第七十章:死闘の後 それぞれの道
七十章です。
アンゾールマの影の支配者、アエゾス・ヴォルガ。
彼がプリムという「光」に対して異常なまでの固執をしなければ、その名は永遠に歴史の闇に埋もれ、陽の下に晒されることはなかったはずだった。
倉庫での死闘の末、アエゾスの遺体は塵となって消え失せた。しかし、ギャング対策本部のセイを始めとする捜査官たちは、捨て身の覚悟でこの事件に関与する決定的な証拠の数々を押さえた。
脱税、未成年に対する性搾取、巨額のマネーロンダリングの記録。
「……これだけ!?あれだけの地獄を積み上げて、起訴できるのはたったこれだけなの!?」
対策本部の一室で、捜査官マイケル・カミドが書類を叩きつける。
政治家、実業家、政府関係者…さらには他国の貴族との繋がりを示す膨大な名簿。それらは確かに存在するが、法律という名の「壁」が、皮肉にもそれら権力者への追及を遮断していた。
「こんな捜査じゃだめよ! 捜査官がダース単位で必要になる巨大なヤマよ! 上層部は何を考えているの!? このままじゃトカゲの尻尾切りで終わってしまうじゃない!」
マイケルがヒステリックに声を上げ、芳香が抜けきった焙煎豆の煮出し汁を飲み込む。セイ、パク、ルピナス、キヨウ、カイト。丸二日、彼ら対策本部の面々は不眠不休で事件の真相究明に全力を注いできた。その自負が、目に見えない巨大な力によって無効化されようとしている。
不意に、部屋のドアが重々しく開いた。
現れたのは、シン本部長だった。その顔は憔悴しきっており、苦い薬を飲み込んだような苦渋の表情で重く口を開く。
「……撤収だ。……上からの命令だ。この件に関する全ての捜査を即刻中断しろ」
沈黙が部屋を支配した。その直後、ダァンッ!! と、どこからともなく激しく机を叩く音が響き渡る。
「……キヨウさん。これが、この国の正義なんですか……!」
若き捜査官、カイトが拳を血が滲むほど握りしめ、上司であるキヨウを睨みつける。その瞳には、裏切られた絶望と、抑えきれない怒りが燃えていた。
「カイト君……。あの地獄の中で犠牲者を最小限に留めた『彼ら』が、法で裁かれなかったことだけが、この国に残されたわずかな良心です。希望の芽はまだあります。早まった真似はやめなさい。…わかりましたね?」
キヨウは静かに、けれど釘を刺すように言った。法が届かないなら自分の手で――そう考えかねないカイトの危うさを、誰よりも早く察知していたのだ。
カイトは何も答えず、ただ深く沈黙を貫いた。
こうして、アンゾールマの闇を暴くはずだった「ギャング対策本部」は、突如として不自然な形で解散することとなった。
しかし、警察組織自体を最初から信用しきれていなかったシン本部長は、乾坤一擲とも言える最後の手を打っていた。
政府の息がかかっていない報道関係者に対し、秘密裏にアエゾスに関する情報をリークしたのだ。
翌朝、アンゾールマ国に激震が走った。
「影の支配者の存在」「隠蔽された非道」
リークされた情報は熱を帯び、人々の憶測は陰謀論へと発展。それはやがて、街頭集会や大規模なデモという「大きなうねり」となって政権を突き動かした。
政府は火消しに躍起になったが、噴出した国民の不満は抑えきれず、ついには政権が退陣する事態へと追い込まれる。
表面的には、民衆の怒りが勝利したかに見えた。
だが――それらもまた、表に名が出ることのない「陰の実力者たち」の筋書き通りだった。
政治不信を発端とした株価の下落。それすらも、彼らにとっては安値で資産を買い叩き、利益を上げるための「マネーゲーム」に過ぎない。
混乱はやがて経済の停滞を招き、人々は次第に疲弊していった。
「真実の究明よりも、明日の生活を」
「政治の浄化よりも、目先の安定を」
人々の関心は次第に、アエゾスが犯した罪や、その背後に隠れた黒幕の正体よりも、経済の立て直しこそが急務だと移り変わっていく。
かつての熱狂的なデモは収束し、不都合な真実は、人々の忘却という名の深い霧に包まれていった。
だが一方で警察の手から逃れた『陰の実力者たち』ですらも、『セレスティアル・サーバント』によって、今回の事件に関与した者は残らず闇の中で消されていった。禁忌の魔導実験は、こうして完全に葬られたのだった。
死闘が幕を閉じてから四日が経過した。アンゾールマを襲った狂気と破壊の爪痕は深く、オルダ一行はようやく血生臭い前線から離れ、冷徹な数字と向き合う余裕を得た。しかし、報告に立つマークの表情は、勝利の余韻など微塵も感じさせない苦渋に満ちたものであった。
「今回の被害について、笑顔の家族・プリム・タイゼル各組織の合計被害は……重傷者は330名…死者は125名です」
マークの声が沈痛に響く。だが、彼が真に唇を噛み締めたのは、その後の言葉だった。
「ですが、これはあくまで我々の構成員の数字です。主戦場となった旧市街の浮浪児や住人たちの被害は……恐らく、この五倍程度となります。目下、救護と物資調達に奔走していますが、医薬品の在庫が底を突きかけています…その…」
マークが苦虫を噛み潰したような顔で言葉がつまる。
「…どうした。言い淀むな、検討はついているから現状を正確に報告しろ」
オルダの低く鋭い声が飛ぶ。マークは意を決したように続けた。
「はい…医薬品について一部の流通で意図的に停滞しています。市場価格は跳ね上がり、多くの市民は不安に煽られ買い占め、非正規のルートで転売行為も横行しています」
「また、今回人々が狂人となった原因が、飲料水だったのではないかというデマの拡散されており飲料水を国外から調達しようと物流についても負荷がかかっております」
「はぁ!?助け合うのがまず先なんじゃないのかよ!?なんでこんな時すら金儲けしか考えられないんだ!?」
ラッシュが激昂して机を叩く。だが、オルダは冷ややかにそれを制した。
「全てがそうとは限らないが…限りのある物を公平に分け与えようとする際、そこに『金』という尺度を持ち込めば、必ずこうなる」
「まずはギャング内に正確な情報を共有させるんだ。飲み水は問題無い。包帯が足りなきゃ清潔な衣服を裂け。何より炊き出しを徹底しろ。人間、腹が満たされていれば少しは冷静になれる。資本主義の豚どもに踊らされないために…な」
オルダの眼差しは、眼前の敵以外の壁も見据えていた。
「…かしこまりました」
「カインやプリムの証言を統合すると、今回の事態は人々の負の感情を抽出した……いわば『負のマナ』によるものだ。それが生物を狂暴化させ、異形の力を与えた。規模こそ限定的だが、本質は『月の蝕』と同じだ。魔王が出張ってきたのが決定的だ。ただ…規模は今回はずっと限定的で小さいはずだ」
オルダの分析に、エルキアが忌々しげに髪をかき上げた。
「そうね…あいつらピクニック気分で『遊びに来た』という感じだったわ。あのアリスという魔族も、私の実力を品定めするような真似をして……。あれが無ければマナが消費することもなかったわ」
「つまりはブラッディ・アイはこんな規模では済まないということだ。今回は一日で片付いたから良かったものの、我々に足りないのは武力だけじゃない。兵站、衛生兵站……組織としての継戦能力が課題だ。『笑顔の家族』のメンバーを中心に、今回の傷病者の対応の経験を訓練に落とし込み、アルブール王国やイーグロ公国とも情報を共有する必要がある」
「やることが山積みね…待って」
今後の展望を語るオルダを、エルキアの鋭い視線が遮った。彼女は扉の向こうの微かな気配を察知し、オルダを制止させる。
「盗み聞きなんて悪趣味よ。入っていらっしゃい」
一瞬の躊躇の間があったが、ヒョーバルが姿を現す。
「このような場では話せない。人払いを……」
「よし、『笑顔の家族』メンバーは一度解散だ」
アルトを除く、オルダ、エルキア、ラッシュ、りっちゃん、エネアウラ、プリムが残った。
「今回のことで、私たちがいがみ合っている場合でないことは理解したはずよ。まさか枢密院は『魔王様がなんとかしてくれる』なんて思っていないでしょうね?」
エルキアの皮肉に、ヒョーバルは沈黙し、やるせない気持ちを吐露する。
「枢密院は、今回の魔導実験を人が成功させたことで、蜂の巣をつついた様です。彼らの頭にはブラッディ・アイによって殺戮される人類のことなど初めから無い…あるのは戦後処理だけです…」
「彼らには『結界』があるものね…自分達の命が保証され、絶滅さえしなければわずかに残った人類を自分たちの手で時間をかけて増やしていく…それもキレイな存在だけをね」
エルキアは一瞬ハッとする、自分もアルトに同じようにしているのではないかと、汚れないように育ててきたのはエルフの性なのではないかと。しかし、エルキアは否定する、アルトがどんなに汚れても愛しい存在であることには変わりない。その情愛は、枢密院の冷徹な管理思想とは根本から異なるものだと、心の中で強く宣言した。
オルダが重い口を開く。
「ヒョーバルさん、あんたの考えは、今回の死闘の中で組織の枠にとどまらないものだとよくわかった。協力して、被害を抑えてくれたことに感謝する」
「別に感謝など…!今回だけマスター・エルキアの指示に従っただけのことだ!」
「…で、そんなあんたが、ここに来たのはどういう了見だ?」
「…マスター・エルキア。貴女のマナの消耗は深刻だ…今すぐに大樹の下に戻った方が良いです」
「…」
オルダは黙ってエルキアを見る。
「あら、随分師匠想いになったものね、どういう風の吹き回し?大樹がなくても、私にはアルトがいるわ。あの子は私に力を与えてくれる」
「からかうのはおやめください!まずは一刻も早い回復を!貴女には守るべき子供もいるでしょう!!エルフと人種の混血ではあるが、貴女の子供だ!」
「「『「「「……はぁ!?」」」』」」
この場にいた全員がシンクロする。
…誤解は丁寧に解説された。
認めたくなかった最悪の事態が、自分の誤解であったと悟った瞬間の、天にも昇るような解放感。安堵するヒョーバル。
「つまりは未遂、それどころか、全く!、何も無い!ということか…!」
「ははははは!あぁ、よかっブフッ!!」
歓喜に震え、完全に無防備になっていたヒョーバルの顔面に、エルキアの鋭い鉄拳がめり込んだ。
「うるっさいわね!!何もないわけじゃないわよ!手をつないだり…肩をマッサージし合ったり、腰をマッサージしてあげたり…一応ファーストキ、キ、キ…ッス…だって…」
怒号から始まったエルキアの声は、語尾に向かうにつれて急速にボリュームを下げ、顔面を真っ赤に染めて視線を彷徨わせる。その初々しすぎる反応こそが、ヒョーバルにとっては致命的な「汚染」の証拠であった。
「キスですと!?あなたはエルフの矜持をなんと心得ているのですか!?」
頬を押さえ、涙目でかつての師を糾弾するヒョーバル。
「そんなもの、必要ないわ。ドブ川に投げ捨てたわよ!」
エルキアは開き直ったように言い放つ。その潔すぎる決別。
(まぁ…女性同士なら、さらにエグイことしてるけどねー…)
エネアウラは心の中で冷ややかに呟く。
「なんてことだ…!」
(エルフ族の至宝とも言える存在が、人種との交流によって退廃的な思想に染まりきっている)
ヨロヨロと立ち上がるヒョーバル。
「であれば尚の事!大樹の下で、マナを回復し、その毒気も抜いてください!!」
「それは必要ありません。マナを回復する方法なら、他にあります」
冷然と、だが確信に満ちた声でエネアウラが割って入った。
「大樹よりもはるかに立派な…猛々しいモノをエルキア様が握ればそれで万事解決です!りっちゃんが既に、その有用性を証明しているのです」
「なんだそれは!?禁忌の魔導具か何かなのか!?」
「それはアルト君のちん…」
「わぁぁぁぁぁ!!!」
ラッシュが絶叫してエネアウラの声を遮る。
「ち…?人種の血だと!?そんな民間療法聞いたことがないわ!汚らわしい!」
(いや…もっと卑猥なやつっす…)
ラッシュは遠い目をして、心の中で突っ込んだ。
「いいですか、マスター・エルキア。我々は明日早朝に出発します。新市街の噴水広場でお待ちしておりますから!」
もはやこれ以上の問答は無用と判断したのか、ヒョーバルは憤慨した様子でそそくさと部屋を去っていった。
静寂が戻った室内で、プリムがふと、胸に溜めていた疑問を口にする。
「……あの、エルキア様、『はじまりのエルフ』とはなんですか?」
「……っ、どうしたの急に? 言葉の通りよ、一番最初に生まれたエルフのことよ」
エルキアの肩が、微かに跳ねた。その動揺を隠すように、彼女は扇で口元を覆う。
「そうですか…。その…魔王がエルキア様のことをそう呼んだのです」
その瞬間、室内の温度が数度下がったような錯覚を全員が覚えた。エルキアに、隠しようのない動揺が見られた。
「……ガハハ! た、他人の空似ってやつじゃねえのか? なぁ、エルキア!」
オルダがわざとらしく大きな声を出し、無理やり空気を変えようとする。彼の背中には冷や汗が流れていた。
「え、ええ。そうね。……やっぱり…私、枢密院の下へ一度戻るわ」
エルキアは力なく微笑んだ。
七十章読んでいただきありがとうございます。




