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空の結び目  作者: 夕花


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- 47 -

 腕の奥で、痛みが脈打っていた。


 千綴は右手で左の上腕を押さえたまま、浅く息を吸った。指の間に触れるものがぬるい。押さえれば少しは止まるのかもしれない。そう思って力を加えた途端、傷の奥が鋭く跳ねた。


「千綴!」


 直嗣の声が近い。


 顔を上げる。


 エレディトもこちらを見ていた。フィンは半歩こちらへ動きかけている。


 その向こうで、女だけが動いていなかった。


 短い刃を下げたまま、千綴を見ている。


 胸元へ向かっていたはずの攻撃が、左腕を抜けた。


 千綴自身にも、どうしてそうなったのか分からない。身体を動かした記憶は、右足がわずかにずれたことしか残っていなかった。


 女の眉が寄る。


〔……どうなってやがる〕


 低い声だった。


 その視線が千綴へ残った、ほんの一瞬。


 直嗣が踏み込んだ。女が振り向くより先に、トンファーが横から迫る。短い刃が上がった。鈍い金属音が響く。


 受けた女の身体がわずかに流れた。足が一歩ぶん滑り、肩が沈む。


 それでも倒れない。


 もう片方の腕が動く。足元近くに戻っていた細身の刃が跳ね上がり、直嗣の脇へ走った。


 直嗣は追い切らない。トンファーを引き、半歩身をずらす。細身の刃がその前を横切った。


 女はすぐに姿勢を戻した。


 口元が歪む。


〔どいつもこいつも……!〕


 さっきまでより声が荒い。


 千綴は傷を押さえながら、その変化を見ていた。


 直嗣は女から目を外さない。


 エレディトも千綴の方へ完全には戻らず、ナイフを構え直している。


 フィンだけが、一度こちらを振り返った。


「千綴さん、動かないでください」


「……分かってます」


 返した声は、自分で思ったより掠れていた。


 腕は熱い。


 けれど、戦いは止まっていない。


 女が短い刃を握り直した。


 その視線が、ゆっくりと千綴から外れた。





 その視線が、フィンで止まった。


 ほんのわずかな変化だった。


 けれど、千綴には分かった。


 さっきまで女は、直嗣を中心に見ていた。正面で食らいつく直嗣を警戒し、その横から入るエレディトへも刃を回していた。


 今は違う。


 短い刃を構えたまま、女の身体がわずかに向きを変える。


 直嗣が踏み込む。


 女は正面から受けず、斜めに下がった。トンファーを短い刃で受け流しながら、細身の刃を一本だけ横へ走らせる。


 直嗣の足を止めるような低い軌道だった。


 もう一本は、エレディトの前へ回る。


「っ……!」


 エレディトがナイフで受ける。


 金属音が重なった。


 女はその間に、二人から少しだけ距離を取った。


 直嗣が身をずらした直後、その脇の地面が弾けた。暗がりから、乾いた音が遅れて届く。女へ踏み込もうとしていた足が、その場で止まった。


 女の視線は、もう直嗣には向いていなかった。フィンを見ている。


 千綴の背中に、別の冷たさが走った。


 フィンはまだ前線へ向いたままだった。


 直嗣の方へは、もう結晶を出していない。


 その分、エレディトの脇へ一本。千綴との間にも、さっき砕けたものとは別に薄い結晶を伸ばそうとしている。


 一人で、三方を見ていた。


 女の口元がわずかに歪んだ。


〔……お前が一番邪魔だ〕


 短い刃を持つ手が下がる。


 直嗣が動いた。同時に、離れた場所からまた何かが飛んだ。直嗣は前へ出るのをやめ、トンファーを返した。硬い音が鳴り、飛来した何かが別の方向へ逸れる。


 その横で、細身の刃がエレディトへ走る。


 エレディトが受ける。


 女自身は二人の方へ踏み込まず、そのままフィンとの距離を詰める。


 フィンが女へ顔を向けると、千綴の近くへ伸ばしかけていた結晶が止まった。代わりに、フィンの正面へ透明な塊がせり上がる。


 女はそのまま距離を詰め続ける。直嗣が遠距離からの一撃に足を止め、エレディトが細身の刃を受ける間に、フィンの前へ出ていた。





 千綴は女を見た。


 左腕がまた強く脈打つ。押さえている右手に力が入り、傷の奥で熱が跳ねた。


 それでも、視線は逸らさなかった。


 直嗣もエレディトも、女との間に残った攻撃を捌いている。女は二人の方へ戻らず、フィンへ近づいていた。


 その動きを追ううちに、胸の奥へ小さな引っかかりが残った。


 女へ意識を向けると、その感覚だけが妙にはっきりする。何を意味するのかは分からない。


 女とフィンの距離が、また縮まる。このままではまずい。


 そう思った瞬間だった。


 女の姿勢が沈む。


 フィンの正面で立ち上がっていた結晶が、さらに厚みを増した。


 直嗣が何か叫ぶ。


 エレディトも動いた。


 暗がりから、また乾いた音より先に何かが飛び込んでくる。


 千綴の喉が勝手に動いた。


「フィンさん!」


 声が出た時には、女も地面を蹴っていた。


 速い。


 さっきまで直嗣とぶつかっていた時より、さらに一段深く踏み込んでいる。


 フィンはこちらを振り向かなかった。正面の結晶へ手を向け、その向こうから来る女だけを見ている。


 千綴は一歩出ようとした。


 左腕に痛みが走り、身体が止まる。


 その間にも、女との距離は消えていった。





 フィンの前にせり上がった結晶が、さらに厚くなる。


 透明な面が重なり、女との間を塞いだ。


 女は止まらなかった。正面から、そのまま踏み込む。短い刃が振られる。結晶の表面が白く弾けた。


 一撃で終わらない。


 続けてもう一度。


 硬い音と一緒に、ひびが大きく広がる。


「っ……!」


 フィンが腕を上げた。足元から新しい結晶が伸び、割れかけた壁の内側へ重なる。


 その瞬間、離れた場所から何かが飛んだ。


 フィンの右側。


 そちらへ逃げれば当たる。


 反対側には、細身の刃が低く走っていた。


 千綴にも、それだけは分かった。


 逃げ道がない。


「フィンさん!」


 もう一度名前を呼ぶ。


 フィンは振り向かない。


 正面の女だけを見たまま、結晶へさらに厚みを足した。


 女の身体が沈む。次の踏み込みは、さっきまでより深かった。短い刃が結晶へ叩きつけられる。白い亀裂が一気に走った。


 次の瞬間、結晶の中央が砕けた。


 破片がフィンの前へ散る。


 それでも全部は抜けていない。


 砕け残った結晶が女の腕と肩へ当たり、勢いをわずかに削いだ。


 だが、止め切れなかった。


 女の身体が砕けた結晶越しにフィンへぶつかる。


 鈍い衝撃音。


 フィンの身体が後ろへ浮いた。


「フィンさん!」


 千綴の声が重なる。


 フィンは数歩ぶんの距離を飛ばされ、そのまま地面へ落ちた。肩から倒れ、続いて背中が強く打ちつけられる。身体が一度だけ転がった。


 それきり、動かない。


 エレディトの顔が変わった。


「フィンさん!」


 一歩、そちらへ出る。


 直嗣の声が飛んだ。


「エレディト!」


 短い。


 エレディトの足が止まる。


 女はもう、次へ向きを変えていた。


 細身の刃が戻る。


 離れた場所からも、また何かが飛び込んでくる。


 直嗣が前へ出て、エレディトと女の間へ入った。


 千綴も動こうとした。


 右足を出す。


 左腕に鋭い痛みが走り、身体が傾いた。


「……っ」


 歯を食いしばる。


 フィンは、まだ動かない。


 今すぐ確かめに行きたい。


 それでも、前ではもう直嗣と女がぶつかっている。エレディトもナイフを構え直していた。


 ここで自分まで前へ出れば、今度はまた誰かの手を取る。


 分かっている。


 分かっていても、目だけはフィンから離せなかった。


 直嗣のトンファーと短い刃がぶつかる。


 その音を境に、戦場から一人ぶんの支えが消えた。





 変化は、すぐに表れた。


 直嗣の横を細身の刃が走る。


 直嗣は自分で受けた。トンファーで弾き、戻ってくる刃の軌道から身をずらす。


 その間に、もう一本がエレディトへ回る。


 さっきまでなら、そこへ結晶が入っていた。


 今はない。


「っ……!」


 エレディトがナイフを立てる。刃と刃がぶつかり、火花が散った。受けた勢いのまま身体が流れる。


 そこへ、離れた場所から何かが飛んだ。


 エレディトが頭を下げる。


 エレディトのすぐ後ろで地面が弾け、乾いた音が遅れて届いた。


 立て直す前に、女が踏み込む。短い刃が来る。エレディトはナイフで受けた。刃の勢いに押され、エレディトはさらに後ろへ下がった。


 女は開いた距離をすぐに詰める。


 横へ流れた細身の刃が、今度はエレディトの下がる先へ回る。


 エレディトが身体を捻った。


 刃先が服を掠める。


「エレディト!」


 千綴は声を上げた。


 エレディトは返事をしない。


 女から目を離せない。


 直嗣が横から入ろうとする。


 その進路へ、離れた場所から一撃が落ちた。


 直嗣は踏み込みを切り、トンファーで軌道を逸らす。


 その一瞬だけ、エレディトと女の間に誰も入れなくなる。


 また短い刃が走った。


 エレディトが受ける。


 続けて細身の刃。


 避ける。


 その先へ遠距離からの一撃。


 今度は大きく身をかわした。


 足元が乱れる。


 そこへ女が詰める。


 さっきまで、フィンの結晶が埋めていた隙間だった。


 一つ受けるたびに、次の一つが残る。


 一つ避けるたびに、逃げた先へ別の攻撃が来る。


 千綴には、エレディトが急に弱くなったようには見えなかった。


 むしろ、同じだけ動いている。


 それでも、間に入っていたものがなくなっただけで、攻撃と攻撃の間が消えていた。


 直嗣も余裕があるわけではない。


 細身の刃を処理した直後に遠距離からの一撃が入り、さらに女の短い刃まで重なる。


 自分へ向かう攻撃を捌きながら、エレディトの方へ入ろうとしている。


 だが、そのたびに別の攻撃が直嗣の進路を塞ぐ。


 女は直嗣の方へ踏み込まず、エレディトを追った。直嗣が入ろうとする先には、次の一撃が飛び込んでくる。


 エレディトが一度だけフィンの方へ視線を動かした。


 ほんの一瞬。


 女はその隙を逃さなかった。


 短い刃が下から跳ね上がる。


 エレディトが反応し、ナイフで受ける。


 だが姿勢が浮いた。


 細身の刃が背後から戻る。


 エレディトが無理に身体を捻り、ぎりぎりでかわした。


 着地が崩れる。


 千綴の喉が詰まった。


 フィンはまだ動かない。


 エレディトはそちらを見られない。


 直嗣もフィンのもとへ向かえない。


 女だけが、二人にフィンへ向かう隙を与えないまま、さらに前へ出た。





 女はエレディトから目を外さなかった。


 直嗣が右から間合いへ入ろうとするたび、離れた場所から一撃が飛び込む。受ければ女に届かず、避ければそのぶん回り込む時間が増える。


 その間、エレディトへ向かう攻撃だけは途切れない。


 短い刃を受けた直後、細身の刃が足元を払い、かわした先へもう一本が回る。エレディトは身体を沈めて抜けたが、女はすぐに間合いを詰め直した。


 短い刃をナイフで受ける。


 押し返す前に女が短い刃を引き、空いたところへ細身の刃が戻ってくる。


「っ!」


 エレディトが身体を捻ったが、刃先が袖を裂き、その下の腕に細い傷を刻んだ。血が滲む。


 千綴は息を詰めた。裂けた袖の下に赤い筋が見えたが、エレディトは腕を下ろさず、次の刃へナイフを向けていた。


 直嗣がさらに距離を詰める。


 遠距離から飛び込んだ一撃に、直嗣の進路がずれる。女はそちらへ視線を向けないまま、エレディトへ刃を振った。


 直嗣は止まらない。


 トンファーで飛来した何かを弾き、そのまま斜めから踏み込む。


 女の細身の刃が一本、直嗣へ返った。


 直嗣が受ける。


 その瞬間、エレディトの目の前には短い刃。


 背後からは、もう一本の細身の刃。


 逃げる先には、遠距離からの一撃。


 千綴にも、重なり方が分かった。


 どれか一つなら避けられる。


 二つでも、エレディトなら間に合わせるかもしれない。


 けれど今は、その次まで残っている。


 エレディトが短い刃を受けた。


 背後へ回った刃を身体を沈めてかわす。


 そこで足が止まった。


 暗がりから、また何かが飛んでくる。


 避けるには遅い。


 受け止める手段も残っていない。


 エレディトの目が見開かれた。


 その射線へ、直嗣が割り込んだ。





 トンファーが、飛来した何かを横から叩いた。硬い音が鳴る。弾かれた一撃が、二人の脇を抜けて地面を抉った。


 直嗣は止まらない。そのまま身体を返し、エレディトの背後へ戻っていた細身の刃をもう一本のトンファーで受ける。火花が散った。


「下がれ」


 短い声に、エレディトが半歩だけ距離を取る。


 女が追う。


 直嗣が間へ入った。


 短い刃とトンファーがぶつかる。


 女はすぐに横へ身をずらし、正面では押し合わない。直嗣の脇へ向きを変えながら、細身の刃を一本引いた。


 黒い線が張る。


 戻ってきた刃が直嗣の背後へ回った。


 千綴は息を詰める。


 直嗣は振り向かなかった。


 肩を落とし、ほんの少しだけ身体をずらす。


 刃が背中のすぐ脇を通り過ぎた。


 その瞬間、暗がりからまた一撃が来る。今度は直嗣自身へ。トンファーが上がる。硬い音。弾かれた一撃が横へ逸れた。


 その間にも女の短い刃は止まらない。上から振り下ろし、続けて横へ払う。直嗣は一撃目を受け、二撃目をかわし、足を入れ替える。


 フィンの結晶はもうない。


 その代わりに、さっきまでなら結晶の壁が入っていた位置へ直嗣が先に動き、攻撃を受け止めていた。


 エレディトが呼吸を整えながら横へ回る。


 女の視線がそちらへ向く。


 すぐに細身の刃が一本飛んだ。


 直嗣が女の正面から離れないまま、トンファーの端でその軌道を弾く。


 刃がエレディトの前から逸れて戻る。


 女の眉が動いた。


 離れた場所から、また何かが飛ぶ。


 今度はエレディトへ。


「っ!」


 エレディトが身を引く。


 直嗣は女の短い刃を受けたまま、片足を踏み替えた。


 直嗣がもう片方のトンファーをエレディトの方へ突き出す。


 飛来した何かに触れ、乾いた衝突音が鳴る。


 軌道がわずかにずれ、エレディトの肩の外を抜ける。


 千綴は目を見開いた。


 直嗣は、女から目を外していない。


 そのまま、離れた場所からエレディトへ飛んだ一撃にトンファーを間に合わせた。


 ただ、その直後だった。


 背後へ回っていた細身の刃が近づき、直嗣が大きく身をかわす。追ってきた短い刃まで受けたところで、足が止まった。


 エレディトの方へ回ったもう一本までは、手が届かない。


 エレディト自身がナイフで受ける。


 火花が散った。


 直嗣はすぐに姿勢を戻す。


 さっきより早い。


 それでも、すべてを同時には処理し切れていなかった。


 千綴にも、そこまでは分かった。


 エレディトへ向かう一撃に手を伸ばせば、自分の側に隙ができる。


 自分を守れば、今度はエレディトまで届かない。


 さっきはエレディトへ届かなかったトンファーが、今は飛来する一撃に触れていた。それでも、続く刃を受けたところで直嗣の足が止まる。


 女が踏み込む。


 短い刃が直嗣へ走り、細身の刃が背後へ回る。


 さらに、離れた場所から何かが飛ぶ。


 直嗣が正面の短い刃を受け、背後へ回った細身の刃をかわす。


 その間に、遠距離からの一撃がエレディトへ向かった。


 直嗣の腕が伸びかける。


 だが、もう一本の細身の刃がその進路へ入った。


 直嗣はそちらを受けた。


 エレディトは身体を投げ出すようにして、遠距離からの一撃を避ける。


 着地が崩れた。


 直嗣が一瞬だけそちらを見て、女へ向き直った。その間が、さっきより短く見えた。





 女の短い刃が、直嗣の喉元へ走った。直嗣はトンファーを立てて受け、金属音が鳴るより先に横から戻ってきた細身の刃へ身体を沈める。刃が肩の上を抜けると、低い姿勢のまま足を入れ替え、女の懐へ半歩入った。


 女が距離を取ろうとする。


 そこへ、暗がりから何かが飛ぶ。


 直嗣は振り向かず、片方のトンファーだけを横へ払った。


 硬い音が一度。


 トンファーに弾かれ、一撃の軌道が横へ逸れる。


 その間にも、女が正面から次の短い刃を振る。


 受ける。


 押し返さない。


 角度だけを変えて流す。


 その脇を、戻ってきた細身の刃が通る。


 直嗣は半歩だけ身をずらし、刃をかわした。


 エレディトの方へ、もう一本が走る。直嗣の腕が伸びる。トンファーの先が刃に触れ、軌道を逸らした。エレディトはそのまま横へ抜ける。


「……!」


 千綴は息を止めた。


 直嗣は、ほとんど立ち止まっていなかった。


 女の短い刃を受ける。


 背後へ回った細身の刃をかわす。


 横へ流れたもう一本の細身の刃を止める。


 離れた場所から来る一撃まで逸らす。


 それでも、次の動きへ入るまでの間がない。


 女が一度、大きく距離を取ろうとした。


 直嗣は追う。


 細身の刃が二本とも戻る。


 一本は胸元へ。


 もう一本は足元へ。


 直嗣は上体を引かず、上の刃をトンファーで弾き、下の刃を踏み替えだけで避けた。


 そのまま前へ出る。


 女が短い刃で迎える。


 短い刃とトンファーがぶつかり、金属音が響いた。


 今度は直嗣の方が止まらなかった。


 女の腕が押し戻される。


 すぐに横へ逃げようとする。


 その進路へ、直嗣が先に入った。


 女の表情が強張る。


〔……何だ、それ〕


 低い声が漏れた。


 直嗣は答えない。


 離れた場所から、また一撃。直嗣は女の短い刃を受けたまま、身体をわずかに捻った。飛来した何かが脇を抜ける。その先にはエレディトがいた。


 エレディトが避けるより先に、直嗣のトンファーが伸びた。


 硬い音。


 軌道が逸れる。


 直嗣は一撃を弾いた反動でトンファーを戻し、正面の短い刃を押し返した。


 女が下がる。


 細身の刃が戻る。


 直嗣はもう、戻ってくる刃の軌道上にはいなかった。


 千綴には、直嗣の動きがいつ変わったのか分からなかった。


 ただ、直嗣はもう、次の動きへ間を置かず移っていた。


 女がまた踏み込む。


 直嗣も前へ出る。


 短い刃とトンファーがぶつかる。


 細身の刃が背後へ回る。


 さらに、遠距離からの一撃が重なる。


 直嗣は女の短い刃を受け、背後へ回った細身の刃をかわし、飛来した一撃を弾いた。


 そのまま女の懐に踏みとどまる。


 エレディトが横へ回った。


 女の視線が一瞬だけそちらへ動く。


 直嗣のトンファーが、すぐ目の前まで迫った。


 女が短い刃で受ける。


 鈍い音が響いた。


 今度は、女の足が下がった。


 千綴はそこで、ようやく気づいた。


 戦いの流れが、直嗣とエレディトの側へ傾き始めている。


 フィンが倒れた直後のように、一方的に押されてはいない。


 直嗣が正面を引き受けている。


 エレディトが、もう一度動けるだけの余白が生まれていた。





 エレディトが横へ回ると、女の視線が一瞬だけそちらへ動いた。直嗣はその間に距離を詰めた。


 トンファーが正面から振り下ろされる。


 女は短い刃で受けた。


 金属音が響く。


 すぐに細身の刃が直嗣の横へ回る。


 直嗣は身体を開いてかわし、戻ってきた刃の軌道をそのまま踏み越えた。


 女が下がる。暗がりから何かが飛び込む。直嗣は足を止めず、トンファーを短く振った。硬い音が鳴り、飛来したものが横へ逸れる。そのまま女との距離を詰める。


 短い刃が横へ走り、直嗣が受ける。背後へ回った細身の刃を振り返らずにかわし、足元を狙うもう一本も踏み替えだけで避けた。


 女の動きが少しずつ変わっていく。


 さっきまでは、直嗣を押し返しながらエレディトへ刃を回していた。


 今は、直嗣を止めるために細身の刃まで使っている。


 エレディトへ向かう攻撃が減った。


 それでも完全には途切れない。


 女は正面から迫る直嗣を短い刃で受けながら、片方の細身の刃を横へ飛ばす。


 エレディトがナイフで受ける。


 火花が散る。


 その隙に女が離れようとした。


 直嗣が追う。


 トンファーが脇腹へ向かう。


 女は身体を捻り、短い刃で軌道を逸らした。


 だが、そこで足が止まる。


 エレディトが反対側から距離を詰めていた。


 女はそちらへ向き直りかける。


 直嗣のもう一方のトンファーが迫る。


 受けるしかない。


 鈍い音が響き、女の腕がわずかに沈んだ。


〔……鬱陶しい〕


 吐き捨てるような声。


 女は身体を引き、細身の刃を二本とも戻した。


 一本を高く。


 もう一本を低く。


 直嗣の上下を同時に塞ぐように走らせる。


 その間へ、離れた場所からの一撃が重なる。


 千綴は息を詰めた。


 直嗣は上の刃をトンファーで弾き、低い方を足さばきで避けた。


 飛来した一撃も、身体を捻るだけでかわす。


 そのまま前へ出る。


 女が短い刃を振る。


 直嗣が受ける。


 今度は女の方が先に距離を取った。


 女が引いた足の先へ、直嗣が踏み込む。エレディトも横へ回り、女の視線がそちらへ動いた。そのたびに細身の刃が一本戻り、二人の間を行き来していた。


 短い刃がぶつかる。


 細身の刃が戻る。


 遠距離から一撃が来る。


 直嗣は全部を処理しながら、女との距離を開けない。


 女が下がる。


 直嗣が詰める。


 エレディトが横へ回る。


 さっきまでとは逆に、追われているのは女の方だった。





 それでも、攻撃そのものが鈍ったわけではない。


 細身の刃が一本、直嗣の横を抜ける。


 もう一本が背後へ回る。


 その間へ、暗がりから何かが飛び込んだ。


 女の短い刃が持ち上がる。


 金属音が鳴る。


 飛来した一撃の向きが変わった。


 直嗣はもう動いている。


 身をずらし、変わった射線から抜ける。


 そのまま女へ詰める。


 女が下がりながら、もう一度短い刃を上げた。離れた場所から、次の一撃。また金属音。


 今度は、直嗣がトンファーを短く出した。飛来したものに触れ、乾いた硬い音が一つ響く。


 千綴には何が当たったのか見えない。


 ただ、その直後に女の身体が横へずれた。


 短い刃が上がる。


 何かを受けたような金属音が響いた。


 女が直嗣を見る。直嗣は止まらない。正面の間合いを詰めたまま、トンファーを振る。女は短い刃で受ける。


 細身の刃が横から戻る。


 直嗣は刃をかわしながら前へ出る。


 女はさらに後ろへ下がった。


 暗がりからまた一撃が飛ぶ。女の刃が動くより先に、直嗣がトンファーを横へ払った。硬い音。次に、女のすぐ脇で何かが地面を弾いた。


 女が大きく身をかわす。


 その動きで、直嗣との距離が開く。


 エレディトが横から入った。ナイフが女の脇へ走る。女は細身の刃を戻して受けた。火花が散る。


 直嗣もすぐに詰め直す。


 女は二人を相手にしながら、離れた場所から来る攻撃までかわす。


〔……っ〕


 女の口から短い息が漏れる。


 離れた場所から、次の一撃。


 直嗣がまたトンファーを合わせる。


 金属音。


 今度は、飛来したものが女の正面へ向かった。


 女は短い刃で受けた。


 鈍い衝突音が響き、女の腕がわずかに押し戻される。


 その隙へ直嗣が入る。


 トンファーが肩口へ迫る。


 女は身体を沈めて回避したが、その先にはエレディトがいる。


 ナイフを避けるため、さらに横へ逃げる。


 細身の刃を引き戻し、二人との間に置く。


 遠距離からの一撃が、また来た。


 直嗣が触れる。


 女が避ける。


 もう一度。


 直嗣が逸らす。


 女が受ける。


 千綴にも、ようやく分かった。


 さっきまで女がやっていたことを、今は直嗣が返している。


 見えない一撃そのものを止めるのではない。


 わずかに向きを変え、女が無視できない場所へ流している。


 女がそれまで利用していた一撃を、今度は避けたり、刃で受けたりしている。


 女の顔から、さっきまでの余裕が消えていた。





 暗がりから、次の一撃が飛び込んだ。直嗣がトンファーを合わせる。硬い音。飛来したものは斜めへ逸れ、女の足元近くで地面を弾いた。


 女が踏み替えて避ける。その間に直嗣が詰める。短い刃が上がる。トンファーとぶつかる。


 細身の刃が一本、横から戻ってきた。


 直嗣は肩を引いてかわす。


 もう一本はエレディトへ向かった。


 エレディトがナイフで受けた。


 火花が散る。


 女はすぐに距離を取り直そうとした。


 また、離れた場所から一撃。


 直嗣が触れる。


 今度は女の肩口へ向かった。


 女は短い刃で受ける。


 鈍い音とともに、女の腕が下がる。


 そこへ直嗣のトンファーが入る。


 女は身を捻って避けた。


 だが、避けた先にはエレディトがいた。


 ナイフが走る。


 女は細身の刃を引き戻して受ける。


 金属音が三つ、ほとんど続けて鳴った。


 続けざまに響いた金属音に、千綴は息を詰めた。女の刃が直嗣とエレディトの間を行き来し、身体もそのたびに向きを変えている。遠くからの一撃が来る前のように、二人へ踏み込む姿は見られなかった。


 女が一度、大きく横へ抜けた。直嗣は追う。エレディトも反対側から距離を詰める。


 離れた場所から、また何かが飛ぶ。


 直嗣がトンファーを短く振る。


 硬い音。


 女は避けた。


 そのために踏み込みが止まる。


〔……チッ〕


 舌打ちが聞こえた。


 次の瞬間、女が細身の刃を二本とも自分の近くへ引き戻した。


 黒い線が張り、二本の刃が女の左右で止まる。


 直嗣が前へ出る。


 女は短い刃で受け、細身の刃を片方ずつ回す。


 離れた場所からは、何も来なかった。


 千綴は一瞬、暗がりへ目を向けた。


 何も見えない。


 乾いた音もない。


 女の刃が直嗣へ走る。


 細身の刃の一本を受ける。


 もう一本をかわす。


 正面の短い刃を押し返す。


 エレディトが横から入る。


 女は細身の刃を戻して止める。


 それでも、離れた場所からの一撃は来ない。


 直嗣も気づいているようだった。


 それまで時折、飛来する一撃へ合わせて横に払っていたトンファーが、今は女の刃へ向いたままだった。


 女の正面から間合いを詰める。


 女が下がる。


 細身の刃が二本、直嗣との間へ走る。


 直嗣は片方をかわし、もう片方を受けた。


 そのまま距離を詰める。


 女は短い刃で迎える。


 ぶつかった。


 鈍い音が響く。


 エレディトが横へ回る。


 女はそちらへ細身の刃を一本向ける。


 もう一本は直嗣を止める。


 女の左右へ細身の刃が走る。千綴はその向こうの暗がりにも目を向けたが、二人の間へ新しい一撃が割り込むことはなかった。


 女が直嗣のトンファーを受ける。エレディトが横から入る。細身の刃をそちらへ回す。その瞬間、直嗣がさらに前へ出た。


 女はもう一本を戻す。


 今度はエレディトが踏み込む。


 女の身体が、少しずつ後ろへ押されていった。





 短い刃で直嗣のトンファーを受け、細身の刃を引き戻してエレディトを止める。


 それだけで、女の足はまた後ろへずれた。


 さっきまでのように、受けたあと自分から踏み込む余裕がない。


 呼吸が荒くなっている。


 口元を押さえる暇もないまま、短く咳き込んだ。


 次の瞬間、唇の端に赤いものが滲む。


 それでも刃は止まらない。


 直嗣のトンファーを受け、細身の刃を引き戻し、エレディトのナイフを弾く。


 女が前へ出ようとすると、直嗣のトンファーが迫る。横へ身体を向ければエレディトのナイフがあり、引いた足もすぐに追いつかれていた。


 女は細身の刃を二本とも近くへ置いたまま、直嗣の攻撃を捌き続けた。


 高い方でトンファーを止め、低い方で踏み込みを牽制する。それでも直嗣は止まらず、女はまた後ろへ押し込まれていく。


 エレディトが回り込む。女はそちらへ細身の刃を向ける。その瞬間、直嗣のトンファーが正面へ入った。短い刃ごと、女の腕が沈む。


〔……っ、くそ……〕


 声が掠れた。


 女は身体を捻り、どうにか直嗣の前から抜ける。


 だが、その先へエレディトが入った。


 ナイフが走る。


 女はもう一本の細身の刃で受けた。


 火花が散る。


 また咳き込む。


 今度は赤い飛沫が足元へ落ちた。


 千綴は右手に力を込めた。


 それでも、女は倒れない。


 直嗣が詰めれば、女は短い刃を向ける。エレディトが横へ動けば、細身の刃をそちらへ回す。


 刃が直嗣とエレディトの間を行き来し、女の身体も慌ただしく向きを変えていた。


 直嗣がトンファーを返すと、女は細身の刃で防ぐ。その反対側からエレディトが詰める。


 女は後ろへ下がりながら、直嗣とエレディトへ刃を回す。


 刃を戻すたび、女の足がまた一歩下がる。咳の合間に漏れる息が、千綴のところまで聞こえていた。





 直嗣が、また正面から入る。女は短い刃を上げた。トンファーとぶつかる。


 細身の刃が一本、直嗣の横へ回る。


 直嗣はかわす。


 もう一本がエレディトへ向く。


 エレディトが受ける。


 その間に、直嗣がさらに踏み込んだ。


 女は下がる。


 短い刃を返し、トンファーを受け流す。


 それでも距離が開かない。


 直嗣が追う。


 女が横へ逃げようとする。


 エレディトがそこへ入る。


 ナイフが走った。


 女は細身の刃で止める。


 その瞬間、直嗣のトンファーが正面から迫った。


 短い刃で受ける。


 鈍い音。


 女の身体がわずかに沈んだ。


 咳が漏れる。


 赤いものが口元に滲む。


 それでも、女は刃を離さない。


 直嗣を見た。


 ほんの一瞬だけ、直嗣と女の動きが止まったように見えた。


 次に動いたのは女だった。


 短い刃が直嗣へ走る。


 直嗣が受ける。


 細身の刃が二本とも動く。


 一本は直嗣の背後へ。


 もう一本はエレディトの前を横切った。


 直嗣は背後の刃をかわした。正面の短い刃を押し流す。女が身体を返す。その先へエレディトが入った。


 女はすぐに細身の刃を戻した。


 ナイフを止める。


 短い刃は、まだ直嗣へ向いたままだ。


 千綴には、女の視線が直嗣から外れ、エレディトへ向くのが見えた。


 ほんの一瞬。


 直嗣が動いた。


 トンファーを振り抜く。


 女が振り向く。


 間に合わない。


 トンファーが頭部を捉え、鈍い衝撃音が一度だけ響いた。


 女の身体が揺れた。


 手から短い刃が落ちる。


 金属が地面に当たって跳ねた。


 細身の刃も、張っていた線ごと地面へ落ちる。


 女の膝が折れる。


 直嗣がすぐに腕を伸ばした。


 倒れ込む身体を支え、そのまま地面へ下ろす。


「朝倉さん……?」


 千綴の声が掠れた。


 直嗣は答えず、女の顔を見た。


 呼びかける。


 反応はない。


 胸元へ視線を落とす。


 少し待ってから、直嗣が短く息を吐いた。


「気を失ってる。ひとまずは終わりだ」


 エレディトが近づく。


 それでもナイフは下ろさない。


 直嗣も立ち上がらず、倒れた女から目を離さなかった。


 一度は死んだように見え、それでも立ち上がった相手だ。


 千綴も、すぐには息を吐けなかった。


 女は動かない。


 離れた場所からの攻撃も、もう飛んでこなかった。


 ただ、静かになっただけだった。


2026/10/11 全体改訂

2026/09/19 編全体校閲による品質向上による修正

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