第26話 逃げるは恥だが、田舎へ逃げるは役に立つ
一週間。
和夫は彼に一週間の時間を与えている。
だが、朔にとって一週間は短すぎる。いや、短すぎるのではない――根本的に足りないのだ。たとえ一年、十年、一生を与えられても、彼はきっと考えをまとめることはできない。
なぜなら、彼は「考えられない」わけではない、「考えるのが怖い」からだ。
答えを出すということは、選択を迫られるということ。
選択をするということは、誰かを傷つけるということ。
誰かを傷つけるということは、その痛みを一生背負って生きていくということ。
彼は背負いたくない。
だから、考えることを恐れている。
だからといって、考えないでいれば問題が消えるわけではない。
問題はそこにある。まるで一つの石のように、心の上に重くのしかかる。どかさなければ、ずっと押し潰されたまま。どかそうとすれば、自分の足に落ちてくる。
月曜日、朔は学校で詩織の姿を見つける。
彼女は校門の前に立ち、手に缶コーヒーを持っている。
彼を見ると、歩み寄り、それを差し出す。
「おはよう」
「おはよう」
二人の会話はいつも通り短い。しかし朔は、詩織の目の下にうっすらとクマがあることに気づく――彼女もよく眠れていないのだ。
「昨夜、寝てないのか?」
「寝たわ。少しだけ」
「何を考えてるんだ?」
詩織は少し考える。
「あなたのこと。あなたが来てくれるかどうか」
「俺は来るよ」
「分かってる。でも、考えることと分かっていることは――違うから」
朔はコーヒーを受け取り、一口飲む。
温かくて、少し苦い。
いつもと同じだ。
しかし、なんだか味が変わっているような気がする。
コーヒーが変わったからではない。
コーヒーを飲む人間が変わっているからだ。
昼休み、朔は美術室には向かわない。
教室に座り、窓の外を眺めている。
グラウンドでは生徒たちがサッカーをしている。笑い声は風に吹き飛ばされ、曖昧な破片に変わる。空は青く、雲は白く、日差しは眩しい。
すべてが正常だ。
しかし、すべてが異常でもある。
「先輩!」
陽葵が教室の入り口に姿を見せる。手にはお弁当箱を持っている。
彼女の笑顔は相変わらず眩しいが、朔は彼女の瞳に一つの感情が混ざっていることに気づく――心配だ。
「どうしてここに?」
「お弁当を届けに来たんですよ」陽葵は朔の向かいに座る。
「先輩、最近何かあったんですか?」
「何もないよ」
「嘘です。最近、全然美術室に来ないじゃないですか。私のメッセージにもあまり返事をくれないし。前は返信が遅くても、少なくとも返してくれたのに。今は――『既読』すらつかない」
朔はしばらく沈黙する。
「陽葵」
「はい?」
「もし一つだけ打ち明けたら、秘密にしてくれるか?」
陽葵はまばたきをする。
「もちろんです」彼女は言う。「先輩、話してください」
朔は深く息を吸い込む。
そして、すべてを彼女に打ち明ける。
婚約のこと。詩織の父親のこと。和夫の出した条件。父親の会社の危機。一週間の期限。
陽葵は聞き終えると、長い間黙り込む。
彼女の表情は複雑だ――怒りでもなく、悲しみでもない。朔には読み取れない、様々な感情が入り混じった表情を浮かべている。
「先輩」
彼女はようやく口を開く。「どうするつもりですか?」
「分からない」
「どうしたいんですか?」
「分からない」
「詩織先輩のことは好きですか?」
「分からないんだ」
「先輩、知ってますか。『分からない』というのも、一つの答えなんですよ」
「何の意味?」
「選択をしたくないという意味です。誰一人として選びたくない。だって選んでしまえば、もう一人を傷つけることになるから。そして先輩は、誰も傷つけたくないんです」
「だから『分からない』って言うんだな」
「『分からない』と言えば、選ばずに済むから」
朔は言葉を失う。
彼女の言う通りだからだ。
「先輩」
陽葵は立ち上がり、朔の目の前まで歩み寄り、手を伸ばして彼の頭を撫でる。
「大丈夫です。分からなくてもいいんです」
「ゆっくり考えればいいんです」
「でも、一人で抱え込まないでくださいね」
「先輩には私がいます。神城先輩もいます。詩織先輩だっています」
「私たちは、みんなここにいますよ」
朔は陽葵を見つめる。
彼女の青い瞳を、その真剣な表情を、わずかに震える唇を見つめている。
「陽葵」
「はい」
「ありがとう」
「どういたしまして。何があっても、私は先輩のそばにいますから」
「それはもう聞いたよ」
「なら、もう一度言います」
その日の夜、朔はある決断を下す。
逃げることにするのだ。
もちろん永遠に逃げ続けるわけではない――日本はそれほど広くないし、逃げ場なんてどこにもない。だから、ほんの一時のことだ。彼はこの環境から、この人たちから、この声から離れる必要がある。自分が一体何を求めているのか、静かに考えるための場所が必要なのだ。
スマホを開き、田舎へ向かう電車の時刻表を調べる。
祖母は田舎で百年続く温泉旅館を営んでいる。子どもの頃、彼は毎年の夏休みになると数日間そこに滞在する。そこには山があり、川があり、蝉の声があり、蛍がいて、祖母の切ったスイカと漬物がある。
そこはとても静かだ。
彼には静寂が必要なのだ。
父親にメッセージを送る。「おばあちゃんの家に数日泊まってくる」
「どうした? 何かあったのか?」
「何でもない。ただ少し静かに過ごしたいだけだ」
「分かった。おばあちゃんによろしく伝えておいてくれ」
朔は荷造りを始める。
ごく簡単なものだ――数着の着替え、一冊の文庫本、ノートパソコン、そして詩織が贈ってくれたあの絵。
キャンバスに描かれているのは、花火だ。
金赤の、翠緑の、銀白の光が夜空に咲き誇っている。
彼は絵を丸め、慎重にバックパックの中へ収める。
それからスマホを手に取り、三人にメッセージを送信する。
陽葵へ。
「数日、田舎に行ってくる。戻ったら連絡する」
詩織へ。
「少し時間が必要だ。探さないでくれ」
結月へ。
「行ってくる。おばあちゃんの家だ。住所は知ってるだろ」
送信を終えると、彼はスマホの電源を切り、バックパックを背負い、部屋を出る。
廊下は薄暗い。
センサーライトは点灯しない――彼の足音がとても軽く、センサーを反応させないからだ。
結月の部屋の前を通り過ぎる時、彼は少し足を止める。
ドアの隙間から光は漏れていない。
彼女は眠っている。
あるいは――起きているが、電気を消しているだけか。
朔は数秒だけ思考する。
それから階段を下り、リビングを抜け、ドアを開ける。
夜風が吹き込み、ひんやりと冷たい。
彼は深呼吸をする。
そして、夜の闇の中へと歩みを進める。
電車は夜の闇の中を突き進む。
車内には人が少ない――残業帰りのサラリーマンが数人、イヤホンで音楽を聴いている女子高生が一人、鞄を抱えて居眠りしている中年男性が一人。
朔は窓際の席に座り、外の景色を眺めている。
街の灯りが遠くで瞬き、まるで金色の海のようだ。電車が市街地を抜けるにつれて、その灯りはだんだんと減り、暗くなり、最後には完全な暗闇に飲み込まれる。
窓の外の風景は、田園と丘陵へと姿を変える。月明かりが水田に降り注ぎ、水面が銀白の光を反射して、まるで巨大な鏡のようだ。遠くに見える山の影は黒々としており、大地の輪郭線のように見える。
朔は窓の外を見つめたまま、頭の中で記憶を辿る。
幼い頃の出来事。
あの頃は、まだ母親がいる。毎年の夏、家族揃って電車に乗り、祖母の家を訪れる。母親は美味しい料理をたくさん作り、父親は祖母と談笑し、彼は一人で川に入って魚を捕まえ、山で虫を捕り、庭で蛍を追いかける。
あの頃の生活はとてもシンプルだ。
選択する必要もなく、迷う必要もなく、誰も傷つける必要はない。
ただ――生きているだけでいい。
楽しく生きているだけで。
やがて母親がいなくなる。
父親は変わり、彼自身も変わってしまう。
彼は論理で自分を守る術を身につけ、感情の代わりに理性を使うことを覚え、「分からない」という言葉で選択から逃げることを学習する。
そうすれば傷つかずに済むと思い込んでいる。
しかし、それは間違いだ。
選択しないということも、また一つの選択なのだ。
傷つかないということは、誰一人として近づけないということ。
誰一人として近づけないということは、孤独であるということ。
孤独にはなりたくない。
しかし、傷つきたくもない。
だから彼は二つの間で揺れ動く。まるで時計の振り子のように、永遠に止まることなく。
電車が駅に到着する頃には、もう深夜になっている。
朔は駅を出て、人気のないホームに立つ。
田舎の空気はとても澄んでいる――土の匂い、青草の匂い、そして少しばかりの牛糞の匂いが混じっている。不快なものではなく、「これぞ田舎だ」と思わせるような匂いだ。
空は暗く、星が無数に輝いている。都会の空ではこれほどの星は見えない――光害がひどすぎるからだ。しかしここでは、天の川がはっきりと見え、まるで光を放つ川のように、夜空全体に架かっている。
朔は深呼吸をする。
それから記憶にある道を辿り、祖母の家へと歩き出す。
二十分ほど歩くと、その古い建物が視界に入る。
百年続く温泉旅館――『浅倉屋』だ。
木造の建築、黒い瓦と白い壁。入り口には赤い提灯が一つ吊るされており、そこには「浅倉」の二文字が書かれている。提灯の光が夜風に吹かれて静かに揺れ、まるで優しい一つの瞳のようだ。
朔は戸を開ける。
「おばあちゃん、ただいま」
返事はない。
ロビーは静まり返っており、壁に掛かった古い時計がチクタクと音を立てているだけだ。カウンターの奥に人影はないが、机の上にはまだ湯気を立てているお茶が一杯置かれている。
「おばあちゃん?」
「あらあら――朔ちゃんじゃない!」
祖母が奥から姿を現す。
彼女は濃紺の浴衣に灰色のカーディガンを羽織り、白髪交じりの髪を後ろで綺麗にまとめている。顔には無数の皺が刻まれているが、その瞳は二つの黒い宝石のように明るく輝いている。
「おばあちゃん」
朔は歩み寄り、祖母を軽く抱きしめる。
祖母の体はとても小さく、細いが、とても温かい。
「どうしたんだい? 急にやって来るなんて」祖母は朔の背中をポンポンと叩く。
「何か悩み事でもあったのかい?」
「ううん。ただおばあちゃんに会いたくなっただけだよ」
「嘘おっしゃい」祖母は笑う。「朔ちゃん昔から嘘が下手なんだから。嘘をつくと、すぐに耳が赤くなるんだよ」
朔は無意識に耳に触れる。
赤くなっている。
「ほらごらん」祖母は笑いながら言う。「でも大丈夫。話したくないなら、話さなくていいんだよ。さあ、まずはご飯にしよう。お腹が空いてるだろ?」
「うん」
祖母は台所へ入り、湯気の立つ味噌汁、焼き魚、白いご飯、そしてお漬物を乗せたお盆を運んでくる。
「さあ、お食べ」
朔は腰を下ろし、箸を進める。
味噌汁は熱いが、とても美味しい。焼き魚は香ばしく、皮はパリパリで身は柔らかい。白いご飯は一粒一粒が立っていて、噛むほどに甘みが広がる。
食べ進めるうちに、ふと目頭が熱くなる。
悲しいからではない。
ただ――彼が「家族」の味を口にするのは、本当に久しぶりだからだ。
結月の作る料理は美味しいが、それは「洗練された」味であり、「家族」の味ではない。
陽葵の作る料理は上達しているが、それは「努力」の味であり、「家族」の味ではない。
祖母の作る料理は、「何も考えなくていい」味がする。
ただ食べるだけ。
ただ生きるだけ。
ただ愛されているだけ。
「おばあちゃん」朔は箸を置く。
「ん?」
「ここに何日か泊まってもいい?」
「もちろんさ。ここはあんたの家なんだから、いたいだけいればいい」
「ありがとう、おばあちゃん」
「馬鹿な子だね。何があっても、おばあちゃんはここにいるんだから」
「うん」
食事を終えた朔は、温泉に向かう。
温泉は旅館の裏庭にあり、石造りの露天風呂になっている。お湯は乳白色で、ほんのりと硫黄の匂いがする。立ち上る湯気が、月明かりの下で薄いヴェールのように揺れている。
朔は服を脱ぎ、湯船に浸かる。
お湯は熱く、肌が赤くなるほどだ。
だが、それがとても心地よい。
その心地よさは「身体的な心地よさ」ではない――「心的な心地よさ」だ。
まるで自分の中にある何かが、熱いお湯でふやけ、溶け出し、流れ去っていくような感覚。
彼は岩肌にもたれかかり、空を見上げる。
頭上で天の川がゆっくりと流れ、星々が瞬き、まるで彼に向かってウインクをしているかのようだ。
彼は思う。もし、この瞬間に時間が止まればいいのに、と。
選択する必要も、迷う必要も、誰も傷つける必要もない。
ただ温泉に浸かり、星を眺め、何も考えずにいられたなら。
だが、時間は止まらない。
問題は消えてなくならない。
彼女たちは――まだ彼を待っているのだから。
朔は目を閉じる。
今夜、彼は夢を見ない。
あるいは――夢を見たとしても、目が覚めれば忘れてしまう。
どちらでも構わない。
重要なのは、彼が今ここにいるということ。
祖母の家にいて。
温泉に浸かり。
星空の下にいること。
ひとまず今は――安全だ。




