第三十五話 二人の大厄災
クレミス村の雪は深く、外の世界の喧騒を完全に遮断していた。
アイラから『ヴィクトリア馬鹿の三人目』という不名誉な称号を授けられたアレクは、ヴィックから課された過酷な「宿題」に悶絶していた。
ヴィックの右肩が治るまでマルコ爺さんの所へは行かないと言ったアレクに、少しばかりの仕返しを兼ねて、難題を突きつけたのだ。
「内容はお前が得意な魚の捕り方と、そこに至る『熱い想い』についてだ。いいか、一切の手抜きは許さん。愛を込めて綴り、一文字ずつ声に出して確認しながら書け」
アレクは慣れない羽ペンを握りしめ、顔を真っ赤にしながら、ヴィックの手本をなぞるように一字ずつ音読し始めた。
「……あ、あつい……想いを……捧げます。冷たい、水のなかで……貴女、あ、いや、貴魚を追い求め……」
「声が小さい! もっと心を込めろ!」
「……っ、はい! 『全身が濡れるのも厭わず、ただ貴女をこの手に抱きたい一心で、私は深淵へと飛び込んだ……。この命が尽きても、貴女を離さない。愛しています!』……これでいいですか、ヴィック!?」
アレクは必死だった。岩魚(イオ様)への敬意と、魚捕りの執念を文章にしようとした結果、語彙のなさが災いして、とんでもなく情熱的なポエムが出来上がっていた。
そしてそのとんでもないポエムは
又あらぬ誤解を生むことになるのだっだ。
「……聞いた? 『深淵へ飛び込んだ』って、あの滝壺の話よね……」
「『この手に抱きたい』『愛しています』だって! まあまあ、なんて情熱的な告白かしら!」
「あんなに大きな声で愛を叫ぶなんて……。熱いわよね?!あれだと…直ぐに…だわよね」
「あら、やだ。…でも案外そうかもね」
噂話は雪だるま式に膨らみ、もはや「新婚の熱い生活」どころか、家族計画にまで飛躍していた。二人が一歩外に出れば、村人から「おめでとう!」「情熱的ねぇ!」と温かい(そして当人たちには意味不明な)祝福の声をかけられる始末である。
さて、ヴィクトリア馬鹿の先人は、その頃どうしていたのか?というと…『ラナハイム』に向かっていた。
正しくいうと、向かっていたのはヴィックの父親のヴォルフだけで、マリア・ロゼ様は自分が派遣した使者を『ラナハイム』に向かわせていたのである。
ことの発端は、『ラナハイム』の金融機関の馬車置き場で撃たれたヴィックから事情聴取をしょうとしたあの慇懃無礼な金融機関の警備員二人のせいであった。
ヴィックは自分の身元を執拗に取り調べようとする警備員に西の商業ギルド長とサントゥスの商業ギルド本部長の名前を出した。
その名前を出しておけば、執拗にそれ以上の尋問をしないと計算しての事だった。
案の定、彼らはそれで、ヴィックの療養先の『白カモメ亭』を引き祓い、二度と足を踏み入れる事はなかったが、彼らは、ヴィックの身元確認の為に、西のギルド長ドルトンの『ヘインズ商会』を訪ねてしまったのである。
あの『ラナハイム』の街の先の集落での荷馬車の暴走事件で、「無関心で、自己保身に走る、腐った貴族と同類か」とヴィックに吐き捨てられたドルトンである。
「オレンジ色の髪に、青い瞳の少年……」
その特徴を聞いた瞬間、ドルトンの脳裏には一人の人物が浮かんだ。
昨年九月、サントゥスで開催されたギルド評議会。全ギルド長が集まったその席で紹介された、前例なき最年少の女性評議会員。東のローゼリアン王国、『ルベライト商会』のヴィクトリア・ルベライト。
当初は「老いぼれの気まぐれによるマスコット要員」だと誰もが侮っていたが、その認識がとんでもない間違いであったことは、その後の彼女の辣腕ぶりが証明している。
そして、あの集落で、叱責された…。彼はその苦い記憶が蘇った。
「それで……その方はどうされたのだ?」
ドルトンは震える声で尋ねた。
「『白カモメ亭』という宿で療養されております」
死んではいない。その事実にドルトンは安堵したが、それはヴィックの身を案じてのことではない。もしラナハイムで彼女の身に万一のことがあれば、自分にどんな火の粉が降りかかるかという、卑薄な保身からであった。
「いいか、このことは内密だ。たかだか平民のガキが襲われただけだ、騒ぎにするな。捜査も打ち切れ」
一度はそう命じたドルトンだったが、すぐに考えを改めた。
恩を売る。そうする事で自分の心象を良くする方が得策だと、考えたのである。
「いや、待て……捜査に当たっているのはお前たちだけか?」
「はい」
「ならば金融機関の警備員を総動員しろ! 街中を洗って犯人を捕まえるのだ!」
「えっ、それでは金庫の番が疎かになります!」
「いいから命令だ!」
ドルトンに突き動かされた警備員たちは、本来の職務を放り出し、血眼になって街へと繰り出した。「オレンジの髪の少年を撃った犯人を捜せ!」と酒場や宿屋を荒っぽく回り、強引な尋問を繰り返す。平和なラナハイムは一瞬にして不穏な空気に包まれた。
商品の買い付けに出ていたレニードが、ヴィックが撃たれた事を知ったのも、この異常な警備員達の尋問のせいであった。
金融機関での狙撃事件を知らなかったレニードにまで噂が耳に入るという事は、ヴィックを撃った犯人にもその噂が耳に入るということである。ヴィックを『白カモメ亭』に匿ったラナはその事を懸念していたし、ヴィック自身も、それを懸念して、結局、早々に『白カモメ亭』から旅立つ事となったのだ。
ヴィックがレニードと共に旅立ち、後日、遅れてアレクが『ラナハイム』を出てから、数日後に『警備の空白』が最悪の事態を招く。
手薄になったロビーで客同士の些細な諍いが発生。本来なら警備員が制止するはずの揉め事は、不慣れな事務員では抑えきれず、取っ組み合いの大喧嘩に発展した。どさくさに紛れて現金を奪おうとする火事場泥棒まで現れ、現場は収拾のつかない混乱に陥った。
『ラナハイム金融機関、機能停止』
この衝撃的な報告は即座にギルドの通信網を駆け巡り、『サントゥス』の商業ギルド本部へと届いた。
報告を受けた現本部ギルド長は、加齢による体調不良を押して自ら『ラナハイム』へ乗り込んだ。
彼が恐れたのは金銭的損失ではない。ドルトンが「誰」を相手に立ち回っているのかという点だ。
現地を確認し、警備員から事情を聴取したギルド長は、そのまま『ヘインズ商会』へと向かった。奥の広間で優雅に茶を啜っていたドルトンは、突如現れた最高責任者の姿に椅子から転げ落ちんばかりに驚いた。
「ドルトン! この醜態をどう説明する!」
「こ、これは本部ギルド長……! いえ、これはヴィクトリア様に恩を…いえ、誠意を……」
「馬鹿者が!」
ギルド長の怒号が落ちた。
「なぜ彼女が身分を明かさなかったと思っている! 自分が撃たれたと公になれば、大ごとに発展しかねないと考えたからだ。それを貴様がこれほど大事にして……!」
いまや、被害は金融機関の混乱だけに留まらない。警備員が街中で乱暴に触れ回ったせいで、噂は尾ひれをつけて広まっていた。
これでは東の国へ届くのも時間の問題だ。
ヴィックの父親のヴォルフ。
ヴィクトリアを実の娘のように慈しむローゼリアン王国の女王マリア・ロゼ。
『ヴィクトリア馬鹿の大厄災』と呼ばれているあの二人が何をしでかすか分からないからだ。
だが残念な事に、噂はすでに、海を越え、国境を越え、東の国へと届いていた。
サントゥス本部ギルド長が最も危惧していた事態――「大厄災」の引き金が引かれたのだ。
東の国。『ルベライト商会』の親方ヴォルフは、出入り商人から噂を聞きつけた。
「ラナハイムでオレンジの髪の少年が撃たれた」
そんな特徴の人物に心当たりがありすぎる。
ヴォルフは即座に、西から戻ったばかりのレニードを呼びつけた。
レニードはヴィックから「絶対に真相を漏らすな」と口止めされていたので、何を聞かれても、口を割らなかったが、運悪くそこへ職人の一人であるジョージが駆け込んでき
た。
「親方! 王宮ですごい噂になってます! お嬢が撃たれたって本当ですか!?」
万事休す。レニードが顔をしかめたが、もう遅かった。
ヴォルフはジョージの胸ぐらを掴み、怒髪天を突く勢いで叫んだ。
「ラナハイムに乗り込むぞ!」
勿論一人ではない。ルベライト商会でも強靭な肉体と強顔で知られている職人を数名(出入り…殴り込み…そう言われてもおかしくない連中)を引き連れてラナハイムに向かったのだ。
一方、王宮。
女王マリア・ロゼは氷のような冷笑を浮かべ、新調した銃を手に取った。
宰相ジュールの必死の説得により、全軍の派遣こそとりやめたが、西への派遣を頼んだ使者に、『サントゥス』商業本部ギルド長と西の『アルカディ』国王ティオドロスへ宛てた書簡を持たせた。それも痛烈な嫌味がこれでもかと書き連ねられたものだった。
「犯人を捕らえたら、決して西に引き渡さず東へ連れ帰りなさい。ヴィクトリアの右肩を撃ったというのなら……右肩も当然だが、左肩も足も腕も、鉛玉を食らわせてやらねば、新しい銃の試し撃ちが愉しみだわ」
と高笑いしながら付け加えるのも忘れなかった。
使者はマリア・ロゼ様の恐ろしい執念に震え、宰相ジュールは頭を抱えて、女王の私室を出た。
こうして『二人の大厄災』が西へと動き出したのだ。
『本編読まなくても分かる『勇盾』簡単物語』
アレクの情熱的(?)なポエムが村で勘違いの嵐を呼ぶ一方で、ヴィックを襲った事件が露呈。保身に走るドルトンが街を混乱に陥れたことで、ついに『東の大厄災』が目を覚ます。激怒した父ヴォルフと、不敵に銃を磨く女王マリア・ロゼ。ヴィクトリアを愛しすぎる二人が、牙を剥く!




