第五十話 至れり尽くせりの代償
深夜の丸太小屋。
流石に女性であるヴィクトリアを男たちと雑魚寝させるわけにはいかず、彼女には奥の唯一の個室が当てがわれた。
ヴィクトリアは、部屋へ引き上げるために立ち上がると、ふと足を止め、暖炉のそばで横になろうとしていたクレミス村の男たちを振り返った。その瞳には、先ほどカシアスの不在を知った時よりも、さらに冷たく鋭い光が宿っている。
「……おい。お前たち」
低く地を這うような声に、薪をくべていた男たちの肩がビクリと跳ねた。
「アレクも余所者だが……わかってるよな。こいつに少しでもそんな扱いをしてみろ。私が赦さないからな」
その言葉には、一切の冗談が混じっていなかった。
「い、いや……そんな、滅相もない……」
「分かればいい」
ヴィクトリアはそれだけ言い捨てると、ニヤリとして奥の部屋へと消えた。
残された男たちは、蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。そして、視線は自然と、気まずそうアレクへと注がれる。
ヴィクトリアの気配が扉の向こうへ消えても、男たちはしばらく彫像のように固まっていた。
やがて、恐る恐る一人が首をギギギ……と、横になろうとしていたアレクの方へ向ける。その顔は、まるで爆弾でも扱うかのような慎重さだった。
「……えっと、アレクさん……。いや、アレク様」
「アレクでいいですよ、」
アレクは困り果てて、敷こうとしていた毛皮の手を止めた。
「い、いえ! 滅相もございません! アレク様とお呼びさせていただきます!」
「左様でございます! さあ、アレク様、そこは隙間風が入ります! もっと暖炉に近い特等席へ! ほら、お前らそこをどけ! 一番ふかふかの毛皮をアレク様の下に敷くんだ!」
至れり尽くせり。まさにこの言葉がぴったりの扱いを受けた。
「アレクを少しでも余所者扱いしたら、私が赦さない」という言葉。それは男たちにとって、単なる脅し以上の重圧を持って響いた。
彼らがこれほどまでに彼女に跪くのには、深い理由がある。
ヴィクトリアは、本来ならクレミス村の族長となるべき血筋の娘なのだ。
彼女の父ヴォルフは先代族長の長男でありながら、仲違いの末に廃嫡され、村を去った。
現在の族長ラシードは、ヴォルフの姉アイラの息子だが、彼は今でも「本来なら伯父上が継ぐべきだった」という引け目を感じており、その娘であるヴィクトリアには格別の敬意を払っている。
何より、彼女の名はトレヴィス山の神獣、オルティス様によって直接授けられたものだ。
血筋、神性、そして今の彼女が持つ経済力。そのすべてを兼ね備えた彼女が「赦さない」と言ったのだ。誰も逆らえるはずがなかった。
「おい、火を絶やすな。アレク様に鼻水一つすすらせてみろ。ヴィクトリア様に合わせる顔がないぞ」
「分かってます! 奥の部屋まで熱気が届くくらい、バンバン薪を入れろ!」
深夜、アレクはあまりの熱気に目を覚ました。
暖炉にはこれでもかと薪がくべられ、晩秋の深夜とは思えないほどの熱気が小屋に充満している。
「(……暑い。暑すぎて、逆に寝られない……)」
ふと見れば、男たちは眠い目をこすりながら、交代で「火の番」をしていた。アレクが少し寝返りを打つたびに、「アレク様! お寒うございますか!?」「白湯を持ってきましょうか!?」と血相を変えて飛んでくる。
「いえ、本当に、お構いなく。……もう少し火を弱めてもいいんですよ?」
「ハハッ、左様でございますか(さすが、神獣に名を授かったお方の相棒。我らへの配慮まで完璧だ……!)」
アレクの言葉はすべて「高貴な者の慈悲深い振る舞い」として深読みされ、結局、小屋は夜明けまでサウナのような熱気に包まれ続けた。
アレクにとって、雪山を下りるよりもずっと肩身が狭く、寝苦しいほどに「温かい」奇妙な一夜が更けていった。
翌朝、ヴィクトリアは、完全に寝不足でやつれたアレクを見て、心底おかしそうに吹き出した。
「おいアレク、何だその顔は。ひどい隈だぞ。よほど熟睡したと見えるな」
「……誰のせいだと思ってるんですか。もう!ヴィックが変な釘を刺すから」
「ははは! 敬われるのは良いことだぞ、アレク様」
ヴィクトリアは上機嫌でアレクの肩を叩いた。
「……ヴィック」
「なんだ?」
アレクは躊躇してから続けた。
「ヴィックが一言釘を刺すだけであの人たちがああなるなら……村にいた時も、別に婚約者ごっこなんてしなくてもよかったんじゃないですか?」
ぴたり、とヴィクトリアの動きが止まった。
一拍。
「……黙れ」
ヴィクトリアは視線を外し、弱々しく言った。
アレクは、ようやく一矢報いた気がして、ほんの少しだけ溜飲を下げたのだった。
『本編読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』
丸太小屋で休む一行。ヴィクトリアの「アレクを余所者扱いするな」という強烈な釘刺しにより、村人たちは彼を「アレク様」と呼び、過剰な接待で室内をサウナ状態にしてしまう。寝不足のアレクは、彼女の権威があれば「婚約者ごっこ」は不要だったのではと指摘。図星を突かれた彼女の反応に、アレクは密かに溜飲を下げるのだった。




