第三三話 浴室と寿司
Tシャツにジャージだけを履いた鷺山めのこの姿に右往左往が「え?」と思わず声を漏らす。
「準備できたから行くか」
「お前、それで準備できたって嘘だろ。流石に目立つって! お前ストリーマーなんだから!」
右往左往が彼のボディバッグに引っ掛けていた黒いスポーツキャップを外してめのこへ被せようとして数瞬悩んで、「髪後ろで纏めてくれね?」と告げる。そんな右往左往に、めのこはめんどくさそうな表情を浮かべてから仕方ないと言いたげな様子で後ろで髪を団子に纏める。そのめのこの頭にスポーツキャップを被せてやる。
「ちょっとは変装しろよ。普段外出る時どうしてんの?」
「基本的にコンシェルジュ頼みだから出ないけど」
「そういえば超高級マンションに住んでたわ、お前」
右往左往は思わず笑ってボディバッグを背中へと回す。
めのこは鞄すら持たず、ポケットにスマートフォンを突っ込み、鍵と玄関に置きっぱなしだったATAOの財布もポケットへ同様に突っ込む。
「望、鞄は?」
「飯だけだろ? いらね」
Tシャツにジャージ、更に口を開けた鮫のスリッパを裸足で履いためのこに右往左往は言葉を失い、そして「望らしさか、これが」と苦笑を零す。
玄関扉を開けた望に、右往左往が並ぶ。
シャツにスラックス、革靴を履いた右往左往とTシャツにジャージのめのこが並んで歩くと、どうにもちぐはぐだった。
「鍵は?」
「オートロック」
「やっぱすごいな、望の家。高級マンションって感じ」
めのこは右往左往の言葉に興味すら浮かべずにポケットへ両手を突っ込んで猫背で歩いている。その隣を、右往左往は綺麗に伸びた姿勢で歩くのだ。
「お前、くらで良い?」
「どこの寿司も好きだな、俺は」
「俺、くらが一番好きなんだよな。ビッくらポンあるし」
望の言葉に、右往左往はまた笑う。
「お前さ、なんで手袋つけてんの?」
「昔からの癖なんだよな、手袋」
「ふうん」
右往左往の手にはめられた白い手袋を眺めためのこが問いかけるも、返された言葉に一切の興味を失ったような返事をしてめのこはそのまま歩を進める。
そこで右往左往は少しだけ嬉しくなったのだ。
大抵の人間は、右往左往のそういったところをおかしいと言うから。彼の、ただ出かけるだけでピシッと整えられた服に髪に、手袋に、めのこは何も言わない。それに、どこか救われたような気すらした。
そんな右往左往に気後れすることなくTシャツにジャージで出てくるめのこに、彼はここにいて良い、お前はただの人間だ、普通だと言われたような気すらしたのだ。
パコパコと間抜けな音を立てて歩くめのこの隣を右往左往が歩く。明らかにちぐはぐな二人の姿に通行人の好奇を含んだ視線がめのこと右往左往を見つめる。それにもめのこは一切の興味を抱いていない様子だった。
「望は人の視線とか気になんないの?」
右往左往の疑問に、めのこは自分よりも一五センチは高いところにある顔をうっそりと見上げて、キャップに隠れて見えなかった顔を見るためにツバを上げて、どこか迷子のような表情を浮かべる右往左往を見つめて、それから唇をへの字に曲げて興味をあまり感じさせない表情を浮かべる。
「……俺のこの人生は、神様からもらったおまけみたいなもんだし、人の視線に怯える時期はもう過ぎたから。日本人って、結構勝手だしな。しゃんとしろよ、寿司食うんだろ?」
めのこはキャップを被り直すと、普段通りの勝ち気な笑みを浮かべて軽く背筋を正して右往左往の背中をポンと一つ叩く。
時にステッキすら持って歩くほどにしゃんとした服装を好む右往左往は、めのこの言葉に少しだけ救われて、そしてまたひとつの疑問を抱くのだ。
“おまけのような人生とは、どういう意味だろう。”
しかし、右往左往はそれを問いかけるほどの勇気が無かった。
どこか、踏み込んではいけない部分のような気がしたのだ。
到着したくら寿司の中、並んでいる人々の中をめのこはずかずかと歩き端末を操作する。スマホで予約をしているお客様の欄をスマホの角で触れて席番号を取り出す。
「行こうぜ」
「予約してたんだ」
「そ、着替えてる時に。昼時に並ぶのって馬鹿らしいだろ。腹減ってるし」
めのこはそう告げて並んでいる人々を後目に右往左往を連れて四人がけのテーブルへと座る。
端末を取ると、ビッくらポンを有りにしてからスポーツキャップを脱いで座席へ置いて、早速と言わんばかりにえんがわを四皿頼む。
「最初から同じの四皿!?」
「俺、えんがわ好きなんだよな。こういう回転寿司のえんがわが良い。良いとこのやつはヒラメだろ、大体。カレイの脂っぽいのが好きなんだよな」
めのこから端末を受け取った右往左往はうんうんと唸って悩んでからハマチと赤身を頼む。
「好きなもん無いの」
めのこの言葉に、右往左往が顔を上げる。
「悩んだだろいま。好きなの頼んだら良いのに。ここ、俺とお前しかいないんだから」
早速届いた縁側に醤油をそのままかけて山葵を擦り付けて一口で食らいつく。
下品にも見えるその食べ方がいかにも自由で、右往左往はめのこが少し羨ましくなる。
その言葉に押されて、右往左往は少しだけ躊躇してから炙りサーモンとサーモンサラダを二皿頼む。
「お前、サーモン好きなの」
「子供っぽいから、普段食わないんだけど」
「別に子供っぽくないだろ。塩鮭食ってるヤツが子供っぽいか? 日本のありがちな朝食だろ」
えんがわをぺろっと三皿食べ終わっためのこが再びえんがわを頼む。そして、一皿だけのハマチ。
「白身、好きなんだよな。なんかあんま生臭くないから」
「生臭いの苦手?」
「生魚の、なんか腥みが苦手。でも寿司は好きなんだよな。だから白身しか食わない」
「焼き魚は?」
「フグの一夜干ししか食わない」
めのこの言葉に、右往左往は思わず笑う。
あまりにも自由で、自分も彼女のように自由に生きられていたら気楽だったのだろうかと思うのだ。
しかし、そう思うにはめのこの一言が引っかかっていた。
“人の視線に怯える時期はもう過ぎたから。”
それは、彼女がかつて人の視線に怯えていたことを示しているように思えたのだ。いまはこんなにも堂々と生きている彼女が。
二人揃って三二八〇円分を食べ終えると、めのこが卓上に置かれた伝票を取る。
「PayPayで良い?」
右往左往の言葉に、めのこはスポーツキャップを被りながらにんまりと笑う。
「次の飯は奢れよ。高いとこ行こう、鉄板焼き! ステーキ!」
めのこの言葉に、右往左往は眉を下げて笑う。
「次はサイゼな、サイゼ! ステーキなんか行ったらくら寿司二回分だろ!」
「良いだろ、次はテュールとかアレックス・ほっとけも呼ぼうぜ」
その一言に彼は一瞬瞠目する。
これから先も彼女との縁は永劫続くと言われたかのような、そんな気がしたのだ。
「帰るぞ。今日も帰ったらGTAすんだろ」
「あ、お前警察のこと暇にしないためにって名目でギャング全員で犯罪しまくってるだろ! マジで大変だからな!」
「暇しないだろ? チェイスの練習もできてWinWin、な?」
「WinWinな? じゃないわ。マジで大変だから。……まあ良いか、ありがとな。こっちのことも考えてくれて。望がハマってくれて良かった」
右往左往の言葉に、めのこは少しだけ言葉を噤んで、そしてゆっくりと息を吐き出す。
「んー……そうだな。もったいなかったなって思って」
めのこが精算機の前でPayPayで支払ってから自動ドアへと歩を進める。
「もったいなかった?」
「お前が誘ってくれてから、二日遅れで参加しただろ、俺」
「ああ」
「初日から参加したかった。そうしたらもっと、俺は楽しめてたと思うから」
ポケットに手を突っ込んだままゆっくりと言葉を落とすめのこに、右往左往は言葉を惑う。そんな右往左往を、先を歩いていためのこが振り返る。
「来年は、最初の一日目から参加するから。またお前の敵で」
日が暮れ始め、夕日を背後にそう言っためのこに、右往左往は背筋がゾクゾクと粟立つ気持ちになったのだ。
彼女は、敵になったとしても決して右往左往を侮らない。
それが、オイルリグでの戦いで分かっていたのだ。
「……受けて立つよ」
「……帽子、次会う時に返すわ」
めのこは「じゃあな」と告げて、サメのスリッパでパコパコ音を立ててマンションへと向かって歩いていく。
それを、右往左往は黙って見送るのだった。




