第一話 ハズレと呼ばれた目
全70話完結予定です。毎日5話ずつ、12時・15時・18時・21時・23時に投稿します。
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「スキル判定結果──検分士。以上です」
鑑定士の声は事務的だった。
ただ、それだけではなかった。水晶球を覗き込んだ男は、しばらく黙って首をかしげた。何かを言いかけて、やめた。
(気になるのは分かる。でも、俺自身が一番よく知ってるんだ)
俺──レオン・ヴェルディア、十五歳──の内心は静かだった。
六十七年分の静けさといえばいい。前世で三上哲也として生き、四十二年間外科医を務めた。消化器外科を専門にして、数えきれないほどの腹の中を覗いてきた。その経験の重みが、今の俺を落ち着かせていた。
「検分士」は物を見るだけのスキルらしい。戦えない。魔法も弱い。役に立たない。この世界の基準では「ハズレ」だ。
俺が何を見えるのかを、あの鑑定士は分からなかった。それでいい。
帰りの馬車の中は静かだった。
父アルベルトは窓の外を見ていた。五十六歳の横顔に、疲れと落胆が滲んでいた。三男がハズレスキルを引いた。どんな気持ちかは、察するのが難しくなかった。
「……レオン、お前は辛くないか」
「大丈夫ですよ、父上」
「しかし……」
「知っています」俺は穏やかに続けた。「戦えない。魔法もろくに使えない。貴族社会ではほとんど使い物にならない。それは全部分かっています」
父が眉を寄せた。自分で口にしたことが、かえって堪えたらしかった。
「でも、俺なりに、できることをやるだけです」
父は何も言わなかった。
その沈黙の中に、精一杯の優しさがあった。四十二年間、患者とその家族を見てきた目には、人の感情の機微がよく見える。責めないことが、この人の愛情の形なのだと分かった。
馬車の窓の外では、ヴェルディアの辺境の林が続いていた。枯れかかった木が目についた。土が乾いている。あちこちが、静かに傷んでいた。
領主館に戻ると、玄関前に老執事が立っていた。
ヨハン。六十二歳。この家に三代仕えてきた。皺の深い顔に笑みをたたえ、出迎えてくれた。
「若様、お帰りなさいませ」
「ただいま、ヨハン」
そこで俺は、止まった。
医者の習慣だ。人の顔を見た瞬間、無意識に走査してしまう。顔色、指先の色、呼吸の浅さ、首の静脈の張り方。
(──何かおかしい)
笑顔は自然に見えた。声も普通だ。でも首の静脈がわずかに張りすぎている。呼吸がほんの少し、浅かった。
「今日は暑かったですか」と俺は何気なく聞いた。
「ええ、少々。でもこの歳になりますと、暑さも寒さも慣れてしまいまして──」
その時だった。
ヨハンの顔から表情が消えた。左手がゆっくりと、胸に当たった。
それだけで分かった。
次の瞬間、ヨハンは膝から崩れた。
「ヨハン!」
父の声が裏返った。廊下に出ていた長兄ヴィルが飛び出してくる。使用人たちが叫ぶ。
俺はもう動いていた。隙間をかき分けて、ヨハンの傍らにしゃがみ込んだ。
「皆さん、下がってください」
「レオン、危──」
「父上、静かに」
声に力を乗せた。医師の声だ。現場を整理するために四十二年間使ってきた声だ。
父が口をつぐんだ。
俺はヨハンの胸に意識を向けた。
(術野の目──)
世界の見え方が変わる。皮膚の向こうに、血管の流れが浮かび上がった。心臓の拍動が、光の文様のように映し出された。乱れていた。右と左の動きがちぐはぐで、冠動脈の一箇所に詰まりかけた影があった。
(不整脈。冠動脈への負荷が積み重なっている。放置すれば心筋梗塞になる──が、今はまだ間に合う)
「ヨハン、聞こえますか」
「……若様……」かすれた声が返ってきた。
「大丈夫ですよ。横になりましょう。ゆっくりと」
ヨハンの体を支えて、横向きに倒した。首周りの衣服を緩める。頭をわずかに高くする。呼吸が楽になる姿勢だ。
「誰か──水と温かい布を。毛布も持ってきてください」
使用人が走った。
「ヴィル兄上、ヨハンの部屋を一階に用意してください。今夜は二階に上げないほうがいい」
「……分かった」
長兄が戸惑いながらも即座に動いた。
俺はヨハンの呼吸を数えた。浅い。速い。でも、続いている。少しずつ、落ち着いてきていた。
「若様……急に、力が……」
「無理に話さなくていいですよ」
何度も言ってきた言葉だ。でも今は少しだけ喉が詰まった。
この人は、俺がこの家に来た日、誰より早く出迎えてくれた。五歳の頃、前世の記憶が戻って途方に暮れていた俺に、「若様はお生まれの時から目が違いました」と言ってくれた人だ。
(直す。それだけだ)
俺はヨハンの手を取って、そっと握った。ヨハンの目がうっすらと開いた。
「若様……」
「安心してください。大丈夫ですよ」
夜が更けた頃、ヨハンの部屋を出た。
廊下に灯された燭台の明かりが、ゆらゆらと揺れていた。
父が立っていた。
さっきのパニックとは別の表情をしていた。心配と、何かを確認しようとする目が混じった、静かな顔だった。
「……レオン」
「はい、父上」
「お前が指示したことは……どういうことだ。なぜ、あんなことが分かった」
俺は少し迷った。
「……診た、という感じです。ヨハンの体のどこが弱っているかが、分かりました」
「検分士のスキルで、か」
「はい」
父が深く息をついた。
「……少し、話せるか」
俺は父の目を見た。息子への心配と、確認しようとする眼差しの奥に、何か別のものが生まれていた。
(気づいたんだな)
「もちろんです、父上」
廊下の燭台が、また揺れた。




