第六十九章:少女は見た 魔王特攻の聖剣
六十九章です。
再生の権能はもはや神の力ではなく、呪いへと成り果てていた。巨大な肉の塊と化したアエゾスの全身から、ドロドロと無数の眼球と口が芽吹き、狂った笑い声を上げる。
「プリム、私からの手向けだ。この男とともに、我が肉体の一部となることを許そう!」
(いやだ……!こんな、こんな形でアルト君と一つになるなんて、絶対に嫌!!)
プリムの瞳に、絶望の淵で燃え上がるような闘志が宿る。しかし、アエゾスから放たれる圧倒的な質量と、呪いにも似たマナの奔流を前に、彼女の膝は震え、指一本動かすことができない。
(誰か……誰か助けて……アルト君を、奪わないで!!)
心の中で叫んだその瞬間、世界から音が消えた。
ドクン、と波打っていたアエゾスの巨大な肉塊が、凍りついたように静止する。
「――負のマナ。人類に、この力を使うことは許されていない」
静謐だが、鼓膜を直接震わせるような冷徹な声。
「滅びよ」
一言。ただそれだけで、山をも飲み込もうとしていたアエゾスの肉塊が、朝日を浴びた霧のように、音もなく虚空へと消え去っていく。後に残されたのは、意識を失い横たわるアルトと、呆然と立ち尽くすプリムだけだった。
「……何が、起きたの?」
プリムが震えながら振り返る。そこに立っていたのは、見た者の魂を凍りつかせるほどに美しい、一人の女性だった。
彼女から放たれるプレッシャーは、先ほどのアエゾスが「児戯」に思えるほど強大だ。プリムは直感する。この女の前では、呼吸をすることすら「許可」が必要なのだと。
「そう、良い子ね。動いてはいけないよ?……騒ぐなら、その霊体ごと握りつぶしてあげるから」
女は、転がっているアルトを一瞥し、周りを見渡し、くすりと口角を上げた。
「おや……私の半身のエルフは、あんなところで無様に伸びているのか。ふふ、仕方ないわね。アリスとやり合った後なら、責めるのは酷かしら」
女の視線がプリムに移る。その瞳に射抜かれた瞬間、プリムの霊体は暴かれたような感覚に陥った。
「へぇ……この子の霊体、面白いわ。こんなところで面白い“種”を見つけるなんて。……そう、そういうこと。いいわ、本当はこんなことしないのだけれど。特別サービスをあげましょう」
女は、まるで重力から解き放たれたような仕草で歩み寄り、アルトの傍らに膝をつく。彼女が身に纏っていた薄い皮のような「何か」がシュルリと脱ぎ捨てられ、同時に、不可視の力がアルトの衣服を無残に引き裂いていった。
「ま……待ちな……さ……い!!」
その暴挙を止めるべく、地に伏していたエルキアが、血を吐きながらも渾身の力を振り絞って立ち上がる。だが――。
「面倒ねぇ……アリース」
女が名を呼ぶ。すると、影のように寄り添っていた執事風の女性――アリスが、音もなくエルキアの背後に現れた。
「お休みになってください。これ以上は、あなたのためになりません」
アリスの白手袋がエルキアのうなじに優しく触れる。それだけで、エルキアの意識は糸が切れたように途絶え、彼女の体は崩れ落ちた。
「それじゃあ、始めようかしら」
ポゥ……と淡い光を放つ手をアルトの胸に当てる。次の瞬間、アルトの全身が、体内に溜まった『どす黒いマナ』を浄化するかのように激しく発光し始めた。
女は、『よいしょ』と掛け声をかけてそのまま慣れた手つきでアルトの上に跨り、馬乗りになる。
二人の体が重なり、光は部屋中を真っ白に染め上げるほどに増幅していく。
「……んっ……!」
女が小さく甘い声を漏らした瞬間、光は弾けるように霧散した。
プリムは見逃さなかった。アルトがアエゾスから無理やり取り込んでしまった、あのどす黒く禍々しい澱みが、女の胎内へと吸い込まれるように流れ込んでいったのを。それは救済というより、魔王による「捕食」だった。
「……御戯れですよ、全く」
アリスが、呆れたように、しかし完璧な礼節を保ったまま女に声をかける。
「これくらい、いいじゃない。とても美味しかったわ。純粋さに毒気というスパイスも混じって、最高の味だったわ。……この子、お持ち帰りしちゃおうかしら?」
「いけませんよ。私には残飯を食べさせておいて…痕跡は全て消去するよう、エルフの隠密に伝えてあります。もう戻りましょう」
「もうちょっと繋がっていたいわ。…そうそう!私の半身と戦った感想はどうだったの?」
「あぁ…お互いかなり消耗しましたよ。規格外のエルフです。ちょっと直情径行ですが…って、早く抜いてください」
「ちぇっ、あいかわらず固いわね。あ、この子も固いわ」
「…うまくないですよ」
「ふんっ……じゃあ、せめてマーキングだけでも」
女は、アルトの首筋に顔を寄せると、深く、刻みつけるように唇を寄せた。
「チュっ……」という艶めかしい音が、静まり返った部屋に響く。
「また会いましょうね、私の可愛い贄、そして「はじまりのエルフ」」
「……ですから、そういうのはダメですって、魔王様」
そういって事務的にアルトに布をかぶせるアリス。
その呼称を耳にした瞬間、プリムの思考は完全に停止した。
人類の敵、混沌の象徴――その頂点に君臨する者が、満足そうに微笑みを残して消えていった。
魔王とアリスが、夜霧が晴れるように虚空へと消えてから、どれほどの時間が過ぎたのだろうか。静まり返った倉庫の中で、プリムの心臓だけが、警鐘を鳴らすように激しく早鐘を打ち続けていた。
(……消えた。あれが……魔王……?)
ようやく肺に酸素が巡り、指先に感覚が戻ってくる。プリムはおぼつかない足取りでアルトの傍らに膝をついた。アリスが「事務的」に放り投げた布が、無造作にアルトの体を覆っている。
(アルト君、怪我は……!?)
ひどく曲がり、無惨に砕けていたはずのアルトの右腕。プリムが恐る恐る布の端をめくると、そこには傷一つない、滑らかな白い肌が再生していた。あのアエゾスの醜悪な再生ではない。まるで最初から何もなかったかのように、完璧に「作り直された」肉体。
(嘘……骨まで粉々だったはずなのに。これが、魔王の力だというの……?)
驚愕に目を見開くプリム。しかし、彼女の視線は吸い寄せられるように、一点で固定された。
アルトの股間部分。アリスが被せた厚手の布を、内側から力強く押し上げ、ピンと張り詰めた「天幕」を作っている。
(……な、なにあれ。……まさか、ずっと、あのままなの……!?)
意識を失っているはずの少年の、あまりにも猛々しい生命の主張。魔王に「美味しかった」と言わしめた何かが、今もなおアルトの中で暴走している証拠だった。プリムが顔を真っ赤にし、どう処置すべきか混乱していたその時――。
「アルト! エルキアさん! プリムさん!!」
豪快な衝撃音と共に、倉庫の重い扉が蹴破られた。ラッシュ、りっちゃん、そしてエネアウラの三人が、武器を構えたままなだれ込んでくる。
「あ……っ!!」
反射的に、プリムはめくっていた布を叩きつけるように戻した。あまりの勢いに、アルトが「ん……」と微かな吐息を漏らす。
「プリムさん……?」
真っ先に駆け寄ったラッシュが、不自然なほど肩を上下させているプリムを見て、怪訝そうに眉をひそめた。
「ラ、ラッシュさん……。どう、しました……?」
「どうしました、って……。急に敵の動きが止まったから、慌てて戻ってきたんすよ。……今、何してたんですか?」
「ちょっと、アルト君の右腕が気になって……様子を、見ていたんです!」
上ずった声で言い切るプリム。だが、ラッシュの視線は冷酷にも、アルトの腰あたりで不自然に屹立している「布の山」に釘付けになった。
「そうですか……。いや、あの。右腕はいいんですけど……俺は、その……妙に威勢よく張ってる『天幕』が気になるんですが」
ラッシュの視線には、明らかな「男同士の憐憫と疑念」が混ざっている。プリムの脳内は、魔王の恐怖とアルトの異変、そして現在の恥ずかしさでショート寸前だった。
「これは……!! その……そう! 『魔王特攻の聖剣』なんです!!」
渾身の力で絞り出した叫び。
一瞬の静寂の後、ラッシュが噴き出した。
「ぶふっ! ……ぶはははは!! プリムさん、そんな大真面目な顔で冗談言えるなんて、卑怯っすよ!『魔王特攻の聖剣』って、あははは!!」
「あーもう……っ!!」
笑い転げるラッシュの傍らで、プリムは両手で顔を覆った。
(あながち間違ってないのに……。っていうか魔王が原因なんだけど! すごく誤解されたぁ……!)
その喧騒の端で、エネアウラが横たわるエルキアに駆け寄る。
「エルキア様! ご無事ですか!?」
「あ……エネアウラ……」
意識を取り戻したエルキアが、重い瞼を持ち上げた。その瞳には、魔王の右腕と死線を潜り抜けた者特有の、深い疲労が刻まれている。
「無事で、よかったわ……。怪我は、大したことないわ。ただ……もう、マナがすっからかんなの……。外は?」
「急にモンスターも、正気を失っていた人々も動きを止めました。……オルダ様も、命に別状はありませんが、足をやりまして……」
「足を失ったの!?」
エルキアが驚愕して身を起こそうとする。エネアウラは苦笑いを浮かべて首を振った。
「あ……いえ、足の小指を骨折して、向こうで悶絶しています」
「はぁ……。……もう、眠らせて……」
エルキアは力なく再び地面に倒れ込んだ。
魔王が去り、狂乱が去り、残されたのは『小指を折った英雄』と、『聖剣(物理)を股間に宿した青年』、そして顔を真っ赤に染めた少女だけだった。
六十九章読んでいただきありがとうございます。アンゾールマ編の巨悪とのクライマックスバトルにも関わらず、下ネタ回ですみません。プリムが決死の覚悟で名付けた『聖剣』ですが、本物の聖剣より抜くのが大変そうです。いったい誰が抜くのか!?ちなみにオルダの小指は全治二週間です。




