第四十二話 王都の光と影
宿の窓から見える朝の王都は、別の世界だった。
石造りの建物が何百棟も並んでいる。貴族の館に商人の店、職人の工房、教会の尖塔。ヴェルディア領の館が七つ入るような建物が、視界の中に十棟以上ある。
人口が違う。領地全体で八千人の場所から来た俺には、城壁の内側に何万人がいるのか見当もつかなかった。
「術野の目」は昨夜から止まっていない。
朝食を終えて宿を出た。鑑定院への道を確認するために、一度街を歩いた。
(見える。止まらない)
貴族街は表面が綺麗だった。しかし「術野の目」は内側を見る。石積みの目地が弱っている建物。給水路の腐食。路面の下に空洞がある区間。
商業地区に入った。看板が揺れていた。「あの鎖が切れそうだ」と思った。水路の詰まりが二か所。路上の排水が機能していない場所が三か所。
(見るな。今は関係ない)
貧民街の近くを通った時、「術野の目」が強く反応した。
古い石造りの長屋が並んでいた。東3区だとクルトが言った。
見た瞬間に分かった。
(これは危ない)
二棟が崩落リスク高だった。壁の傾き、石積みの歪み、屋根の重さで外壁が外側に広がっている。一雨で崩れる水準に達している。
「若様、顔が変わっています」とクルトが言った。
「……あの建物を見てください」
クルトが向いた。「古い建物ですが」
「崩れます。今すぐではない。でも次の大雨で崩れる可能性があります。人が住んでいますか」
クルトが周囲を見た。窓から子供の声がした。「住んでいるようです」
「……今は動かない。記録だけする」
その言葉が出るのに一拍かかった。
宿に戻って手帳を開いた。「貧民街・東3区・石造りの長屋群・崩落リスク高・要対処」と書いた。昨夜書いた記録を確認した。場所の特定を追記した。
クルトが「本当に動かないんですか」と聞いた。
「今は動けません。鑑定院への出頭が先です。それが終わってから、方法を考えます」
「でも崩れるかもしれないんでしょう」
「……分かっています」
夜、宿の燭台の前で考えた。
王都には直すべきものが多すぎる。貧民街の建物だけではない。給水路、排水、路面、橋。何百か所と言わず、もっとあるかもしれない。
なぜ、これだけ問題が放置されているのか。
(教会は医療だけ独占している。他のことは誰が守るのか)
治癒魔法は教会の管轄だ。それ以外の問題は、誰も正式には担当していない。土木は領主任せ。衛生は各自の判断。体の病は教会の権限。
「なぜ教会は医療だけを独占するのか」という問いが頭の中で形になった。
答えは出なかった。
(出頭が先だ。考えるのは後でいい)
明日、王立鑑定院に向かう。院長代理ルドルフ博士という人物との面会が待っている。「ただの辺境の子供として振る舞う」という方針で臨む。
しかし手帳の「東3区・崩落リスク高」という文字は、消さなかった。




