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ンードラロギア  作者: ああああ


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第七十八章:偽りの勝利と明日のための敗北

七十八章です。

サン・ガレ城の重厚な石壁に囲まれた中庭。朝日を浴びて輝くはずの白銀の鎧は、今は薄暗い天蓋の幕から静かに現れた。

西方方面第四騎士団長、ディートリヒ・フォン・グロウスは、中庭に並び立つ千の騎士たちを前に、親書を掲げた。


「ここまでは、帝国の卑劣な奇襲によって……民間人の被害を避けることができなかったのは、痛恨の極みである。これは我らの力が至らなかったこと。だが、諸君、絶望の時は終わった。ここに来てアルブール国王陛下より、大いなる御命が下されたのだ!」


ディートリヒの声は、父が子に語りかけるような慈愛と、鋼のような芯の強さを併せ持っていた。彼は内心で、半分以上の被害が守旧派の領主の失策によるものだと苦く噛み締めていたが、それを口に出すほど愚かではない。今は、この「高潔すぎる若者たち」に、戦う理由ではなく「生きる理由」を与える時だ。


「読み上げる! 騎士団諸君、サン・ガレ城を放棄せよ!」


一瞬の静寂。その後、中庭は「何と言ったのだ!?」という動揺の嵐に包まれた。

「放棄……だと!? 何を言っているんだ、団長!」

「我らはこの城を守るために、先祖代々、剣を磨いてきたのだぞ!」

「陛下は我らを見捨てられたのか! 帝国に膝を屈せというのか!」


騎士たちの顔は、困惑と屈辱で真っ赤に染まった。彼らにとって城を捨てて逃げるなど、死よりも耐え難い不名誉だ。最前列の若き騎士は、怒りのあまり剣の柄を叩き、地面を睨みつけている。その場は、今にも暴動が起きかねないほどの殺気に満ちた。


しかし、ディートリヒの声が、その怒号を圧して響き渡った。


「静粛に!! ……そなたらの憤りはもっともだ。だが、陛下の御言葉を最後まで聞け!」


ディートリヒは親書を強く握りしめ、魂を絞り出すように叫んだ。


「できる限り、ベゼル平原で時間を稼ぎ、病人、老人、子供を含む全ての民を避難させよ。城は石の塊に過ぎぬが、民は王国の宝である。騎士の剣と盾で民の命を守る精神こそ、我らが礎! 私は、ここまで一人の欠員もなく、諸君がここに揃っていることを、何よりも誇りに思う!」


その言葉が落ちた瞬間、中庭から怒号が消えた。

騎士たちは、自分の胸の中にある「騎士の本分」を突きつけられたのだ。彼らは気付いた。自分たちが守るべきは、冷たい城壁ではなく、この城の下で怯える無辜の民の命なのだと。


「……民を、守るため……」

一人の老騎士が、震える手で胸の紋章に触れた。

「逃げるのではない。我らは民の盾として、戦場へ向かうのだな……」


理解が波及していく。屈辱は、瞬く間に「聖なる義務」への高揚へと塗り替えられた。王は自分たちを見捨てたのではない。自分たちの命を、民の命と同じように愛してくださっているのだ。


「そなたらも、民の命の次に、己の命を大事にせよ!我が騎士も我が宝、国の宝である。己を慈しめぬ者に、他者を守ることなどできぬ。案ずるな、余にはとっておきの秘策がある。決定的な反攻の時までの辛抱だ。小さな勝利など、帝国にくれてやればよい。皆、生きて、最後に勝利の栄光と喜びを分かち合おうではないか!」


「おお……アルブール国王陛下……!」

「ああ、なんと尊い御命を……!」


あちこちで騎士たちが兜を脱ぎ、膝をついた。人目も憚らず、嗚咽を漏らしながら、固く握った拳を胸にぶつける。それは敗北への嘆きではなく、真の騎士道に触れた者たちの歓喜の涙だった。中庭は、濁流のような王への称賛と、ディートリヒへの狂信的なまでの忠誠心に飲み込まれていった。


ディートリヒはそれを見て、内心で会心の笑みを浮かべた。

(……我が軍の勝ちだな。これで兵の『負ける恐怖』に怯える必要がなくなった。偽装の敗北を心置きなく演じられる。百回全て勝ち続けねばならぬあちらの天才に、我らはたった一度、最後に勝てばよいのだからな…。ロイド・中佐殿、あなたとは五分の戦場で相まみえたかった…。)


ベゼル平原。霧の向こう側から、ロイドが放った「工作員」たちの扇動の声が聞こえてくる。だが、ディートリヒの騎士団は動じない。彼らにとって、この平原は守るべき場所ではなく、民が逃げるための「時間」を稼ぐための舞台に過ぎなかった。


戦端を切ったのは、皮肉にも帝国軍の側だった。

ロイドの厳格な統制下にあるはずの帝国軍において、手功を焦った予備兵たちが、サン・ガレの城門から一切の反撃がないことに痺れを切らし、独断で突撃を開始したのだ。


「フン、統率も取れぬ雑兵どもが。中佐殿の顔が泥にまみれるのが見えるようだ」

騎士団副団長ジークフリート・マイヤーが、馬上で重厚な槍を構えた。

「よし!! 統率を欠いた部隊を優先的に狙え! 遠距離攻撃、開始! 痺れを切らして、奥から『本命』が出てくるぞ!」


「言われなくても分かっているわ、副団長」

二十四歳という若さで『弓聖』の称号を得たフラン・トレイルが、風を読み、弦を引き絞る。彼女の放つ矢は、帝国の予備兵たちの喉笛を正確に射抜いていった。

「あれはただの雑兵。本命の騎士団が接触する前に、まずは掃除をしておくわ」


後方では、老軍師ウォルター・フォン・エーベルが、枯れ木のような杖を振るい、低空を這うような火球を放つ。

「魔力残量を意識せんか、若造ども。撤退するまでが今回の『戦』じゃぞ。老い先短いワシに、あまり走らせるでないわい」


帝国軍の突撃は、王国の計算された迎撃によって停滞した。ロイドが空に上げた気球が、ゆらゆらと揺れている。ロイドはこの状況をどう見ているのか。ディートリヒは空を睨み、ただ一言を待っていた。


膠着状態が続いて二時間。ついに、伝令がディートリヒのもとへ駆け込んだ。

「申し上げます! サン・ガレ城、及び城下町の民、全ての避難が完了しました!」


「よろしい!」

ディートリヒは、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「それでは……『羊部隊』を北側から放て! 全軍、退却の準備だ! 足の遅い者は、重い鎧など脱ぎ捨てて構わん。馬は民に貸し与えてしまったからな、はっはっはっ!」


「団長! 笑い事ではありません! あなただけでもこの馬に乗ってください!」

副官が予備の馬を差し出すが、ディートリヒはそれを一蹴した。


「馬は負傷者が優先だ。階級など、命の重さの前では紙切れ同然よ。私はこれでも、昔は徒走かけっこが得意でな!」


その直後、戦場の北側で大地を揺るがす大爆発が起きた。

ドドドォォォン!!


地雷原に突入した数百頭の羊たちが、ロイドの用意した「爆裂陣」を次々と起爆させたのだ。燃え上がる羊の脂の臭いと、立ち込める黒煙が平原を覆い尽くす。


「なんだあれは…!?魔法…いや、火薬か!流石はロイド中佐、我々を次々に驚かせる奇策のどれだけ持っているのだ!?」


「しかしながら団長殿…私には、帝国軍の根幹が軟弱な地盤であるが故に、宮廷道化師にも見えてしまいますな…」


「惜しいな…」


「今だ! 全軍退却! 南へ走れ!」

ディートリヒの号令とともに、王国軍は一斉に反転した。

本来なら、背を見せた退却は凄惨な追撃を招く。しかし、北側の爆発と煙幕が帝国軍の視界を奪い、さらには「鎧を捨てて身軽になった」王国兵たちの逃げ足は予想外に早かった。


ロイドが気球の上から見た光景は、勝利の凱歌ではなく、立ち込めるジンギスカンの煙の向こう側へ、一目散に、だが整然と逃げ去っていく「騎士らしくない」軍勢の背中だった。


王国軍の殿軍の中にいたフラン・トレイルが、風を切り裂くような速度で長弓を引き絞っていた。彼女の瞳は、はるか上空の「気球の籠」を、正確にはロイドの眉間を捉えていた。


「消えなさい、帝国の毒虫!」


放たれた矢は、物理法則を無視した魔力の軌跡を描き、空を裂いた。ロイドが反応するよりも早く、死の切っ先が彼の眼前に迫る。

――カツンッ!

乾いた音と共に、矢はロイドの鼻先で弾き飛ばされた。ハンスが、無造作に、だが電光石火の速さで抜剣し、最小限の動きで『弓聖』の一撃を叩き落としたのだ。


「中佐殿、やはり気球は危のうございます。この正確無比な一撃…『弓聖』によるものでございます」


「あぁ…そのようだな、助かったよハンス。ありがとう」


サン・ガレ城の城門は、王国工兵隊があらかじめ作っておいた「亀裂」、帝国軍に見破られる事無かった。帝国軍は、もぬけの殻となった城へと入城する。


ロイドは、気球から降り立ち、無傷で手に入れたはずの城門を見上げた。

そこには、民の一人も、パンの一切れも残されていなかった。


「……中佐殿」

ハンスが、逃げ遅れた羊の黒焦げた死体を検分しながら歩み寄る。

「敵将ディートリヒ、および一万八千の騎士団。確認できる死傷者は極少数。彼らは民を引き連れ、南の山岳地帯へと消えました」


ロイドは無言で、城壁に刻まれた新しい「亀裂」を指でなぞった。

「……負けたな、ハンス」


「いいえ。サン・ガレは陥落しました。これは帝国の輝かしい勝利です」


「いや、敗北だ。私は『敵を全滅させ、橋頭堡を築く』計算をしていた。だが、ディートリヒは『城を捨て、戦力を温存し、民を救う』という、僕の計算機にはない解を叩き出してきた」


「主命が違えば、当然結果は異なります…」


ロイドの視線の先には、南へと続く平原の轍が残っていた。

王国軍は死んでいない。むしろ、城という重荷を捨て、ディートリヒという男への狂信的なまでの忠誠心という「鎧」を纏って、より強固な集団へと変貌を遂げている。


「ハンス。……奴は羊を使って、僕の『地雷』を笑い飛ばした。……友人になれると思ったが、訂正だ。あいつは、僕が最も相手にしたくない種類の『聖者』だよ」


ベゼル平原に、帝国の軍旗が翻る。

だが、その勝利の味は、焦げた羊の肉の匂いと共に、ロイドの口の中に苦く残るだけだった。

サン・ガレ城攻略戦。それは帝国にとっての輝かしい前哨戦のはずが、これから始まる長い地獄の、ほんの入り口に過ぎなかったのである。


「勝った! 我々の勝利だ!」

「見たか、王国の腰抜け共を! 尻尾を巻いて逃げ出しおった!戦利品は羊のステーキだな!」



第3歩兵連隊長のディック少佐や、第2連隊長のクレープス中佐は、血に飢えた獣のような咆鴦を上げ、城内で有頂天になっていた。兵力差があったにも関わらず、ほぼ無傷で要塞を手に入れたのだ。彼らにとって、これは史上稀に見る「大勝」だった。


入城した参謀本部は、祝杯の準備に沸いていた。

首席参謀代理のカイル大佐は、豪奢な椅子にふんぞり返り、上機嫌で葡萄酒を煽っている。


「ははは! 見ろよ、あの『聖盾』のディートリヒが、羊を焼いて逃げ出した! ロイド中佐、貴様の地雷も役に立ったじゃないか。羊の丸焼き機としては最高だ!」


周囲の参謀たちも、ドッと笑い声を上げる。そこにロイドが、泥に汚れたハンスを連れて冷淡に歩み寄った。


「カイル大佐、お喜びのところ失礼しますが、直ちに追撃の編制を。敵は戦力を完全に温存しています。サン・ガレはもぬけの殻、食糧も資源もありません。これは戦術的な敗北です」


一瞬、場の空気が冷めた。カイルは愉快そうに鼻で笑った。

「戦術的な敗北だと? 街も城も無傷で手に入れたんだぞ、中佐殿。貴様、勝ちすぎて頭が狂ったか?」


「敵は民を守ることで、軍の士気を神格化させました。今の彼らは、死なない軍隊です。今叩かなければ、後で必ず……」


「いい加減にしろ!」

カイルがグラスを机に叩きつける。

「お前はいつもそうだ。勝利を勝利として喜べない。……まあいい。諸君、聞け! 我らが『英雄』殿は、これほどの大勝を収めてもなお、己を律し、敵を警戒しておられる! まさに武人の鑑、殊勝の心がけではないか!」


参謀たちが、あざけるような拍手と笑い声を浴びせる。

「英雄殿は慎重すぎて、空の上で震えていたのかもな!」

「殊勝な心がけだこと!」


ロイドは無表情のまま、その嘲笑の嵐に背を向けた。

城壁の外。気球から見下ろしたあの整然とした「敗走」の轍が、ロイドの目には巨大な蛇の這い跡のように見えていた。


「ハンス、聞こえるか。あの笑い声が」


「はっ。豚たちの鳴き声にしか聞こえませんな」


「……僕たちが手に入れたのは、ただの空箱だ。ディートリヒは、この城を僕たちの『棺桶』に作り替えて去っていったんだよ」


「急ぎ、レインに撤退命令を、当初の目的は達成された」


「御意…」


祝杯の香りが漂うサン・ガレ城。

その最上階で、ただ二人だけが、暗い南の空を見つめていた。そこには、牙を研ぎ直す「聖者」の一軍が、静かに息を潜めているはずだった。


七十八章読んでいただきありがとうございます。戦場での戦闘描写もっと書いてほしいですよね…すみません。駆け足で進んじゃっています。後で加筆していこうかな…とは考えております。

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