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ンードラロギア  作者: ああああ


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第八十三章:反攻の足音

八十三章です。

夜明け前、サン・ガレ城は静寂に包まれていた。未明から降り始めた雪が、昨日までの血生臭い攻城戦の痕跡を覆い隠すように、城壁をうっすらと白く染めている。冷厳な美しさを湛えたその「雪化粧」は、しかし、帝国軍の司令本部においては何の慰めにもならなかった。


石造りの廊下を、軍靴の音が激しく、そして無作法に叩く。

「緊急報告! 参謀本部の面々を叩き起こせ! アルブール王国の本格反攻が確認された!」


かつて王国の誇りであった豪奢な会議室は、今や帝国軍の参謀たちによって吐き出される、紫煙と脂汗の入り混じった熱気に満ちていた。

大型の作図テーブルを囲む参謀たちの顔は一様に青白く、あるいは怒りで赤黒く変色している。


「敵の総数が十五万……だと!? 馬鹿な、王国の残存兵力のほぼ半分ではないか!」

一人の将校が、震える指で地図上の駒をなぎ倒した。


「正気か!? サン・ガレ城での籠城戦を挑む我々を、数に物を言わせてそのまま擦り潰すつもりか!」


「第ニ方面軍に即刻、援軍を要請しろ!」


「無駄だ! 奴らがここへ到達するまでに最短でも三日はかかる。しかも動員できるのはせいぜい三万……圧倒的に数が足りん!」


「そもそも、このサン・ガレ城の城門自体、これほどの兵力差を支えきれる構造ではないぞ! 補給路を断たれれば、我々は雪に埋もれた巨大な墓標の中で、ネズミのように干からびるのを待つだけだ!」


参謀本部の面々は、すでに軍人としての冷静さを喪失していた。彼らはエリートとしての自尊心ばかりが高く、想定外の事態――王国が死に物狂いで全力を投じてくるという現実――を直視する胆力を持ち合わせていなかった。ある者は机を叩いて喚き、ある者は窓の外の雪を眺めて絶望に浸り、ある者は本国の増援計画の不備を呪った。


「……静まれ! 見苦しいぞ!」

最年長の参謀が、声を荒らげた。しかし、その瞳にもまた、解決策は見当たらない。

彼は卓上の地図を見下ろし、邪悪な閃きを宿した表情で唇を歪めた。


「ロイド中佐を呼べ。……かの『奇才の知略家』であれば、この窮地を脱する妙案の一つも持っていよう」


その言葉が発せられた瞬間、室内に充満していた絶望が、卑劣な安堵感へと変質した。

参謀たちは互いに顔を見合わせる。彼らの頭脳は、戦局をどう打開するかではなく、いかにして自分の軍歴に傷をつけずに済ませるか、という一点においてのみ高速回転を始めた。


(そうだ、ロイドだ。あのアウトサイダーなら、何とかするだろう)

(……もし失敗しても、全権を委ねていたのは彼だ。独断専行の結果だと言えば、我々の責任は問われない)


「至急、ロイド中佐を連れてこい! 彼は今どこだ!」

「……城壁の上で、雪を眺めておられるかと」

「構わん、引きずってでも連れてこい! 帝国の栄光を背負う我々が、このような場所で終わるわけにはいかんのだ!」


彼らはすでに、戦うことを放棄していた。

自らの手で運命を切り拓こうとする意志は枯れ果て、ただ一人の「有能な駒」を差し出すことで、自らの保身を図ろうとする。


サン・ガレ城を包む美しい雪の下で、帝国軍の中枢は、泥沼のような醜悪さに沈んでいた。


重厚な観音開きの扉が押し開かれ、一人の男が室内へ足を踏み入れた。

グロードル帝国軍中佐、ロイド。

その軍服には雪の一片すら残っておらず、乱れ一つない着こなしが、かえってこの場に漂う混乱と対照的な異質さを放っている。彼の歩調は軍人の手本のように正確で、その足音さえもが参謀たちの焦燥を嘲笑うかのように響いた。


「ロイド中佐、入ります」


「遅いぞ、ロイド!」

机を叩き、身を乗り出したのは肥満体の少将だった。その額には隠しきれない脂汗が浮いている。

「貴様、このサン・ガレ城がどれほどの窮地にあるか理解しているのか! 王国の十五万が、今まさに喉元まで迫っているのだぞ!」


ロイドは表情一つ変えず、敬礼を解くと冷徹な双眸を少将に向けた。

「……申し訳ございません。城壁の上より敵軍の進軍速度と布陣を観測し、それに対する対抗策を立案しておりました」


「お、おお……そうか。ならば話は早い」

少将は現金なもので、ロイドが「策がある」と口にした途端、縋り付くような卑屈な笑みを浮かべた。

「して、どのような作戦だ? 貴公の知略をもってすれば、十五万の烏合の衆など、サン・ガレの城壁で跳ね返すことなど容易いだろう?」


他の参謀たちも、救い主を見るような視線をロイドに送る。だが、次に彼の口から放たれた言葉は、熱を帯びた室内を一瞬で凍りつかせた。


「率直に申し上げます。――即刻、サン・ガレ城を放棄し、全軍撤退すべきと愚考いたします」


一瞬、誰もが自分の耳を疑った。

静寂の後、爆発したような怒号が会議室を震わせる。


「……っ、貴様、何を言っているのか分かっているのか!? 戦わずして退けと言うのか!」

少将は顔を真っ赤に染め、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「帝国軍の辞書に敗走の二文字はない! このサン・ガレ城を落とすために、我が軍がどれほどの血を流したと思っている!」


「はい。ですからこそ、これ以上の無益な出血は避けるべきです」

ロイドの声は、感情を排した機械のように淡々としていた。

「恐れながら申し上げますが、敵軍十五万。対する我が軍は、第二方面軍の合流を待ったとしても、せいぜい八万に届くかどうか。たとえ兵数が同数であったとしても、この地形、この気候、そして何より『背水の陣』を敷いた王国軍の狂乱を正面から受ければ、我が軍の損害は甚大なものとなります。……最悪の場合、帝国軍主力の壊滅という、歴史に残る汚点を残すことになりかねません」


サン・ガレ城の参謀本部。外では未明からの雪が静かに降り積もっているが、室内にはエリートたちの醜い自尊心が充満し、吐き気がするほどの熱気を帯びていた。


「……撤退だと? 貴様、正気で言っているのか、ロイド中佐!」


ギルバート少将が、手に持っていた報告書を机に叩きつけた。そこには、わずか数日前、このサン・ガレ城をいかに容易く手に入れたかが記されている。


「この城を落とす際、我が軍がどれほどの損害だったか忘れたわけではあるまい。騎士団兵数一万八千に対し、死傷者はわずかに七百。文字通りの快勝だ! 王国騎士団が腰抜けにも撤退を選んだとはいえ、この鮮やかな勝利こそが帝国の実力を知らしめたのだぞ!」


「左様でございます、閣下」

ロイドは直立不動のまま、表情一つ変えずに答える。

「私の策を完璧に遂行した兵たちの功績であり、同時に、王国側が深追いせずに退くという『合理的な判断』を下した結果でもあります。しかし、だからこそ申し上げているのです。あの時の彼らは、守るに値しないと判断して城を捨てた。しかし今は違います。彼らは『すべて』を賭けて奪い返しに来ている。十五万という、理性を欠いた数で」


「ええい、理屈をこねるな!」

別の参謀が、脂ぎった顔を歪めて叫んだ。

「一度手にした手柄を、戦わずして返すなど軍人の面汚しだ! 陛下に何と報告するつもりだ? 『敵が多いので怖くなって城を明け渡しました』とでも言うのか! わずか七百の犠牲で手に入れたこのサン・ガレ城は、今や我々の輝かしい勲章なのだ。それをむざむざ手放すなど、断じて許せん!」


ロイドは、内側から湧き上がる冷めた感情を押し殺した。

彼らにとって、この城は戦略的拠点ではなく、自身の昇進を彩る「宝石」に過ぎないのだ。わずかな犠牲で手に入れた「安上がりな手柄」だからこそ、余計に手放すのが惜しいという、子供のような独占欲。


「……閣下、あの勝利が『安上がり』だったのは、王国側がこの地を決戦の場に選ばなかったからです」

ロイドの声が、一段と低くなる。

「しかし、現在は状況が逆転しています。補給線は雪で細り、城壁の修繕も未完了。その狭い門に十五万の狂軍が殺到すれば、城は巨大な袋小路と化すでしょう。今ならまだ、あの快勝の余韻を保ったまま、被害を出さずに次なる防衛線へ引くことができます。宝石を握りしめたまま溺死する道を選ぶのは、愚策の極みです」


「黙れ! 敗北主義者が!」

ギルバート少将が椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

「貴様の仕事は、この『宝石』を守り抜く策を出すことだ! 我々は一度掴んだものを離すつもりはない。犠牲だと? 兵などいくらでも替えがいる。だが、一度地に落ちた帝国の威信と、我々の武功に傷がつくことだけは絶対に認めん!」


ロイドは、視線をわずかに落とした。

(……結局は、そこか)

彼らには見えていないのだ。なぜこの段階で十五万という兵が動いたのか、王国側で何か風向きが変わったのだ。自分たちが「手柄」だと思い込んでいるこの城が、今や王国側の怒りを引き寄せるための巨大な「呪いの供物」に変わっていることに、彼らは気づいていない。


「……承知いたしました」

ロイドは、ふっと感情の消えた声で告げた。

「そこまでこの城に執着されるのであれば、私の進言は撤回いたします。帝国軍の威信と、皆様の輝かしい武功を守るため、サン・ガレ城にて敵軍十五万を迎え撃つ。そのための『死守作戦』を再構築しましょう」


「フン、最初からそう言えばいいのだ。貴公の知略があれば、十五万程度、何とでもなるだろう?」

少将は現金なもので、ロイドが屈服したと見るや、満足げに鼻を鳴らした。他の参謀たちも、手柄が守られたことに安堵し、卑屈な笑みを浮かべ合う。


「ただし、条件がございます」

ロイドは、参謀たちの目を一人ずつ見据えた。

「この戦いに勝利すべき策はあります。ですが、私はその全てを揃えることはできません。その最後のピースは参謀本部でご用意ください。よろしいでしょうか」


「よかろう。貴官の条件を飲もうじゃないか。……手柄を汚すなよ、ロイド中佐」


ロイドは無言で敬礼し、踵を返した。

扉を閉め、冷気の中に足を踏み出した瞬間、彼は小さく吐息をついた。その息は死者のように白く、冷たい。


「……兵は捨て駒、手柄は命より重い、か」

ロイドは雪に覆われた戦場を睨み、独り言ちた。

「やれるものならやってみろ……私は私で、この最悪な盤面を、せいぜい楽しませてもらいましょう」


彼の歩みは、もはや軍人のそれではなく、巨大な犠牲を捧げて「何か」を成し遂げようとする、冷徹な執行官のそれであった。


八十三章読んでいただきありがとうございました。お仕事帰りの方で、ロイドの立場に共感覚を感じられるとかなりな胸糞エピソードですよね…。すみません!また、その内、微エロ&ギャグエピソード書きますので!!

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