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ンードラロギア  作者: ああああ


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第七十九章:二つの絶望

七十九章です。

サン・ガレ城が陥落したその日…帝国軍は遅くまで勝利の美酒に酔っていた。その重厚な石畳を、近衛特殊任務中隊五百の軍靴は、不揃いな音を立てて叩いて帰路についた。

その先頭を歩くのは、中隊長レイン・フィールド中尉だ。


勝利に沸く他部隊の歩兵たちが上げる歓声は、敗北の汚名を着て帰還するレインへの嘲笑のように響いた。レインは泥に汚れた軍刀を握りしめ、前だけを見据えて歩く。だが、背後に続く五百人の部下の視線が、毒を塗った針のように彼女のうなじに突き刺さっていた。


「……中隊長、ロイド中佐殿がお待ちです」

副官の声に、レインは小さく頷いた。

五百人の命を預かりながら、わずか二百の守備兵に足止めを食らい、任務を全うできなかった。その事実が、彼女の華奢な背中に、鉄の塊のような重圧となってのしかかっていた。


城の一室、薄暗い灯火の下で地図を睨むロイドの前で、レインは震える膝を隠すように直立不動で立ち、中隊長としての『敗北』を申告した。


「……報告いたします。近衛特殊任務中隊、ヤプールの城塞攻略に失敗致しました。敵の守備兵を崩せず、撤退いたしました。ロイド中佐、申し訳ございません。全ては指揮官である私の、……私の無能ゆえです」


その声は、自分を責め苛む苦痛に掠れていた。

ロイドは書類から目を上げ、憔悴しきったレインの瞳を見つめた。その瞳に映る絶望を、彼は誰よりも深く理解していた。だが、今の彼は一万五千を預かる軍司令官代行、ロイド・中佐なのだ。


「報告ご苦労……レイン中尉。そう気を落とすな。要塞攻略は本来、守備兵の十倍の兵力をもって当たるのが鉄則だ。敵の指揮官、従騎士ウォールという者は中央守備隊所属の兵士だったという…普段は関所を守っているような者だ。戦場では誰がいつ英雄になるかわからん…稀に優秀な原石が紛れ込んでいることもある。今回、君はその才能が開花する瞬間に立ち会ったに過ぎない」


事務的な、上官としての慰め。それが今のレインには、死刑宣告よりも冷たく響いた。

「……ですが、腹心であった随伴兵ヴァル・ヌル曹長が私を庇って負傷しました。現在ティアが傍で介抱しております」


「そうか。それは気の毒だったな……。中隊長として、隊員の労苦を労ってやるといい」


「……はっ。失礼いたします」


レインは無機質な敬礼を返し、おぼつかない足取りでその場を去った。ロイドは、彼女の細い肩が震えているのを見逃さなかった。


(すまない、レイン……。君の初戦を勝利で飾ってやれなかったのは、私の不徳だ。君をこの泥沼に引きずり込み、こんな言葉しかかけられない……だからわかってくれ、これで残酷な現実を直視して軍を抜けるんだ)


握りしめたロイドのペンが、パキリと音を立てて折れた。


(自分は、中隊長として……無能なのではないか?)


城の回廊を歩きながら、レインの心には黒い霧が立ち込めていた。

名門フィールド家の令嬢。父は北部方面の最高権力者。その威光を背負い、エリート部隊である近衛を率いている自負があった。自分に付き従う隊員たちは、自分の指揮を信じているはずだ――そう信じたかった。


自部隊が待つ天幕に近づいたとき、内側から漏れ聞こえてくる野卑な笑い声に、レインは足を止めた。


「しかし、俺たちもとんだ貧乏くじだよな! 北部総督閣下のお嬢様のお守りをさせられるなんてよ!」


心臓が、跳ねた。


「ああ、ヴァル曹長がまさかご自分の体を張って守るとはな。曹長があのお嬢ちゃんを庇わなけりゃ、怪我一つせずに済んだだろうになぁ」


「何言ってんだ! あのお嬢様が万が一負傷してみろ。この部隊は即座に潰され、俺たちなんて一生、日の目を見る機会はないんだぞ。曹長は俺たちの『地位』のために体を張ったんだ!」


レインは動けなかった。暗闇の中で、全身の血が凍りついていくのを感じた。


「ま……あの無能なお嬢ちゃん、身体だけは一人前に魅力的だよな。あの白くて柔らかそうな肌を一晩拝めるってんなら、どんな死地にも赴くんだけどな~!」


「違いねぇ!ガハハハハ!!」


「俺、今日の帰路に着く間、ずっと鎧の隙間から見え隠れする中隊長殿のうなじを見ていたんだよ」


「あぁ、俺も俺もー」


天幕から漏れる下卑た笑い声。それは、レインが信じていた「中隊長としての絆」が、単なる「高級な飾り物の保護」であり、自分に向けられていた敬意の正体が「性的な対象としての品定め」であったことを証明していた。


彼女は、兵士たちの士気を高めるための「旗」ですらなく、ただの「便利な、壊してはならない性的な器」でしかなかったのだ。


レインは天幕を素通りし、ヴァル・ヌル曹長が横たわる医務天幕へと向かった。

そこには、ヴァルの恋人であり、レインの身の回りの世話を焼いてくれるティアが寄り添っていた。


「中隊長……」

ヴァルが、蒼白な顔を上げ、無理に口角を上げた。その額には、痛々しい包帯が巻かれている。


「中隊長、戦場には『機』というものがあります。必ずどこかで、王国の反攻作戦が実行されるでしょう。その時こそが、我らの泥を濯ぐ機会となります。……どうか、顔を上げてください」


それは、レインが今日聞いた中で唯一の、打算のない、純粋な励ましだった。中隊長として認められたいともがいていた彼女にとって、ヴァルだけが本当の「部下」であり、「戦友」だった。


「……ありがとう、ヴァル。……ゆっくり、休んで」


レインはティアに後を託し、逃げるように自分の天幕へと戻った。

だが、その夜。ヴァル・ヌル曹長は、眠るように息を引き取った。


検死の結果は、頭蓋内出血。負傷した際、外部に血は出なかったが、脳の中でゆっくりと血の溜まりができ、それが彼の命を内側から押し潰したのだ。


朝、霧の立ち込めるサン・ガレ城で、レインはティアの絶叫を聞いた。

ティアとヴァルは、この戦争が終わったら結婚する約束をしていたという。ティアはヴァルの遺体に縋りつき、正気を失ったように泣き叫んでいた。


レインは、その光景を遠くから見つめることしかできなかった。


(私のせいだ。私が……あそこで何もできず、ただ守られるだけのお飾りだったから、ヴァルは死んだ。ティアの幸せを、私が殺した)


天幕から響く隊員たちの、昨夜と変わらぬ下卑た笑い声。

医務天幕から響く、一人の女性の、魂を削るような泣き声。


レインはその場に立ち尽くし、自分の手のひらを見つめた。

白く、傷一つなく、そして何の意味もなさない。


「……私は、何なの……?」


その呟きは、勝利の喧騒に呑み込まれ、誰にも届くことはなかった。

近衛特殊任務中隊長、レイン・フィールド。少女の心は、サン・ガレ城の冷たい朝霧の中で、二度と戻らぬ闇へと沈んでいった。



一方その頃………。


王都アルブールの王宮深く、白磁の円卓を囲む四人の男たちがいた。

アルブール国王は、手元の報告書を満足げに放り出し、背もたれに深く体を預けた。


「ふむ……ディートリヒは見事にやってくれたな。サン・ガレ城を空にし、一万八千の精鋭をほぼ無傷で撤退させるとは。民の避難も完璧だ。帝国軍は今頃、空っぽの城で羊の丸焼きでも食うておるだろうよ」


国王の快活な笑い声が室内に響く。

親衛隊長アインザックは、鋼の如き腕を組み、厳格な表情をわずかに緩めた。

「左様でございますな。ディートリヒ団長もさることながら、民が整然と動いたのも王の御徳ゆえ。帝国の鼻を明かしてやりました」


魔大師シリウスも、指先で水晶を弄りながら、瞳を細める。

「戦術的には負けておりますが、戦略的には我が方の完勝。帝国軍参謀のロイド中佐とかいう小僧、今頃は計算狂いに歯噛みしていることでしょう」


「して、シリウス。……『秘策』の状況はどうか? オルダ殿たちは動いているのか?」


国王の問いに、シリウスは確信に満ちた笑みを浮かべた。

「はっ。現在、アンジュを迎えにやっております。間もなく我が国の最強戦力が揃うことでしょう」


国王は立ち上がり、窓の外に広がる平和な王都を眺めた。


「世界最強クラスの魔導師エルキア殿、軍神と呼ばれたガナーブ殿…あ、今はオルダ殿と名乗っておったな。そして死をも克服した『不死の王』りっちゃん……。この三つの力が揃えば、帝国の十万の兵とて吐息で吹き飛ばせる。もはや戦ですらない。……一方的な掃除よ!」


国王の足取りは軽く、鼻歌すら漏れそうなほどに「ウキウキルンルン」としていた。

だが、その楽観に水を差すように、サーガイルが眉をひそめて口を開いた。


「父上……。彼らがそのように都合よく、我が国の天秤を支えるために戦地へ向かってくれますかな? 彼らは国家に忠誠を誓う騎士ではなく、個の理で動く怪物たちです。我らが見返りに何を差し出そうとも、気分一つで去るやもしれませんぞ」


「何を言うか! サーガイル」

国王は不機嫌そうに振り返った。


「戦火が広がれば、彼らの安住の地であるヤプールの北集落も蹂躙されるのだ。家を焼かれ、民を殺されるのを黙って見ているはずがなかろう。彼らは、戦わざるを得ん状況に追い込まれておるのだ。断るはずがない!」


国王の言葉には、どこか自分を納得させるような強引さが混じっていた。


その時、重厚な扉が「バン!」と乱暴に開け放たれた。

現れたのは一人の秘書官だった。その顔面は蒼白を通り越して土気色に染まり、全身が小刻みに震えている。


「申し上げます!! 申し上げます!!」


「なんじゃ、騒々しい。オルダ殿が到着したのか? アンジュも一緒か?」


国王はまだ、笑顔を崩さずに問いかけた。

だが、秘書官は床に膝をつき、絞り出すような声で絶望を告げた。


「い、いえ……。予定通り、アンジュ殿がオルダ殿一行と合流……いたしましたが……ッ」


「どうした、はっきり申せ!」アインザックが雷鳴のような声で促す。


「オルダ殿は……アンゾールマでの事件により、足を骨折して重症! 現在、松葉杖をついた状態です! エルキア様は魔力の過剰行使による衰弱により、もはや戦える状態にあらず……療養のため、エルフの国へ帰還されました!!」


「……なんじゃと……?」

国王の顔から血の気が引いていく。シリウスの手から杖が滑り落ち、乾いた音を立てた。


「そ、それではりっちゃんは!? 不死の王は!?ウサギのぬいぐるみはどうしたのだ!?」


秘書官は涙を流しながら、信じがたい報告を続けた。

「……りっちゃんこと、ウサギのぬいぐるみは……アンゾールマの事件の後、修復不能なほどに破れ去り、廃棄されたとのことです!!」


「な……なななな……なんじゃとぉぉぉぉぉ!?」


国王の絶叫が、王城の天井を突き抜けるように響いた。

ウキウキと踊っていた足はガタガタと震え、膝から崩れ落ちる。


「世界最強のエルフが…療養で戦線離脱……?不死の王が……廃棄された……? 軍神が……重症だと……?」


「馬鹿な……あり得ん! あの『怪物』たちにそのようなことがあるものなのか!?」


アインザックは拳を壁に叩きつけた。石壁に亀裂が走るが、そんな痛みなど誰も感じていない。


「アンゾールマ…アエゾス事件……」サーガイル王子が、呪文のようにその名を呟いた。「何か禁忌の魔導実験により生み出されたモンスターとの壮絶な戦いだったと聞いております。それだけの死闘だったというわけですよ、父上…。帝国軍はそれを見越して侵攻してきたことも考えられますね……」


シリウスは水晶を落としそうなほど震える手で握りしめている。

「あ、アルト殿やラッシュ殿……アンジュはどうした? 彼ら若い戦力も……」


「ラッシュ殿は無事ですが、アルト殿は死闘の後、精神が不安定になっていると聞いております……」


四人の男たちの顔に、かつてない濃密な絶望の色が立ち込めた。

サン・ガレ城を捨ててまで温存した一万八千の騎士団。だが、それらを束ねて帝国を押し返すはずだった「最強の矛」は、もはやこの世のどこにも存在しなかった。


「……負ける…負けてしまう…」

国王は虚ろな目で、床に転がった報告書を見つめた。

「戦が始まる前に……余は、全てを失うておったのか……」


王城を包む夕闇は、先ほどまでの美酒の味を、泥水よりも苦いものへと変えていった。


「父上…。少しばかり彼らに頼り過ぎていたのかもしれません。」


「そうじゃな…イグーロ公国での護衛、アンゾールマ国の流通経路の確保…その結果、我らは何より大切にしなければならなかった剣を粗末に扱い、折ってしまったということだな…」


国王は目を閉じて深く息を吸い込み、重い口を開く。

「よかろう…、彼らを国賓待遇で丁重にもてなすのだ、彼らのこれまでの労苦を最大限労ってやろう」


国王は目を見開き叫ぶ。

「すぐに、サン・ガレ城に騎士団の総力戦を行うよう使者をだせ。アインザック、シリウスよ、一度の戦いでこの戦争は終わらぬ、我らも出陣の用意を。これ以上他人に任せてはおけぬ。民を、国土を守るのだ!」



七十九章読んでいただきましてありがとうございます。実はレインと戦った相手、第一部に登場しています。

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