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王太子妃候補になればその名声だけであちらこちらにツケがきき、膨れ上がった借金だって帳消しになるに違いない。そう踏んで、娘を王太子妃候補になんとしても押し上げるつもりだったらしい。
もしそれが無理なら、ベルナド商会に金で売り飛ばせばいい。こんなに巨乳な娘ならきっといい値がつくに違いないと。
暗い顔でうつむいたディクリーヌに、父が問いかけた。
「しかし一体なぜ君はそんな父親の馬鹿げた妄想に付き合ったんだね?」
「それは……、ベルナド商会に売られたくない一心ですわ、……。自分の身かわいさに本当に恥ずべきことをしたと後悔しております……。ラフィニア様は何も関係ないのに……」
ディクリーヌは両手をぎゅっと強く握りしめた。
「ですからもう……終わりにしたいのです。父のせいでダルコ家の資金は底を尽き、もう使用人たちもメイドをひとり残すだけです。お恥ずかしい話です……本当に。もうこうなってはもはやダルコ家は取り潰しは避けられません。ですからどうか私を突き出してくださいませ……。私がすべてを自白すれば、父は罪に問われるでしょう。どうか……」
しばしの静寂が馬車の中に落ちた。
「……なるほどな。まったく馬鹿なことを考えるものもいたものだ。こんなによい娘がいるというのに、その娘を売り飛ばしてまで欲にまみれるとは……」
「お父様……」
ふとディクリーヌを見れば、その肩が震えていた。その様子があまりにも痛々しくて、かける言葉もなかった。実の親に道具のように扱われ、売りに飛ばされようとまでして――。こんなにもディクリーヌを苦しめるダルコを許せないと思った。
消え入りそうな声で謝り続けるディクリーヌの震える手を、私は思わずぎゅっと握りしめ叫んだ。
「お父様、私はディクリーヌ様の味方よ! 処罰も望まないわ……! だってディクリーヌはちゃんと自分の罪を認めて私を助けにきてくれたものっ。体を張って私を守ろうとしてくれたのっ!」
「ラフィニア……」
「でもあの男だけは、絶対に許せない! 実の娘を売ろうとするなんて……、ディクリーヌはこんなにいい子なのに……。だからお願いっ‼ ディクリーヌを助けてあげてっ!」
ディクリーヌだって被害者だ。目の前に迫る最悪の運命からなんとか逃げ出そうと必死だっただけで。でもちゃんと正しい道を選び取ったのだから、もう苦しまなくていい。
腹が立つのはあの男だ。もっともダルコ伯爵は私を部屋に閉じ込めようとしただけで、手籠めにしようとは思ってはいなかったようだけど。なんたってダルコ伯爵は巨乳好き。こんな貧相な胸の小娘になんの興味もないらしいから。それはそれで余計に腹が立つ。
「にしても、よりにもよって王宮の中でこんな思い切ったことをしようとするなんて、後々問題になるとは思わなかったのかしら……。私が名乗り出たらあっという間にお縄だわ。王太子妃候補どころじゃないのに」
「父はきっと焦っていたんですわ。……実は先日、父に首を切られた使用人が横領の証拠を持ち出したんです。もしそれが公になれば、さすがに言い逃れはできませんから。けれどその前に王太子妃候補となれば、見逃してもらえるとでも思ったのでしょう」
「えっ⁉」
「横領の証拠だと?」
父の目がキラリと光った。
それは、ダルコ伯爵家が領地で悪事を働き国に収めるべき税を着服していることがすぐに分かる、決定的な代物だった。けれど大金を得てその使用人を金で買収すれば、証拠を取り戻すこともできるとダルコは考えたらしい。もしそれがうまくいかなかったとしても、王子の口利きがあれば見逃してもらえるとでも思ったらしい。だからこそどうしても、王太子妃候補という立場が欲しかったのだ。
「それが王家に渡れば、間違いなく罪に問われるでしょう。ですからその前になんとかしようと焦って暴挙に出たにちがいありません……。でもどの道そんな証拠があるのですから、ダルコ家が破滅するのは時間の問題だったのです」
ディクリーヌは悲痛な面持ちでそう叫ぶと、くっと顔を上げた。そして。
「私、覚悟を決めました。父を告発します……! 今夜陛下に父のしたことを申し出て、すべてを明るみに出すつもりです……! 娘の私もただでは済まないでしょうが、もう……よいのです。いっそ私の手ですべてを終わらせますわ‼」
そのきっぱりと迷いのない言葉に、父と私は思わず顔を見合わせた。
「ディクリーヌ様……。でもそれでは、ディクリーヌ様までさらし者に……」
実の父を告発する、それはつまり親子の縁を切るも同じこと。確かにろくでもない親だったのだろうが、それでも心が痛まないわけはない。それに娘のディクリーヌだってただでは済まない。おそらく貴族位を失うだろうし、となれば平民として日々の糧を稼いで生きていくしかないのだ。
それに格好の噂話のネタになるに決まっている。もしそんなことになったら、この先の人生は茨の道だ。
「……後悔はしないかい? 父親を突き出すということは、今持っているすべてを失うことになるんだよ? 相当に厳しい道が待っているが、それでもかまわないと……?」
父の問いかけに、ディクリーヌはまっすぐ揺るぎない目でうなずいた。
「もういいんです……。どうせダルコ家にはもう何も残っていませんもの。お金も使用人も、母も父を見限ってとうに出て行ってしまいましたし……。もうこれ以上領民を苦しめるわけにはいきません……! それが娘の私の責任でもありますから……!」
そう告げたディクリーヌの横顔は、とても美しかった。思わずドキリとするくらいに。
その潔さは、なんだかルナとも重なった。短い一生でも十分に幸せで満たされていたと言い切った時のルナと。だから私はこの時決めたのだ。ディクリーヌの力になろうと。
「私……、あなたの決断を応援するわ! あなたのしようとしていることは間違っていないもの。きっと気持ちは複雑でしょうし、この先に大変なことは待ち受けていると思うけど……でも‼ あなたがそう決めたのなら、私は力になるわ。ディクリーヌ様」
そしてどうにかいつの日にか、ディクリーヌに幸せになって欲しい。心からそう思った。
私の言葉に、ディクリーヌは驚いたように目を瞬かせ、そしてふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます……。ラフィニア様。……私、ずっとずっと誰かに打ち明けてしまいたかったんです。ようやくこれで清々しましたわ」
私はディクリーヌの手を取った。
「ディクリーヌ様、私こそあなたに感謝してるのよ! あなたがきてくれなかったら、とんでもないことになってたかもしれないんだもの。だからどんと頼ってちょうだいっ。私はあなたの味方よ!」
あのエロ馬鹿男にその気がなくても、噂がたったというそれだけで貴族社会では命取りなのだ。いくらカインへの恋心が叶わなくても仕方ないと心のどこかであきらめているとは言え、ノートス家を父の代で潰すわけにはいかない。
いずれどこかの男性と結婚して婿に入ってもらいノートス家を存続せねばならないと考えれば、貞操の危機を守ってくれたディクリーヌは恩人も同然だ。
するとディクリーヌは、それまでの陰りのある表情からすっきりした笑みを浮かべて言った。
「感謝なんて……。あれはただの罪滅ぼしよ。……それと、もう様付けはやめてください。ダルコ家はきっと取り潰しだろうし、今さら貴族令嬢ぶっても仕方ないわ。呼び捨てにしてください。ラフィニア様」
「ええと、じゃあディクリーヌ? 私のこともラフィニアって呼び捨てにしてね!」
私のその頼みにディクリーヌはそれとこれとは話が別だと困惑していたけれど、最後には小さくうなずいてくれたのだった。




