第三十話 母の言葉
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、12時・15時・18時・21時・23時に投稿します。
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記録整理をしていると、扉が静かにノックされた。
「入っていいですか」と母の声がした。
「どうぞ」
ヘンリエッタが入ってきた。四十八歳の母は、いつも穏やかな顔をしている。今日もそうだった。でも何かを決めて来た、という静かさがあった。
「少し話しましょう」
「はい」
母が椅子に座った。燭台の明かりが揺れていた。俺は書類を脇に置いた。
「あなたは転生者なのでしょう」と母が言った。
俺は答えなかった。
答えられなかったのではなく、答えないことが正しいと思った。認めも否定もしなかった。
「答えなくていい」と母が続けた。「ただ、あなたが何者であっても、私の子供であることは変わらない」
俺は母を見た。
(この人は最初から知っていたのかもしれない)
橋の時も。ヨハンを救った夜も。母は必ずどこかにいた。何も言わなかった。でも観察していた。
「なぜ今日、この話を」と俺は聞いた。
「調査団が来ると聞いて。あなたが一人で抱え込まないように」と母が答えた。「一人でやっているつもりになっていませんか、と思って」
「……そんなつもりはないです」
「分かっています。でも、念のため」
母が立ち上がった。ドアに向かいながら、振り返った。
「あなたが五歳の頃、目が変わりました。体が子供でも、目だけは別の人間の目だった。聡いというより、経験の深い目でした。あの時から、何かが違うと思っていました」
俺は何も言わなかった。
「それでいい。言わなくていい。私はただ、知っている、ということを伝えたかっただけです」
「……ありがとうございます、母上」
「おやすみ、レオン」
「おやすみなさい、母上」
扉が閉まった。
俺はしばらく書類を見ていなかった。
(一人ではなかった。最初から)
父が信じてくれた。長兄が実務として動いてくれた。ミリアが一緒に動いてくれた。ボロスが腕を貸してくれた。クルトが体を張ってくれた。村長たちが証言してくれる。
そして母は、ずっと知っていて、ずっと待っていた。
「レオン・ヴェルディアとして生き直す覚悟が要る」と思ったのは、転生してから初めてだった。
三上哲也として生きた六十七年は終わった。それは終わった話だ。でもあの年月で培った目と手と知識は、今ここにある。それがこの世界で「術野の目」として機能している。
どちらでもなく、どちらでもある。
書類の整理を再開した。翌朝は早起きして、バルカ村の石材産業の準備を進めるつもりだった。調査団の準備と前向きな活動は、同時に進む。止める理由がない。




