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虫の声と夜風に揺れる葉擦れの音。
にぎやかなおしゃべりと音楽にあふれた会場が別世界のように、テラスへと続く扉の向こうは静けさに満ちていた。
「月が明るい……。……きれいね。光がキラキラ降り注ぐみたいで……」
テラスから見下ろせる庭園の噴水や夜露を含んだ木の葉に月の光が反射して、まるで宝石のようにキラキラときらめく。
とても素敵な夜だった。ルナとの約束を果たすにはぴったりの。
いよいよ訪れたその時に、胸がドキドキと大きく音を立てる。
(ルナ……、どうか勇気を貸して? あなたがずっと大切にしていた思いをちゃんと伝えられるように……。きっと願いを果たすから……)
こくり、と息をのんで私はカインを見つめる。そして勇気を振り絞り、口を開いた。
「カイン……。私、あなたに聞いてもらいたいことがあるの。そう簡単に信じてはもらえないかもしれないんだけど……」
カインの若草色の目に、私が映っている。いつもの私よりもちょっぴり背伸びをした私が。
「私ね……。実は私、昔のあなたに会ったことがあるのよ。十八才のあなたに」
「え?」
「私は、あなたに会いたくて何度も生まれ変わってきたの。はじめは幼い少女だった……。そしてそのあとは……、まぁちょっとヘンテコなものにも転生したりもして、最後にラフィニアに転生したの」
「転……生……??」
カインの目が大きく見開かれた。
当然だ。いきなり転生なんて言われてすぐに信じる方がどうかしているもの。
「ふふっ! そう……。ペトラを覚えてる? あのペトラも私よ。前世でなんと犬に生まれ変わったの。びっくりでしょ?」
カインの目がますます大きくなる。今にも落っこちてしまいそうなくらいに。
「えーと……、ちょっと時間をくれるかな……。ちょっと混乱して……」
せっかく格好良く固めた髪をガシガシといつもの調子でかき上げたカインが、困惑顔でまじまじと私を見つめる。
あんまりまじまじ見るから、もしかしたらペトラの面影を私に見つけようとしているんじゃないかと心配になる。でもいくらなんでもそれは無理……だと思う。
そしてしばしカインは黙り込み、ようやっと口を開いた。
「……ルナ、か……?」
カインの口から飛び出したその名前に、心底驚いた。だってまさかほんの数回会っただけのルナを、前世の私を今も覚えていてくれるなんて思わなかったんだもの。
「ええ! そう……。前世の私は、ルナという少女だったわ……。カイン、あなた私のこと……というかルナのこと、覚えていてくれたの?」
お互いに信じられない気持ちで見つめ合う。
「それはもちろんだが……。しかし、そんな……ことが……。いや、しかし……」
カインが驚きを隠せない表情を浮かべて、私をじっと見つめていた。
確かに私はルナと姿も中身も違う。だからカインが戸惑うのは無理もない。
「もちろん私とルナは別人よ? えーと……、ルナの心の一部を共有しているというか……。心の一部を貸しているみたいな感じなの」
「えーと……じゃあ、君はちゃんとラフィニアで……でも一部だけルナでもあるってこと?」
こくりとうなずけば、カインはしばし黙り込んだあと小さく息を吐き出したのだった。
「そうか……。だから君に懐かしさを覚えていたのか……。それに時々君はがルナに昔話したことを口にしていたし、不思議には思っていたが……」
そう言えばまだ転生した記憶を取り戻す前から、どうやら私は前世の記憶の話をしていたことがあったらしい。不思議なことに、私は覚えていないのだけれど。
もしかしたらルナが私に前世を思い出させようとしていたのかもしれない。
「それは多分前世の記憶かも。もちろん全部覚えているわけじゃないんだけど……」
実は、ルナの記憶はごく一部しか残っていない。転生を繰り返す内に忘れてしまったのか、元々一部の記憶しか持たずに生まれ変わったのかは分からない。
九才の誕生日前に見た夢の内容は、もちろん今も鮮明に覚えているけど。
だからこそ、今世でラフィニアとして生きていられる。もしルナの記憶が全部残っていたとしたら、きっと混乱してしまっていたと思うから、その辺りは神様が考えてくれたのかもしれない。
「でもまさかカインが覚えていてくれたなんて……。だってたった半年くらいの間に、何度か会っただけだったでしょう? ルナと会ったのは」
「あぁ……。でもあの頃俺は隊に配属されてすぐの時で、すごく張り切ってたんだ。俺が国を守るんだって……。でも……」
そしてカイン話してくれたのだった。前世の私ルナと出会った頃の話を――。
当時隣国との戦いが少しずつ激しくなっていく中、カインは日々影を落としていく戦争をなんとか一日も早く終わらせたくて守備隊に志願したらしい。
そこで見たものは、食糧すら手に入れるのが難しくなって殺伐とした町人たちの姿だった。一日一日生きるのが精一杯で、皆笑顔を失い絶望の中にいた。
そしてカインは、私に出会ったのだ。
『はじめまして! 私はルナよ。よろしくね! カイン』
ルナはそう言って明るく笑ったのだとカインは懐かしそうにつぶやいた。
けれどその身体は生まれつきの病のせいで今にも折れそうにやせ細り、一日中ベッドの上で寝たきりの状態だった。
「ルナの命をつなぐ薬はもう、手元にほとんどなかった。でもルナは体がつらくて苦しいはずなのに、いつだってニコニコ笑ってた。俺が会いに行くと、いつもせがむんだ。外の世界の話を聞かせてほしいって。自分にはこの小さな窓から見える景色しか見えないからってさ」
カインは色々な話をルナにしたと言った。でもそれはどれも笑えるようなものばかりで、決して外の世界でたった今起きている暗い話ではなかった。
「見せたくなかった……。いつ消えるとも分からない日々を送るルナに、こんな……こんな悲しい現実を見せたくなくて。だから時には嘘をついて派手に脚色して、ルナができるだけ笑ってくれるようにおもしろおかしく話してみせたんだ」
カインはそう言って、空を見上げたのだった。




