第25話 無償の愛、あるいは恋の真理
料亭を出てから、朔は家に帰らない。
駅前の公園に座り込み、ずっとそのままの姿勢でいる。公園は小さく、ブランコが一つ、滑り台が一つ、そして数本の桜の木があるだけだ――夏に桜の花はなく、ただ生い茂る葉が街灯の下で濃い影を落としている。街灯のオレンジ色の光が顔を照らし、人に温もりを感じさせるはずなのに、朔は寒さを覚える。
骨の髄まで冷え切っている。
和夫の言葉が棘のように脳裏に突き刺さり、抜けない。――「君のお母さんには、私のほうが先に出会っているんだよ」
朔は父親からそんな話を聞くことは一度もない。決して。彼の知る母親は、花を育てるのが好きで、料理が好きで、彼が学校から帰ってくる時に「おかえり」と言うのが好きな、優しい女性だ。彼女は彼が七歳の時にこの世を去っているが、残された記憶は少ないものの、その一コマ一コマがとても愛おしい。
今、その記憶が和夫の言葉によって汚染されていく。
母親はかつて別の男と付き合っている時期がある。その男は詩織の父親だ。その男は今でも彼女を忘れていない。
朔は吐き気を覚える。
母親のせいではない――母親は何一つ間違ったことをしているわけではない。彼女はただ、父親に出会う前に、別の人を好きになっているだけだ。それは正常で、合理的で、何の問題もない。
しかし、「合理的」であることと「感情」は別物だ。
彼が吐き気を覚えるのは、自分がもしかすると最初から「浅倉朔」などではなく、ただの「道具」に過ぎないのではないかと突然感じるからだ。
親の世代の後悔を埋め合わせるための道具。
母親は彼の幸せを願っている。和夫は母親の代わりにその願いを叶えようとし、そして自分の父親もそれを受け入れている。だから彼らは婚約を取り決めているのだ。
彼の幸せは、彼自身のものではない。
他人によって計画されているものだ。
その認識が、胃を誰かに強く鷲掴みにされているような感覚を呼び起こす。
「浅倉くん」
詩織が目の前に立っている。
いつの間に後を追ってきているのかは分からない。
「どうしてここにいるの?」
「あなたを捜しに」
「どうして?」
「あなたには、誰かがそばにいる必要があるから」
詩織は隣に腰を下ろす。
ブランコは鉄製で、座ると冷やりとする。夜風が吹き抜け、彼女の髪を揺らし、数本の髪の毛が朔の腕をかすめる。それは羽のように軽い。
「詩織」
「うん」
「一つ、聞きたいことがある」
「何でも聞いて」
朔は深く息を吸い込む。
「この数年、ずっと僕のそばにいるのは――僕のことが好きだから? それとも、あの婚約があるから?」
長い間、沈黙が続く。
もう答えてくれないのではないかと、朔がそう思うほどに長い間。
「浅倉くん」彼女はようやく口を開く。その声はとても静かだ。「私がどうして絵を描くようになっているのか、知ってる?」
朔は首を横に振る。
「あなたのためよ。小さい頃、一緒に公園で遊んでいる時。あなたが木の枝を拾って、砂場に猫の絵を描くの。すごく不格好で、猫の顔は歪んでいて、ひげの長さも左右で違っていて」
「でも、描き終えた後、あなたはその不格好な猫を見て、笑うの」
「笑う時、目が三日月みたいに細くなって」
「その時、私は思うの。――この笑顔をずっと覚えていたいって」
「だから、絵を描くようになるの」
「画家になるためじゃないし、賞を取るためでもないし、誰のためでもない」
「ただ、あなたを覚えておくため」
彼女は顔を向け、その深茶色の瞳で朔を見つめる。
「婚約のことなんて、お父さんから真面目に聞かされることなんて一度もない。ただ、お父さんとお母さんが喧嘩している時に、たまに『浅倉』っていう名前が出るのを耳にするだけ。それがどういう意味なのかも分からないし。あなたの名字と結びつけることすらないくらいに」
「後になって知ることになるけれど。でも、そんなの気にしない」
「だって――婚約があろうとなかろうと、あなたは浅倉朔だから」
「砂場に不格好な猫を描く浅倉朔。図書館で『ノルウェイの森』を借りる浅倉朔。美術室で静かに本を読む浅倉朔」
「私が好きなのは、浅倉朔。私の『婚約者』なんかじゃない」
朔は彼女を見る。
深茶色の瞳を、その穏やかな表情を、そしてほんのりと赤く染まる耳先を見つめる。
「詩織」
「うん」
「君の言葉――すごく綺麗だ」
「でも?」
「でも――」朔はうつむき、自分の手を見る。
「信じられるかどうかが、分からない」
「君が嘘をついていると思うからじゃない。僕が――僕自身のことすら信じられないからだ。自分が君のその思いに値する人間だとは思えない。君が言ってくれるような人間に見合うなんて、到底思えないんだ」
「だから――時間が必要なんだ」
「わかった。待つよ」
「君はいつも『待つ』って言うね」
「待つ以外に、何ができるのか分からないから。私が『好き』って言うからって、あなたがすぐに私のことを好きになるわけじゃない。『待ってる』って言うからって、すぐに私を選ぶわけでもない。だから、私は待つことしかできないの」
「あなたが考えをまとめるのを、あなたが心を決めるのを、あなたが――来てくれるのを」
彼女は立ち上がり、スカートの埃を軽く払う。
「浅倉くん、あなたが最後に誰を選ぶとしても、私はあなたを責めないよ」
「どうして?」
「だって――人を好きになるのは、見返りを求めるためじゃないから」
彼女は去っていく。
深い栗色の髪が月明かりの下で柔らかな光を帯び、白いワンピースが夜風にふわりと揺れる。
彼女の背中を見つめ、それが公園の出口へと消えていくのを見送る。
彼はうつむき、自分の手を見る。
手のひらには、詩織の指の冷たさがまだ残っている。
もしかすると、その言葉は本当なのかもしれないと思う。
彼女は本当に自分のことが好きなのかもしれない。
婚約があるからでもなく、何か理由があるからでもなく。
ただ、好きなのだと。
自分自身も、この少女に対して微かな恋心を抱き始めている。
だが――
それがどうしたというのか。
自分の心すら見極められないのに、どうして他人の心を受け入れることなどできようか。
彼は立ち上がり、家の方角へと歩き出す。
夜風が吹き抜け、彼の髪を乱す。
彼はそれを直さない。
なぜなら、乱れている方が、かえってリアルだと感じるからだ。




