第二七話 交戦と疲労
潤滑文和と対峙した夢梨さらばは細く、細く、聞こえないほどの呼吸を重ねてマークスマンライフルMk2をその腕に構える。
「ウロウロ! おーれ無理だって!」
さらばには届かないその無線が、ウロウロへ潤滑文和とRe:VIVAL、もしくはYOTSUBAの構成員が接敵したことを知らせるものだということを、さらばは理解していた。
思っていたよりも老獪な動きをする人間だと、さらばはその動きをじっとりと見つめる。
壁の角に隠れるさらばと、そこに射線を通しやすい壁に張り付く木箱の裏へ隠れる潤滑文和とは酷く相性が悪かった。
しかし、さらばにこの人間をダウンさせず逃げる択は存在しなかった。
この人物を自由にすれば、確実にフルーツポンチ〇ンポと仏はほっとけの脅威になることが分かりきっていた。だが、潤滑文和をダウンさせるには一瞬のキャラクターコントロールで壁から背中を離さないまま潤滑文和が隠れる木箱に密着するしかない。
分の悪い賭けだった。
これがVALORANTやAPEXなら一旦立て直しを図るほどの、分の悪い賭け。
頬が切れるかと思うほどの、緊張感の中でさらばは唾液をゆっくりと嚥下する。
時間をかければ潤滑文和の無線を聞いたウロウロが合流することは傍目にも明らかだった。
瞬きのひとつすら許されないほどの強い緊迫感に、さらばの口腔はすっかり渇いているにも関わらず、喉だけが唾液を求めて上下する。
体感では一時間が、二時間が経過したかと思うほどの、たった一分半の中でさらばの脳はこの状況における最適解をどうにかして弾き出そうとしていた。
「ここはイーブンで終わりません!? ね、さらばさぁん! 俺ほんっと撃ち合い無理なんですよぉ」
明らかに弱々しい声。
まるで本心かのようなその声音が本心で無いことはその動きが示していた。
「よく言う。VALORANTのランクは」
「そんなの決まってるじゃないですかぁ、アイアンですよ」
わはは、と笑い声を上げる潤滑文和に、さらばも口角を上げる。
「ほんとのこと、喋らせてやるよ」
さらばが一度壁から離れて二歩奥へと戻る。その足で反対側の壁へと近付き、ローリングで潤滑文和の対角線上の壁裏へ張り付く。
「うわあ! えー! それ、成功させます!?」
その潤滑文和の言葉に「やっぱりな」とさらばが思わず笑みを浮かべて、ゆっくりゆっくりと息を吐く。思わず呼吸を忘れていたのだ。
しかし、ここで緊張を解くことはできない。汗で滑る指を無理矢理親指で拭って、マークスマンライフルMk2を構える。
互いに対角線上。
隙を見せた方がダウンすることは分かりきっていた。だからこその、膠着状態。
この膠着状態で得をするのは潤滑文和だった。ウロウロはすぐにでも来るだろう。潤滑文和が耳に手をやり無線を送っている様子が見える。
だが、ここで急いては事を仕損じる。警察はさらばの隙を待っているのだ。
じわりと口内に滲んだ唾液を舌に絡めて口内を探り行き渡らせる。
そして、心を決めてマークスマンライフルMk2を拳銃へと持ち替える。その様子を見た潤滑文和が警戒を強める。
「弱いフリは終わりか?」
「やだな、なんのことですか? 俺、平和主義なんですよ、やめましょうよぉ」
「言ってろ」
さらばは一度息を整える。チャンスは一度だけだった。潤滑文和の隠れている木箱へ向かって壁から斜めに走る。そこは丁度、潤滑文和の射線が通らない唯一の場所だった。
「あ! え、逃げるんですか!?」
思わず声を漏らした潤滑文和の言葉に返さず、さらばは彼の目の前へとローリングで姿を現して体へ二発の銃弾を撃ち込み、即座に軍用マシンガンへと持ち替えて一気に弾を撃ち込む。
そのさらばの体へ、潤滑文和の銃弾が三発吸い込まれる。
「う、わ!」
潤滑文和のダウンを確認したさらばは、思わず天井を見上げて深々と息を吐き出す。呼吸も、瞬きすら忘れているほどの張り詰めた緊張からようやく解放されたのだ。
「潤滑文和、ダウン。夢梨さらば」
モニターの横に置かれていたすっかり汗をかいたスプライトを取り、一口飲み下す。
さらばには最後の仕事が残っていた。
到着した、青い制服に制帽を被ったウロウロが、そこに立っている。手には拳銃。
さらばは既に三発の銃弾を受けている。あと二発でも受ければダウンするだろう。つまり、彼女に許されているのは一発のみの猶予。
「ヘリも全滅、警察も俺以外全滅。敵は残り五人。……でも、手ぶらでは帰れないよなぁ!? なあ、夢梨さらば!」
ウロウロの良く通る声が、ビリビリとさらばの鼓膜を揺さぶる。
普段は此夢望に騒いでいる右往左往が、敵となるとここまで凛々しいのかと、さらばは僅かに背筋へと走る愉しみに唇へ笑みを浮かべる。
先程まで潤滑文和が位置取っていた木箱の裏へ、今度はさらばが位置取る。構えている銃はマークスマンライフルMk2。
「相手に不足無し、ってやつか」
さらばの言葉に、ウロウロが深く、深く息を吐き出す。
「俺は! めちゃくちゃ弱い!」
その宣言にさらばが思わず目を瞬かせる。
「副署長ののれんに柳川とか、潤滑文和のほうが、俺よりずっとずっと強い! でも! 俺は全員の期待を背負って署長になったから! 対戦、よろしくお願いします!」
ビリビリと鼓膜を揺さぶるほどの声。
そんなウロウロの様子に、望はスプライトを一口飲み下してからTシャツで指を拭う。
その様子は、穴熊を潤滑文和を相手にしているかのような緊迫感。
「対戦、よろしくお願いします」
ウロウロとは違い、静かなさらばの声に、ウロウロがもう一度深い息を吐き出す。
さらばの無線にジャバウォックからの無線が入る。
「救護、個人医、到着! Re:VIVAL蘇生開始します!」
だが、それでRe:VIVALの人員が増えるわけでは無いことは分かっていた。蘇生したとしても一度ダウンした身なのだ。
マークスマンライフルを構えたまま、木箱から半身を出す。ウロウロは一般人程度だと言っていた通りさらばから見れば隙だらけだった。先程まで撃ち合っていた穴熊や潤滑文和とは比べ物にならない。
しかし、だからこそさらばは決して彼を侮ることはしなかった。
手加減こそが、手を抜くことこそが、最も恥ずべきことであると、最も相手を侮辱する行為であると理解していたのだ。
さらばの耳には、ウロウロの何度も唾液を飲み下す音が聞こえていた。どれだけ緊張しているのかなど、察してしかるべきだ。それでも、彼は拳銃を持ってさらばの前にいる。
さらばも二発を受ければダウンする。
「……」
ひとつ息をして、望は半身でウロウロの様子を伺う。彼もまた、見よう見まねで半身でさらばの様子を見ようとしている。
それでも見え難いからだろうか。
その頭が、体が半歩壁から出る。
その頭を、マークスマンライフルMk2が正確に撃ち抜いた。
避けようとしたウロウロがそのまま後ろへと下がる。FPSプレイヤーならば決してしない動きだったが、それを指摘することも、そんなウロウロを揶揄することも無く、さらばは変わらず徹底的に敬意を持ってその頭へ銃弾を撃ち込む。
ウロウロがダウンしたことを、さらばが確認する。
彼女は深く、深く息を吐き出してゲーミングチェアへ深く、深く背を預ける。
そして無線を起動する。
「警察、ウロウロダウン。夢梨さらば」
『おつかれ、全部運び込むぞ!』
既に敵のいなくなった施設の中、さらば達は全ての物資を運び終える。
「おつかれー!」
「初の超大型犯罪、Re:VIVALに負けたのくっやしいわ!」
蘇生された鮫鑢が笑い、仏はほっとけが「どこが勝ってもおかしくなかった」と鮫鑢の肩を軽く殴る。
「お前、アイアンじゃないだろ」
潤滑文和へ絡むさらばに、彼は困ったように「はは」と笑う。
「どうも、でもまだイモータルですよ」
「十分だろ」
ふいに、ウロウロがさらばの前へと立つ。僅かに悔しそうな、小さな喉の音がさらばの耳に届く。
「ナイスファイト」
さらばの言葉に、ウロウロがようやく少し息を吐いて彼女の肩を殴る。そんなウロウロの肩を、さらばも殴って、それで終わった。
「ナイスファイト」
ウロウロのその言葉の後に、のれんに柳川の声が響く。
「署長ー! 最後負けたんですか!」
「うるせーうるせー! 最後はあの夢梨さらばだぞ! 健闘したわ俺も!!」
彼らの言葉を背に、さらばはヘリへと向かう。
お互いに健闘を讃えてそれぞれがヘリへと乗り込み自分たちの住処へと帰っていく。
何時間も掛かったかのように思えたオイルリグは、終わってみればほんの三〇分ほどの出来事だった。
さらばの体と心は、心地好い倦怠感に包まれていた。




