第三話 橋の声を聞く
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、12時・15時・18時・21時・23時に投稿します。
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翌朝、手帳を持って館の外に出た。
秋の空気が冷たかった。十五歳の体は寒さに敏感だ。前世の半ばを過ぎた頃からは、この程度の朝は何でもなかったのに、と思いながら外套の前を合わせた。
特に目的地を決めていたわけではなかった。ただ、この領地を「診て」みたかった。
(医師が術前に患者の全体像を把握するように、まずはこの領地を全部見てみる)
手帳に見取り図を描きながら歩いた。
館の北側の畑。土の色が浅い。表土が薄く、栄養分の乏しい色をしていた。(養分切れが近い。あと二、三年で収穫量が落ちる)手帳に書き留める。
西の井戸。石組みの隙間に苔が入り込み、一部が緩んでいた。(今は大丈夫だが、次の大雨で崩れるかもしれない)
館の屋根の東端。瓦の一枚が微妙にずれていた。(冬の前に直さないと雨漏りが始まる)
それぞれを記録しながら歩いていると、「術野の目」が自然に反応しはじめた。特に集中しなくても、問題のある場所が薄く光るように見える。ただし光った箇所を正確に診るには、立ち止まって意識を絞り込む必要がある。これは前世になかった感覚だ。人体を診る時にも同じ現象があったが、領地全体が患者として映るのは初めての経験だった。
館から村を結ぶ道を下ると、川沿いの木橋に差しかかった。
何気なく渡り始めた瞬間、「術野の目」が強く反応した。
(……待て)
足を止めた。
橋の支柱に意識を向ける。木の表面は普通に見えた。しかし水面の下、川底に近い部分に意識を向けると、支柱の一本が内側から腐食していた。
(これは深刻だ)
腐食の範囲が広い。表面は固く見えても、中心部がすでに空洞化していた。あと一雨か二雨で、重さに耐えられなくなる。
毎日この橋を渡る村人の数を、通りがかりの農夫に聞いた。「四、五十人は渡りますよ、荷車込みで」という答えが返ってきた。
(急がなければならない)
夕刻、父に報告した。
「橋の支柱が腐食しています。水面下の部分が特に深刻です。あと一雨か二雨で崩落する可能性があります」
父が眉をひそめた。
「そんなに急に、か」
「はい。表面から見ても分かりません。内部から腐っているので」
「……信じたいが、俺には確認のしようがない」
「石工の棟梁ボロスという方を呼んでいただけますか。橋を専門に扱う職人なら、俺の言葉を検証できます」
父が少し考えた。ヨハンが「石工ボロスは頑固者ですが、腕は確かです」と付け加えた。安静中だが、書斎の入口で小さく顔を出していた。
「……分かった」父が頷いた。「呼んでみよう。ヨハンの件もある。お前が言うなら、確認するだけの価値はある」
長兄ヴィルが「三男が橋の崩落を診断?」という顔で俺を見ていたが、父が動くなら反対しなかった。
俺は手帳に「橋・支柱一本・水面下・内部腐食・至急」と書き込んだ。
その日の夜、手帳を開いた。書き留めた問題リストが三ページ近くになっていた。
農地の土壌、井戸の石組み、屋根の瓦、そして橋。この館の周辺だけで、これだけある。領地全体を診れば、どれだけの問題が出てくるか。
(でも、全部直せる。少しずつ、一つずつ)
外科医は一度に一つの術野しか持てない。それがここでも同じだ。焦らず、順序立てて。
窓から夜の領地を見た。暗い林の向こうに、村の明かりがいくつか見えた。
(明日、ボロスが来る)




