第28話 あなたの一番になりたい
翌朝、朔は騒々しい音に目を覚ます。
鳥の鳴き声ではない――人の声だ。
ベッドから這い出し、服を着て、部屋を出る。
声は台所から聞こえてくる。
そちらへ向かうと、そこには驚くべき光景が広がっている。
エプロン姿の陽葵がコンロの前に立ち、フライ返しを手に目玉焼きを焼いている。その手つきは以前よりずっと手慣れている――卵を裏返す時も破れず、黄身も崩れず、とても綺麗な形に焼き上がっている。結月はシンクのそばで野菜を切っており、千切りにされたニンジンは太さが均一に揃っている。その表情は真剣そのもので、まるで一つの芸術品を仕上げているかのようだ。
詩織はコンロの前で味噌汁を作っている。お玉で汁をすくって味見をし、少しだけ味噌を足して、もう一度味見をしてからコクンと頷く。
三人は喧嘩をしていない。
これはまさに奇跡だ。
「お前ら、何してるんだ?」
「朝ごはん作りだよ!」陽葵が振り向いて笑う。「おばあちゃんが、今日は客さんが多いから手伝ってって!」
「ばあちゃんが手伝いを?」
「そう!おばあちゃんがね、『一番上手にできた子が、孫嫁候補ナンバーワンだよ』って――」
「陽葵」
「あー、口が滑っちゃった」
陽葵はてへっと舌を出す。
朔はこめかみを揉む。彼はこの「争奪戦」には参加しないと決める――自分がその争奪戦の主役であるにもかかわらず。
ダイニングに向かい、席に座って朝食を待つことにする。
おばあちゃんはすでにダイニングにいて、ニコニコしながら彼を見つめている。
「おはよう、朔」
「おはよう、ばあちゃん」
「よく眠れたかい?」
「うん」
「なら良かった。あの子たち三人の中で、誰が一番友里香さんに似てると思う?」
朔の心が、ほんの少しだけ揺れる。
浅倉友里香、朔の母親。
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「友里香さんはとても優しい子だったけど、すごく頑固でもあったからね。一度決めたら、決して振り返らないような」
「誰が似てると思う?」
朔は少し考える。
「みんな似てるよ。でも、誰も似てない」
「どうして?」
「だって――あいつらには、それぞれ自分の形があるから。誰かに似る必要なんてないんだ」
おばあちゃんは彼を見つめる。その瞳には、優しい光が宿っている。
「朔、大きくなったね」
「……とっくに大きくなってるよ」
「いいや」
おばあちゃんは首を横に振る。「昔のあんたは、頭でしか言葉を出さなかった。でも今は、心で言葉を出せるようになっている」
朔は言葉を返さない。
なぜなら――おばあちゃんの言っていることが正しいのかどうか、自分でも分からないからだ。
朝食が出来上がる。
三人の少女がトレイを運んで現れ、次々と料理をテーブルに並べていく。
陽葵が作ったのは洋食――目玉焼き、トースト、ベーコン、サラダ。盛り付けも美しく、目玉焼きの上にはパセリが散らされており、まるで雑誌の切り抜きのようだ。
結月が作ったのは和食――白ご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、お漬物。どれも繊細に作られており、卵焼きはきっちりと切り分けられ、焼き魚の皮は黄金色にパリッと焼き上げられている。
詩織が作ったのは中華――白粥、小籠包、ザーサイ、茶葉蛋(お茶ゆで卵)。小籠包は彼女の手作りで、皮は薄く具がぎっしり詰まっており、一口噛めば旨みたっぷりの肉汁が溢れ出すようになっている。
三つのスタイル。
三人の想い。
朔はテーブルの料理を見つめ、どれから手をつけるべきか迷う。
「先輩、まずは私のから食べて!」
「私のから。普段から食べ慣れてるでしょ、お兄ちゃん」
「私のが先。小籠包は冷めると美味しくないから」
三人が同時に口を開き、そして同時に口をつぐむ。
彼女たちは互いに顔を見合わせる。
空気中に何とも微妙なものが流れる――敵意でも、競争心でもなく、「誰にも負けたくない」という意地のようなもの。
「俺はばあちゃんのから食べる」
そう言って、朔はおばあちゃんが漬けたお漬物を一口つまむ。
三人の少女がぽかんとする。
「朔、女の子に対してそんな意地悪しちゃダメだよ」
「ばあちゃん譲りだよ」
午前中、旅館にたくさんの客がやってくる。
「たくさん」ではない――「突然、ものすごく増える」のだ。普段の浅倉屋はぽつぽつと客がいる程度だが、今日はロビーが人で埋め尽くされている。おじいちゃんおばあちゃん、若いカップル、家族連れ、一人旅のバックパッカーなど様々だ。
「ばあちゃん、今日はどうしてこんなに客が多いんだ?」
「さあねえ」おばあちゃんは笑う。「運がいいだけかもしれないね」
朔には、それが運だとは思えない。
陽葵に視線を向ける――彼女はロビーでおじいちゃんおばあちゃんと楽しそうに話しており、花のように笑っている。
「おじいちゃん、どこから来たんですか?東京?私も東京からなんですよ!」
「おばあちゃん、その服すごく素敵!どこで買ったんですか?」
「何が好きなの?お姉ちゃんが取ってきてあげる!」
陽葵のコミュ力はトップクラスだ。三歳の子供と遊ぶこともできれば、八十歳の老人と語り合うこともできる。彼女の笑顔には伝染力があり、見る者まで自然と笑顔にさせてしまう。
お客さんたちは彼女につられて口元を綻ばせている。
「このお嬢ちゃん、本当に可愛いわね!」
「お孫さんかい?」
「孫じゃないよ――孫嫁さ!」おばあちゃんが隣で笑いながら答える。
「おばあちゃん――!」
陽葵は顔を真っ赤にする。
朔は別の方向へ視線を移す。
結月はお客さんの部屋を片付けている。彼女のベッドメイキングはプロ顔負けだ――シーツはピンと張られてシワ一つなく、掛け布団は豆腐のように真四角に畳まれ、枕はど真ん中に完璧な角度で置かれている。
さらに、お客さんのために浴衣とタオルを用意し、綺麗に畳んで枕元に置いている。一つ一つが几帳面に配置され、まるで展覧会のディスプレイのようだ。
「お姉さん、すごすぎるわ」
一人の女性客が感嘆の声を漏らす。
「プロ以上の仕事ぶりね」
「ありがとうございます」結月は軽く一礼する。「他に何かご要望がございましたら、いつでもお声がけください」
その振る舞いは優雅で品があり、まるで厳しい教育を受けた令嬢のようだ。
朔は再び別の方向を見る。
案の定、詩織はロビーにイーゼルを立てている。
彼女が描いているのは、あるおばあさんの肖像画だ。おばあさんは椅子に座り、扇子を手に、穏やかな表情を浮かべている。詩織の筆運びは速く、それでいて正確だ――数筆でおばあさんの輪郭を捉え、さらに数筆でその雰囲気を描き出す。
「あら、そっくりね!」絵を見たおばあさんの目が輝く。「お嬢ちゃん、絵を習ってどれくらいになるの?」
「十年目になります」
「本当に上手ね。私にくれないかしら?」
「もちろんです。これは、おばあさんのために描いたものですから」
おばあさんは嬉しそうに微笑む。
他の客も集まってきて、詩織の絵を描く様子を見たがる。
詩織は慌てることなく、一人ずつ丁寧に描き進める。
お客さんたちは皆、大満足の様子だ。
「このお嬢ちゃん、本当に才能があるね!」
「あんたのお孫さんかい?」
「孫じゃないよ――孫嫁さ!」
おばあちゃんが再び笑う。
詩織の表情はいつも通り微動だにしないが、その口角はほんの少しだけ、誰にも気づかれないように上がっている。
朔はロビーの真ん中に立ち、三人の少女を見つめる。
三人、三つのやり方、三つの魅力。
全員が勝ち取ろうとしている――「孫嫁」の座を。
朔は少し頭が痛くなる。
「朔」
「ばあちゃん」
「どの子が一番いいと思う?」
「分からない」
「分からないで正解だよ」おばあちゃんは笑う。「だって――みんな良い子だからね」
朔はおばあちゃんを見る。
「みんな良い。だから選べない。でも、選べないというのも、一つの答えさ」
「どういう答え?」
「あんたは選びたくないんだよ。あの子たち全員に、自分のそばにいてほしいと思ってる」
朔は黙り込む。
「朔や、おばあちゃんはもう若くないから、今のあんたたちが言う『修羅場』なんてものはよく分からない。だけど、一つだけ知っていることがある――人の心は血が通っているんだよ。優しくされれば、優しくしたくなる。あんたは誰も傷つけたくないんだろうけど、ためらうこと自体が、誰かを傷つけることになるんだ」
「だから――早めに決めなさい。もしどうしても選べないなら、三人とも選んだって構わないさ――法律的にも、たくさんの女の子と結婚して家庭を築くことは許されているんだからね」
「ただ、あの子たちはあんたの心の中の『一番』になりたいだけなんだよ」
おばあちゃんは爆弾発言を残し、フロントへと戻っていく。
朔はその場に立ち尽くし、三人の少女の後ろ姿を見つめながら考え続ける。
おばあちゃんの言う通りかもしれない、と彼は思う。
決断を下さなければならない。
彼女たちのためにではない。
自分自身のために。
それでも、やっぱり分からない。
誰を選ぶべきか分からない。
分からない。
何も、分からないのだ。
夜になり、お客さんたちが皆帰っていく。
三人の少女は疲れ果て、ソファにぐったりと倒れ込む。
「疲れたぁ……」
陽葵はソファにうつ伏せになり、クッションに顔を埋める。
「でも、すっごく楽しかった!」
「ええ」結月は椅子に座り、肩を揉んでいる。
「今日の客の数は、さすがに多すぎたわね」
「でも、みんないい人たちばかり」
詩織は壁にもたれかかり、目を閉じている。
「優しい人たちだった」
朔は彼女たちを見つめる。
これほど疲れているのに、まだ笑っている。
「お前ら、あんなに無理しなくてよかったのに」
「ダメだよ!」
陽葵がソファから飛び起きる。「これは孫嫁を賭けた勝負なんだから!負けられない!」
「私は勝負なんてしてないわ」
「じゃあ、なんであんなに本気でベッドメイクしてたの?」
「それは――私の習慣だからよ」
「嘘つき!。絶対勝ちたいと思ってるくせに!」
結月は否定しない。
「詩織先輩は?なんであんなに真剣に絵を描いてたの?」
「だって――絵を描くのが好きだから」
詩織は目を開ける。「勝負があろうとなかろうと、私は描くわ」
「でも、今日はいつもより描くのが速かったよ!」
「人が多かったから。速く描かないと、待たせてしまうもの」
「それだって、勝ちたいからでしょ!」
詩織は少し考える。
「そうかもしれない。でも、勝つことが目的じゃない」
「じゃあ何?」
「それは――」
詩織は朔をちらりと見る。「彼に見てもらうため」
全員が黙り込む。
朔は、灯りを反射する詩織の焦げ茶色の瞳を見つめる。
「彼に見てもらうため」。
勝つためじゃない。
彼に見てもらうため。
彼女を。
彼女の努力を。
彼女の想いを。
彼女の存在そのものを、見てもらうため。
「俺、温泉入ってくる」
朔は立ち上がり、部屋を出る。
少し頭を冷やす必要がある。
なぜなら――彼の心は、またしても乱れてしまっているからだ。




