第二話 父の気づき
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、12時・15時・18時・21時・23時に投稿します。
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廊下の燭台が揺れていた。
「……少し、話せるか」
父アルベルトの声は静かだった。パニックの後の疲れが滲んでいたが、それよりも、何かを確認しようとする眼差しが勝っていた。
「もちろんです、父上」
二人で父の書斎に入った。燭台をテーブルに置き、父が椅子に座る。俺はその向かいに腰を下ろした。
「ヨハンのことだが」と父は言った。「お前は……あの男の体の中の何かを見た、ということか」
「はい」
「検分士のスキルで」
「はい」
父が手を組んで、しばらく黙った。問い詰めるような口調でなかったことが、ありがたかった。この人は怒鳴る前に考える人だ、と俺は思った。
「どこが悪かったのだ」
「心臓です。血を送る通り道が一か所、狭くなっていました。そのまま無理をさせると、完全に詰まる。そうなれば、助けることは難しかった」
「……そんなことが見えるのか」
「見えました。ただ、それを直す手段は別に考えなければなりません。見えるだけです、俺の目は。直し方は、知識と手で用意するしかない」
父がゆっくりと頷いた。
「今後、ヨハンはどうすればいい」
医師が患者の家族に説明する時の言葉を選んだ。
「塩気の強いものを控えること。重いものを持つ仕事は他の者に任せること。それと月に一度、俺が状態を確認させてください。大きな変化があればすぐ教えます」
「分かった」父はそれだけ言った。「それだけのことが、お前には見えるのか」
「はい」
また沈黙があった。今度は少し長かった。
「……お前のスキルは、何でも見えるのか」
「人の体だけではありません。橋や建物、土や水も。ただ一度に全部は見られません。集中して、一つずつです」
父の目が少し変わった。
「もしかして、お前は」と言いかけて、止まった。
俺は静かに待った。父が言いかけたことは、察しがついた。前世の記憶のこと。あるいは、この子供には誰かが宿っているのではないかという疑念。どちらも、完全に外れてはいない。
「いや、いい」と父は言った。
「……父上が思っていることは、半分正しいかもしれません」と俺は言った。
父が顔を上げた。
「全てを話せるわけではありません。ただ、このスキルは役に立てます。それだけは確かです」
「……分かった」
父の声が、少しだけ柔らかくなった。
「信じる。お前を信じる。何かあれば力になろう」
俺は深く息をついた。前世でも、患者の家族にこう言ってもらえると、胸に何かが灯った。それは今も同じだった。
翌朝、ヨハンの部屋を覗くと、老執事はすでに起き上がっていた。
「若様、失礼いたしました。昨夜は」
「謝らなくていいですよ。体の具合はどうですか」
「ずいぶん楽になりました。胸の重さが、随分取れた気がします」
俺はヨハンの体を短く診た。心拍の乱れが昨夜より落ち着いていた。冠動脈の詰まりかけた影も、若干改善していた。安静と姿勢が効いている。
「良かった。しばらくは無理をしないでください」
ヨハンは頷いて、それから小声で言った。
「若様はお生まれの時から目が違いました。それだけは申し上げておきたかった」
俺は少し驚いて、ヨハンを見た。老人は穏やかに笑うだけだった。
その日の午後、父が書斎で俺を呼んだ。
「レオン、お前を顧問として使えるかもしれん。まだ早いかもしれないが、考えておいてくれ」
「分かりました、父上」
「それと──」父が窓の外を見た。「ありがとう。ヨハンを助けてくれて」
「当然のことをしたまでです」
館の外では、秋の風が林を揺らしていた。乾いた木の葉が落ちる音がした。
俺はふと、領主館の周辺をまだほとんど診ていないことに気づいた。橋、農地、井戸、屋根。この領地には、まだ直すべきものが無数にあるはずだ。
(明日、少し歩いてみよう)
書斎の外に出た瞬間、廊下の奥にほのかな気配があった。
足音はなかった。ただ、誰かが立っている気配だけがあって、すぐに消えた。
(母か)
振り返ることはしなかった。この家の人々は、それぞれの方法で心配してくれている。それだけは分かった。
廊下に出ると、また燭台が揺れた。




