第六十三章:一触即発 捻じれる事実
六十三章です。
「オルダ殿、アルト殿、お待たせいたしました」
静かな声とともに、テイゲンが姿を現した。その背後には、以前アルトと拳を交えたカインが、どこか落ち着かない様子で控えている。
「タイゼル組の新たな体制も整いました。本日より、テイゲンとカインは『笑顔の家族』の一員です。よろしくお願いいたします」
一同みんなからの歓迎の拍手と歓声が建物全体を包み込まれた。
「これでテイゲンさんとカインさんも俺たちの家族だ!」「この街を変えてやりましょう!」「悪いギャングはこれでもうおしまいだ!」
「カインさん、よろしくね!」
アルトがいつもの屈託のない笑顔で、ぐいっと距離を詰める。対するカインは、視線を泳がせたまま沈黙を貫いた。……いや、固まったという方が正しい。
「…………」
その様子を見ていたテイゲンが、迷いなく右手を振り抜いた。――パコーン!という乾いた音が、静かな空間に響き渡る。
「痛っ……! 何すんだアニキ!」
「すみません、以前から意固地なところがありまして……。アルト殿にボロ負けしたのが悔しいのは分かるが、いい加減に気持ちを切り替えろと何度言えば分かるんだ、この馬鹿者が!」
「違うわい!」
カインは真っ赤な顔で叫び、しどろもどろになりながらアルトの方を向いた。
「……その、お礼の言葉を考えてただけだよ。……その、ありがとな」
ぶっきらぼうに差し出された手を、アルトは「うん!」と元気よく握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「近っ……近ーーーっ!!」
鼻先が触れんばかりの距離まで踏み込んできたアルトに、カインは悲鳴に近い声を上げて飛び退いた。
「やっぱ苦手だわ、こういう奴!!」
その光景を後ろで見ていたラッシュは、ふっと口角を上げた。出会ったばかりの頃の自分を思い出し、少しだけカインに同情する。
(あいつは、心の壁なんてお構いなしに、いつの間にか内側に入り込んじまうんだよなぁ……。まぁ最初は大変だろうね、カインさん、ご愁傷様です)
和やかな、あるいは騒がしい時間が流れる中、それまで酒瓶を傾けていたオルダが、低く重みのある声を出した。
「――さて、挨拶が済んだなら始めようか」
空気が一変した。
オルダの瞳から「酔っ払い」の光が消え、鋭い輝きが宿る。
「今日のオーナーとの会談に向けて、話をまとめておく。そして、明日からの計画についてもだ」
オルダの言葉に、場がしんと静まり返る。
「いいか、これから会う不夜城オーナーは裏社会の相当な実力者だと思え。そして、これからの裏社会は……これまでにないほど荒れる可能性がある」
「今日不夜城に行くメンバーは、俺、アルト、ラッシュ、テイゲンの四名だ。」
オルダは言葉を区切るように、一同を見渡した。
「今までは『良い子のギャング』として見過ごされていたが、これからはそうはいかない。明確な敵意に晒され、本物の闘いの中に身を投じることになる」
「……だから、最近みんなの雰囲気が違ったのか」
アルトが呟く。最近、ギャングメンバーたちの目つきや体つきが急激に引き締まったのを感じていた。
「ああ。とりあえず俺が特別訓練をつけておいた。急ごしらえだが、どのギャングにぶつけても負けないだろうな」
ラッシュは冷や汗を流した。師匠のことだから並みの兵士程度の練度まで仕上げていることだろうと予測する。
「今までは単なるギャング同士の抗争だった。だが、これからはそこに『国家の権力』が動く可能性もある。……エルキア、やつらが動くかもしれん」
名を呼ばれたエルキアは、何も言わずに静かに頷いた。
「……まぁ、考えたらキリがねぇ」
オルダは再び、いつもの豪放な笑みを浮かべて「ガハハッ!」と笑った。
「つまりは命を大事に、みんなで助け合おう。迂闊なことはするなってことだ」
運命の歯車が、より大きな音を立てて回り始めようとしていた。
皆それぞれの役割のために動き始める。
エルキアが独りで拠点から外に出るのを見逃さず、エネアウラはその影に滑り込んだ。
「あら、エネアウラ、どうしたの?」
「どちらへ行かれるのですか……? お供いたしますわ、エルキア」
「そう……なら、行きましょう」
二人が足を踏み入れたのは、旧市街でも『笑顔の家族』の慈愛がまだ届かない区画だった。そこは旧市街が見捨てられた場所だということを思い出させるような光景が広がっていた。
立ち並ぶ廃屋の陰には、焦点の定まらない眼をした麻薬中毒者が蠢き、密売人、娼婦、乞食…ゴミ溜めからは腐敗臭が立ち上る。本来、清潔と秩序を愛するエルキアが、吐き気を催して避けるべき場所。
(……なぜ、このような場所に? エルキア様の目的が見えませんわ……)
エネアウラの疑問が限界に達しようとしたその時、不浄な空気の中に、あまりにも異質な「鋼の気配」が混じった。
「こんなところに女性が二人とは……相変わらずですね」
暗がりに浮かび上がったのは、黒衣の鎧に白銀のマントを翻す男。エルフ枢密院直轄の戦闘集団『セレスティアル・サーバント』の筆頭格、ヒョーバルだった。
エネアウラが瞬時に抜剣の構えを取るが、エルキアはその細い手を制止するように差し出す。
「そっちこそ相変わらず場違いな恰好よ、ヒョーバル。少しは変装くらいしなさい。鉄の塊が歩いているようなものよ?」
ヒョーバルは答えず、ただ無言でエルキアの腹部を凝視した。
(……膨らんでいない。……やはり、『産んだ』のですね…)
彼の脳内では、かつてアルブール王国で開かれた祝賀会での出来事が思い出された。かつてのマスター、エルキアから人族との間に新しい命を胎内に宿しているという気が狂いそうな告白。
彼はまだそれがエルキアの想像妊娠だったことを知らなかった。
「そうですか……アルブール王国に預けてきたのですね。貴女にとって、何よりも大切だったモノを……」
エルキアの眉が動く。ヒョーバルの話しにピンとくることが無く、思考を巡らして辿り着いた解はヤプール北集落の我が家に保管した、『結晶化したユキシロハナ』だった。
「ええ。とても大事なものだもの。戦場になる場所に持ち込めないわ」
(……なに!? 母としての情愛を断ち切り、子を安全な異国へ逃がしたというのか! そこまでの覚悟でこの国に…この国の危機を、それほどまでに深刻に捉えているのか!)
ヒョーバルの背筋に戦慄が走る。
「それならば話は早いです……エルキア様、どうか我らに力を貸していただきたい」
「エルキア様は貴方たちの元には帰らないわ! この者の話を聞いてはなりません、エルキア様!」
エネアウラが叫ぶが、ヒョーバルから放たれた圧が、暴風となって彼女を押し潰した。
「控えよ、人狐……我らの間に割り込むことは許さん……!」
「くっ……!?」
セレスティアル・サーバント『筆頭』の圧倒的な実力差。エネアウラが膝を屈しかけたその時、空気が凍りついた。
「ヒョーバル、私を力で服従させようというのなら、計算違いね。そんな弾避け程度では無理よ……最低でも『筆頭』を後四人は連れてこないと、お話にならないわよ?」
エルキアの瞳が、黄金の冷徹な光を宿す。
(……! 潜伏させていた部下たちの気配すら、全て掌握されているか……!)
ヒョーバルは冷や汗を流し、膝を突くように頭を下げた。
「そのつもりはありません、マスター! ……『死神』としての、貴女の力をお借りしたいのです」
ピクッ!
エルキアの肩が、激しく跳ねた。
「ヒョーバル……貴方、私を本気で怒らせたいの……?」
周囲の温度が物理的に数度下がった。エネアウラですら震えるほどの、純粋な殺意の塊。
(な、なぜだ!? なぜ急にこれほどの殺気を!? まさか、かつての二つ名を呼ばれることすら、母となった貴女には耐え難い汚辱なのか!?)
動揺を隠せないヒョーバルは、任務の核心を吐き出すしかなかった。
「……現在、我々はギャング組織を隠れ蓑にした集団が、禁忌の魔導実験を行っている確かな証拠を掴みました。その壊滅任務に就いておりますが、敵の正体は掴めても、その拠点が特定できぬのです!」
「……それで潜入捜査? なんでそんなまどろっこしいことをするのよ。怪しい場所ごと、街を蒸発させればいいじゃない」
エルキアの言葉は冷酷だった。
(……貴女がこの国で、しかも旧市街に出入りしているからでしょうが!? 貴女の怒りを買いたくないし、もし貴女に何かあったら残された子供はどうなると思っているんだ!)
ヒョーバルは胃を痛めながらも、殊勝に答えた。
「……私も国ごと、街ごと蒸発させるような手荒な真似は、できるだけ避けたいと考えているのです」
「なるほど、殊勝な心がけね。でも、上(枢密院)はいつまでも待ってくれないわよ」
「ですから……! マスターのお力を……」
「この借りは、高いわよ?」
ヒョーバルは、心中で天を仰いだ。
(……配慮しているというのに、やはりこの方は『死神』だ……。だが、場所さえ判明すれば、貴女を巻き込まずに済む……)
「…はい」
「よろしい。教えてあげるわ。……少なくとも、地上にある建物にそれらしい施設はないわね。下水道か、地下施設を探しなさい。貴方たちの手足が役所に行けば、古い設計図くらい入手できるはずよ」
「え……? マスターは同行されないのですか?」
「嫌よ、下水道なんて。髪や肌に臭いが染み付くような場所に、無駄に行きたくないわ。場所がわかったら教えて。また明日の朝にでも……」
エルキアは踵を返すが、その歩みが止まる。
振り返った彼女の姿は、恐ろしく美しい『死神』の貌をしていた。
「――あと、二度と私のことをその名(死神)で呼ばないこと。私を怒らせて死にたいなら、ご自由に……」
ヒョーバルの全身を、死の幻影が貫く。伝説の殺戮者が放つ、文字通りの絶対の魔力。
「…………っ。……はい」
冷や汗で全身を濡らしたヒョーバルは、それ以上言葉を発することができなかった。
「行きましょう、エネアウラ。やっぱりこんなところ長居したくないわ」
そう言って立ち去るエルキアの後ろ姿に、エネアウラは震えながらも、真の主君の重圧に酔いしれていた。
ヒョーバルの元に音も無く集まる三人の影。
「マスターヒョーバル!筆頭の中でもトップクラスの実力である、貴方がなぜこんなに下手にでる必要があるのですか!?」
「お前たちはわからなかったのか…?『死神エルキア』にとって、お前たち三人など羽虫以下なのだ…私ですら、その鎌を受け止められる自身はないよ…」
「……」
ヒョーバルの部下達は、ヒョーバルに向けられた殺意が、自分達に向けられたらどうなるか想像して生唾を飲み込んだ。
六十三章読んでいただきありがとうございます。更新ペースが遅くなってすみません。いよいよ、アンゾールマ編のクライマックスに向かっていきます。シートベルト着用のご確認をお願いいたします。




