第九話 視線と協議
此夢望にとって、大抵のことは興味の範囲外だった。
ただ、彼女が望んだのはただ一つ。
“FPSがしたい。”
それだけだった。
彼が彼女になった日も、さぷらいずという会社を辞め、びーすたーから籍を抜いた日も、彼が感じた絶望はたった一つだった。
“自分にはもうFPSをする資格が無い。”
その、たったひとつの絶望だったのだ。
だからこそ、立花勇人という男が鷺山めのこ(さぎやまめのこ)という少女になった時、彼は女になったということ以上に、その開けた視界と今まで以上に自由に動く指先と眼球と動体視力に、信じてすらいなかった神に感謝したのだ。
立花勇人は無神論者の人間だった。
彼が神に祈るのはトイレで壮絶な腹痛に苛まれている時と、友人との約束に遅れそうな時くらいのものだった。
そんな彼が絶望の縁に立ち目を覚ました時、性別は違えど若い体を与えられたことに気が付いた時、立花勇人はこの世界の誰よりも神に感謝したのだった。
此夢望としてストリーマー活動をしていく中で、彼女は彼女の推し周辺機器企業であるNOVA GEARからコラボの申し出を受け、ハレルヤとばかりに喜んだものだった。
NOVA GEARの担当者である加賀城遥斗と対面した時、彼はまず此夢望のファンであることを名乗ったのだった。
短い黒髪に、銀縁眼鏡に金色の細かい意匠が飾られたグラスコードを垂らした、黒のストライプスーツの上下を着た男性が軽く頭を下げて名刺を差し出す。
「初めまして、NOVA GEAR開発担当の加賀城遥斗です。私自身、此夢望さんの大ファンなので開発に関わることができて幸いです」
遥斗の名刺にはNOVA GEARのアイコンと共にヘッドホンの箔押しがされており、彼の推しがヘッドホンであるであろうことが示されていた。
「よろしくお願いします。俺もNOVA GEARの大ファンなので、こうしてお話を頂けて嬉しく思っています」
此夢望の言葉に、遥斗は笑みを浮かべて「こちらへ」とブースへ案内をする。
ブースはこぢんまりとしてはいるものの、来客は此夢望以外にいないようで静かだった。
「失礼します」
男性従業員がお茶を持ちブースへ入り、此夢望と遥斗の前へと湯呑みを置いて立ち去る。
「それでは、まずこちらからの希望なのですが、NOVA GEAR側としてはハイエンドモデルだけでなく、比較的安価な二〇万円台のものと五〇万円台のもの、そしてハイエンドモデルの三種類を提案させて頂きたいと思っています」
遥斗がiPadを取り出してモデルの説明を始めると、それを此夢望は頷きながら見つめる。
筐体のほとんどは黒色であり、イラスト部分のみ赤と白で描かれる予定のそれはNOVA GEARを好んで扱う鷺山めのこにとって好ましい色形をしていた。
「これ、発光部分はどこですか?」
「はい、電源部分と、この継ぎ目部分にLEDを仕込むことで七色までの発光を可能にする予定です」
「なるほど……うん、俺はそれで問題無いですが、肝心の中身はどのようなものを想定してるんですか?」
此夢望からの言葉に、遥斗はiPadに映る画面をひとつ捲る。そこには容量や排熱等の内容が細かく書かれており、全てを此夢望任せにすることなく、きちんと企業としての体裁も守るための内容が書かれていた。
「さすがNOVA GEARさん、ゲーマーが欲しいところをきちんと分かってますね」
書かれた内容を眺めた此夢望が頷くと遥斗は「ありがとうございます」と頬を緩める。
「この二〇万台のは、軽いゲーム用ですよね。そんなにガチガチにゲームをする人間じゃない用、つまりNOVA GEARに触れたことが無いけど俺のファンで多少ゲームをする人間用。そこから上がって五〇万台のはマイクラをやり込むような人間用かつ、俺のファンだけどNOVA GEARを使ったことの無い人間用。七〇万台のハイエンドモデルになると、スト6とかFPSをしっかりやり込む人間用、と」
「はい、その予定です」
そこで此夢望は顎に指を添えて、その細く滑らかな指で産毛すら生えていないのではないかと思わされる顎を擦る。
配信中は常にTシャツ一枚の彼女は流石に今日ばかりはシャツにジーパンを履いていた。その脚を机の下で組み替える。
「作りたくないですか?」
此夢望の突然の言葉に、遥斗は首を傾げる。
「フラッグシップモデルを。配信する人間用に作ったら売れるんじゃないかと思うんですよね。俺のファンじゃなくても、NOVA GEARの趣向を凝らしたフラッグシップモデル。FPSを、スト6をやりながら配信しても問題無いレベルの。どうですか」
その言葉に、開発を担当している遥斗の目が輝き、喉が鳴る。NOVA GEARは今までパソコンを主としながら周辺機器に重きを置いてきた企業だった。
そのNOVA GEARが、此夢望とのコラボでフラッグシップモデルを出す。それは全く新しく、何よりNOVA GEARを次のステージへと押し上げる提案だった。
「良い、最高の案です! ここにいたのが営業担当じゃなくて良かった、営業担当だと予算がだとか、想定販売数だとかに行くと思うんで」
「そこも大事だと思うんで、ハイエンドモデル以上は完全受注生産が良いと思います。紙、頂いて良いですか?」
遥斗から受け取った白紙にボールペンを流す。
黒々とした線が文字の形を取っていくのが気持ち良かった。一八歳の少女とは思えないほど、やや角張った美しい文字がその指先から生まれていく。
紙の上には、此夢望の文字で二〇万台・五〇万台は通常生産、ハイエンドモデル・フラッグシップモデルのみ受注生産かつ期間限定販売。の言葉が踊っていた。
「受注生産なら採算も取れるし、売り残しも無いので企業的にも安心だと思います。あとは転売目的の購入ができないですから。それから、期間限定にすることで工場稼働も限定的になります」
「良い案ですね、こちらが考えるとなると、全て完全受注生産にするか、あらかじめ数を作るかの二択になりがちなので」
「もちろん、それも良いとは思いますけど、ハイエンドモデルとフラッグシップモデルを購入する層は狭いと思うので」
此夢望の言葉に、遥斗は確かにと頷く。
「望さんはストリーマーなので、弊社では最初写真を箔押しとして使う予定でしたが、望さんをイラストにして箔押しにすることになりました。イラストに関しては、以前から此夢望さんのファンアートを描いていたチンション爆上げ侍さん、村田さん、全裸尻ペンペン丸さん、おっぴろげ之スケトウダラさん、春咲野薔薇さんの五名の中から一番弊社のイメージに合うチンション爆上げ侍さんを第一候補としています」
挙げられた五名のイラストとアイコンがiPadに並べられていく。
硬派でありながら可愛らしさを残すチンション爆上げ侍のイラストに、完全に耽美系へと振りどこか九〇年代を思わせる春咲野薔薇のイラスト。イラストを添えて切り抜き師として活動するおっぴろげ之スケトウダラは此夢望のショート動画を見たことのある人間なら一度は目にしたことがあるだろうイラストであり、一筆書きながら妖艶さすら覚えさせられる村田のイラスト、そして赤と黒の色遣いにハッと息を飲まされる全裸尻ペンペン丸のイラストが並ぶ。
「俺はこの中だとチンション爆上げ侍と全裸尻ペンペン丸のイラストがNOVA GEARさんには合うと思います」
「はい、弊社もその二名で迷いました」
「俺はイラストレーターのことは詳しくないんで、そちらに一任します。パソコンの試作機が完成したら一報ください。一度触ってみたいので」
「もちろんです。完成まで、よろしくお願いします」
頭を下げた遥斗に此夢望も頭を下げる。
「あ、此夢望さん、ぜひうちの社員食堂を使ってみてください。美味しいと評判なので。社員食堂は三階にあります」
そう笑顔で告げられ、此夢望は帰宅するつもりだった足をエレベーターへと向けたのだった。




