第二話 再起と出発
立花勇人は何も分からないまま、しかしバタバタと部屋を出る。
運転免許証に記されていた生年月日は、この体の持ち主が“一八歳”であることを示していたのだ。
自身がいた寝室とは別に二部屋とダイニングのある広い家の中、閉まっていた扉を開いた先に“スパロウ”が使っていた配信機材とゲーミングパソコンやモニター、ゲーミングチェアの一式が置かれていることを見て、冷たい床へとへたり込む。
「良かった……」
裸足に裸の太もも、オーバーサイズのシャツだけを着た姿で立花勇人……鷺山めのこはゲーミングチェアへと座り高さを調節してからデスクの高さ、モニターの位置や傾きを調整する。
かつて一八歳だった頃の勇人よりも小さな体をしていた。
パソコンの電源を付けている間に、めのこは指を親指から順番に折っていき、小指側から順番に開いていく。それから指同士を絡めて握ってからぐうと伸ばして肩を鳴らす。
それがめのこのルーティンだった。
起動音が鳴り、パソコンが立ち上がる。
ずっとやってきたVALORANTを立ち上げ、そのついでに癖になっていたTwitchをも立ち上げる。
そこでアカウントの作成を要求され、めのこは自分の名を“此夢望”として登録する。
FPSも同じ名を登録して、OBSを立ち上げてからめのこはマウスを握りキーボードへと指を置いた。
縦型モニターにはコメントが映し出される。使い慣れた黒地に赤が入ったヘッドセットを着けためのこが画面の右下隅に映っている。
勇人の頃からの癖で、ゲーミングチェアの上で胡座をかいためのこの姿に、ほんの数一〇人程度しか視聴数の無い中でいくつかのコメントがにわかに湧く。
しかしそのコメントのほとんどは“新規の女なんてまともにゲームもできないだろう”と侮るようなものばかりだった。
エロ売りをしてフォロワー数を増やすだけのアカウントだと思われていたのだ。
めのこはそんな様子を気にもしていない様子でロビーへと入る。
「初めまして、此夢望です。今日から配信活動を始めました、よろしくお願いします」
静かな声はどこか穏やかで、彼女をエロ売りするだけの女だろうと見くびっていたリスナーを驚かせる。
大抵、そういった女性配信者は高い声と甘えるような声音を出すものだったからだ。
「これから俺はVALORANTとAPEXをメインに活動していく予定です。良ければフォロー、お願いします。
これからYouTubeチャンネルも作る予定なので、できたらチャンネル登録も」
カメラを見てそう告げためのこは、モニターへと視線を移してロビーへと入る。
入り慣れたロビーの中、一番下のアイアンすら書かれていない完全新規のアカウントから始まった、EXPのひとつもないそれに、コメントが嘲る。
──ガチの初めてかよw
──どこまでやれるか期待w
──可愛いから無問題、望ちゃんおっぱい見せて
そんなコメントを一瞥して、めのこは目を閉じてゆっくりと呼吸をする。
「お前らのそのコメント、全部撤回させてやるからな。見とけよ。もし少しでも上手いと思ったらフォローしろ、俺との約束」
めのこの言葉に、コメントの向こう側のリスナーが「なら見ててやるよ」と居住まいを正す。
マッチングを待っているめのこが、不意に言う。
「飲み物用意してくんの忘れてた」
緊張してきたでも、上手くできるか不安でも無く、ただたったそれだけの言葉に、コメントに笑いが起きる。
──用意してこいよ
──ちょっとこの子可愛いか?
──容姿だけでフォローしました、応援してます!
「この試合終わったら用意してくるって、待っとけ」
可愛らしい容姿から放たれる粗野な言葉遣いに、コメントは少しずつ流れていく。誰かがサブスクを購入し、ギフトとして贈り、フォロワーが一人二人と増える。
「サブスクさんきゅ」
しかし、送られた言葉はそれだけだった。
とうとうメンバーが集まり、めのこがセレクトしたチェンバーがモニターの中に立つ。
静かにカウントが始まり、走り出したチェンバーの動きに味方の四人がおっかなびっくり走り出す。まだ慣れていないのだろう。
遮蔽物に隠れ、サイトを覗くことで敵の位置を確認する。
その、ほんの一瞬後だった。
チェンバーの銃口からマズルフラッシュが輝いたと思った瞬間、ヘッドショットの文字が流れて消える。
コメント欄は一気に静かになり、そして一つのコメントが上がった。
──まぐれだろ
そのコメントの直後、再びチェンバーのマズルフラッシュが画面に映る。
ヘッドショットの文字が再び流れ、消えていく。二度目には、まぐれだと言う人間はいつの間にか消えていた。
どうやら味方は苦戦しているらしい。その方向へと走っためのこは、対峙している敵キャラクターへとサイトを覗く。
狙っているのはたった一つ。
“ヘッドショット”だけだった。
三度、ヘッドショットの文字が流れて消えていく。
──元ダイヤかアセンダントだろ、こんなの
──元ダイヤに決まってんだろこれは
「言っただろ、撤回させるって」
赤く大きな瞳を猫のように細めてにんまりと笑みを浮かべためのこがキーボードを操作し、マウスを握る。
その最中でも贈られたサブスクとギフトに「サブスクサンキュ」「ギフトサンキュ」と返して、しかし視線はずっとモニターを向いていた。
結局、その日の一試合でめのこが打ち立てた記録は“四二キル”そのうちの二八キルが“ヘッドショット”だった。
「ちょっと飲み物取ってくるわ、コメントで場持たしといて」
めのこの言葉に、コメント欄が困惑の言葉で埋まる。
──場をもたせろって、俺たちは圧倒的に文字だぞ
──どうしろってんだ
──本日はお日柄も良く
──文字だけで話して何が楽しいってんだよ
一〇分ほどが経過しただろうか、リスナーが疲弊した頃にようやくめのこが戻る。
「冷蔵庫の中なにも無いからUberするわ」
──なんか買っとけよ
──いまの10分なんだった?
──俺が買ってきてあげるから住所教えて
「それな。住所は皇居と同じだから調べて送っといて」
コメントからのツッコミに笑っためのこがスマホを取り出す。最新のiPhoneだった。
シアンブルーのそれには、同色の全面保護ケースが付いている。
銀行アプリで確認すると、立花勇人だった頃の口座が何故か鷺山めのこのものになっており、そこには人生二回は遊んで暮らせるだろう金額が入っている。
それに思わず苦笑すると、近くのファーストフード店を選択する。
「なあ、マックの今季のおすすめ、何?」
──肉厚ビーフチーズロコモコ
──フィレオフィッシュ
──ざく切りポテト&肉厚ビーフ
「飲み物だって言ってんだろ。でもざく切りポテトは美味そうだからそれ貰い!」
──マックフィズブルーハワイは飲んで損ない
──ブルーハワイは青春の味がする
──爽健美茶一択
──結局コーラよ
──青春の味って、お前青春無かっただろw
──事実陳列罪で逮捕な
「ふーん、マックフィズブルーハワイ……これか。さんきゅ」
注文を終わらせためのこが再びモニターの前へと座る。
「さて、ランク行けるようになるまで続けるか」
握ったマウスに不敵な笑顔。
それが、此夢望の配信の“顔”になっていた。
結局、初配信で一五戦しためのこは最終キル数六二一、ヘッドショット四〇〇前後という脅威の数字で幕を下ろした。
SNSにも姿が無く、YouTubeアカウントも未だに作られておらず、TikTokもInstagramも無い、Twitchでしかいまは見ることのできない此夢望を、せめてXで見たい、配信予定を知りたいというリスナーは多くいた。
そんな彼らの願いを叶えるかのように、めのこは毎日のように配信をした。その姿は配信をしなければ忘れられるというような鬼気迫るものでは無く、ただひたすらに楽しくて仕方がないというかの様子だった。
配信中に食事やUberEATSをすることも少なくなく、食事中は音声を切ってただ淡々と食事をする様子がカメラに映し出されるだけの配信になっている。
食事姿も決して上品とは言えず、椅子の上に立膝をしてそこへ肘を乗せて黙々と食事をする。
自分で切り抜きを一切上げないため、此夢望を最初から追っているリスナーがYouTubeに切り抜きまで上げる始末だった。
そのリスナーがTwitch上で切り抜き許可を取ったところ、めのこはごく当然のように「好きにしろよ」とだけ返事をしたのだ。そのため、切り抜き師は本人公認として活動をしていた。
めのこをイラストにして切り抜いた動画音声と共に上げる者まで現れもしていた。
いつの間にか此夢望のフォロワーは四五万人を突破しており、有名配信者として名を挙げるほどになっていた。
そんなある日、めのこはようやくXにアカウントを開設したのだ。
『此夢望@FPSプレイヤー
@Konoyume_nozomu
TwitchでFPS配信してます。いつかYouTubeにも行く予定。対よろ』
たったそれだけのプロフィール。アイコンは普段自作イラストで切り抜きをしている切り抜き師の描いたミニキャラで、ヘッダーはお気に入りのゲーミングパソコンメーカーのロゴだった。
一番最初のポストは『X、はじめました』まるで「冷やし中華はじめました」のポスターさながらの言葉のみにも関わらず、一日で何万ものフォロワーが増えていく様子に、めのこは『流石に怖いからもう少し緩やかに増えて』と二つ目のポストを上げた。
Xのアカウントを作成しても、めのこの活動は変わらなかった。突発的にTwitchで配信を取ってVALORANTやAPEXで遊んで唐突にやめる。
だからこその中毒性があったのだろう。
そんなある日、XのDMにひとつのメッセージが届いた。
『初めまして、お忙しいところ失礼致します。
わたくし、株式会社さぷらいずの広報、葉山ヤマネと申します。今回、わたくし共のプロFPSグループびーすたーとのコラボをお願いしたく連絡させていただきました。
もしもご都合宜しければご返信頂けると幸いです。
株式会社さぷらいず広報 葉山ヤマネ』
かつて所属していた“さぷらいず”からの連絡に、めのこは数瞬言葉を失う。
そして、自分のそんな様子を心配そうに見つめてコメントを流すリスナーに笑ってみせる。
「さぷらいずからコラボしようぜって連絡来たわ!」
──マジ!?おめでとう!!!
──もしコラボしたらめちゃくちゃ応援するわ!
──FPSコラボならびーすたーと?
──いまさぷらいず、VTuberばっかだよな
──びーすたーはスパロウが好きだった
──Vじゃなくてストリーマーだったなwどこ行ったんだろうな
──ここは望の配信だからスパロウの話はXかチラ裏でやれよ
久しぶりに目にしたかつての自分の名前に、めのこは再び言葉を失ってから唇の端を持ち上げる。
「俺さ、さぷらいずの動画とか見たことないんだけど、結構強い感じ?」
──強い強い!いまVのFPS牽引してるのびーすたーだから!
──FPSのプロチームだからね
めのこは「ふぅん」と言葉を落としてからDMを開く。
『初めまして、当方そちらのことを知らず、今回のコラボについて配信で触れてしまいましたが問題無かったでしょうか?
コラボの件、ありがたく受けさせて頂きたいと思っております。よろしくお願い致します。
此夢望』
送り終わったメッセージに、めのこはギシリと音を立ててゲーミングチェアの背もたれへと凭れる。
「なんか、今日は疲れたからこれで終わるわ。おつ~」
配信を切っためのこはAPEXを開いて再びマウスを取る。この気まずさはゲームで解消するしか無いと思ったのだ。
その日、Xに三つ目のポストが増えた。
『さぷらいずのびーすたーさん?とコラボするかも』
一気に拡散されたそのポストには、かつての後輩たちからの反応も見受けられたのだった。




