、ヴィクトリアはして食堂を飛び出していった。その後にアレクが急いで続く。
宿の重い扉が、彼女の勢いを象徴するように激しい音を立てて閉まる。
残されたカシアスは、倒れたティーカップから滴り落ちる紅茶の音を聴きながら、立ち尽くすしかなかった。
『本編読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』
バルカスがヴィクトリアの外套から神獣の毛を見つけ、雪山下山の奇跡を察する一方、二人はサンマルコの街へ到着。宿で優雅に朝食をとるカシアスと再会する。「不可能」と言われた下山を成し遂げた二人に驚愕するカシアスを余所に、ヴィクトリアはアレクの同乗を即決。嵐のように次なる目的地へ向かう。




