第六十二章:ラッシュのグルメ ―不遇のキノコ―
六十二章です。本章は、前章である六十一章を読後にお読みになることを強く推奨致します。一部に非常に濃厚な暗喩が含まれます。
登場するスープの具材は、ただの食材ではありません。
食材の描写については、読者の皆様の想像力にお任せしますが、深夜に空腹で、あるいは背後に人がいる状態での閲覧には十分ご注意ください。読後の食卓に影響が出ましても責任は負いかねますのでご了承ください。
筆者としては、R-15相当の精神的官能を込めて執筆いたしました。
「……うぅ……頭の中に、工事現場のドワーフが住み着いてる気がする……」
ラッシュが枕に顔を埋めたまま、濁った声で呻く。昨夜、オルダという「酒豪の怪物」に付き合った代償は、彼の狼の鋭敏な三半規管をズタズタに引き裂いていた。
一方のアルトも、最悪の朝を迎えた。悶々とした想いで寝つくことができなかった上に、肩と腰に鎖がかけられたような痛みーー所謂、『揉み返し』が起こっていた。
「ラッシュ、おはよう。早く支度しないと遅れるよ。『笑顔の家族』に行くよ」
「おう、そうだな。俺たちが寝坊したら示しがつかないもんな…うぅ…まずは胃を空にしてないと…」
ラッシュが這いずるように顔を上げると、そこには前屈み気味に腰をさすり、生まれたての小鹿のように膝を震わせるアルトの姿があった。
「おい……アルト、どうしたその格好。モンスターと相撲でもしたのか?」
「いや……昨日、あの後、エルキアの部屋でちょっとね。エルキアが、その、凄く……頑張りすぎちゃったみたいで。あいたた……」
ガバァッ!!
ラッシュがベッドから飛び起きた。二日酔いの吐き気すら一瞬で吹き飛ぶほどの衝撃が脳を突き抜ける。
(……エルキアさんが? 部屋で? 頑張りすぎた……だと!?)
「あ……! このことはエルキアには内緒だよ、ラッシュ。恥ずかしがるだろうし……ね?」
アルトのその「照れくさそうな、けれどどこか充足感のある(とラッシュには見える)」微笑みに、ラッシュの思考回路はショートした。
(おめでとう、アルト。お前……ついに『男』になったんだな。……でもその報告、二日酔いの俺のメンタルには重すぎるぜ……!)
「……は、ははは……。んなもん、言えるわけねーだろ……死んでもな」
(おめでとうございます、エルキアさん! アルト君の腰痛はお二人にとって『勲章』のようなものですね! ……なんて言ってみろ。完全にアウトだ。通報される。セクハラ認定で俺の社会生活が終了しちまうだろうがッ!!)
今や新市街にも負けない旧市街の活気に満ちた『笑顔の家族』の拠点周辺。そこに到着した頃、アルトの足取りはさらに怪しくなっていた。一歩歩くごとに腰に走る「揉み返しの激痛」が、ラッシュの目には「夜の激戦の爪痕」にしか見えない。
「おはようございます!あれ?ラッシュ君、二日酔いですか!?」
「あぁ、マークさん、おはよっす…ちょっとその元気が頭に響きます」
「おぉ、それは大変ですね。オルダ様用にとお作りしました、『貝とキノコのスープ』があります。豆を発酵させた塩味のあるスープが二日酔いに効きますよ」
「……貝とキノコ……はは、そりゃまたすごい組み合わせですね……」
昨夜のエルキアとアルトをつい想像してしまうラッシュ。
長テーブルの前に腰掛け、突っ伏してしまいそうな身体を両の手で支え、険しい表情をする。
ラッシュは、差し出された木椀の中をじっと見つめた。 そこにあるのは、濃厚な脂も肉っ気もない、驚くほどシンプルなスープ。
「…いただきます」
対峙していきなりその味を確かめるのは無粋だ。
まずはスプーンを置き、両手で椀を持ち上げる。まるで、祭壇に供えられる供物のように掲げられた椀から立ち昇る湯気を鼻孔へと吸い込む。
(ん…これは、魚介の出汁か…)
貝が放つ母なる海を彷彿とさせる食欲をそそる匂いに干魚のパンチ、発酵した豆がやさしく包み込み、キノコの風味がさらに奥深さを演出している。一つ一つの具材が完全に単一にならず、『個』を主張しながらも溶け合っている。
ラッシュは、同時に脳内で『不器用なエルキアが、アルトを翻弄する』という、Rー15指定の妄想がフルカラーで再生されていた。
その時だった。
エルキアがラッシュの横をとおり過ぎる。
今日のエルキアは、いつにも増して美しかった。
実際はエネアウラによる「激しいマッサージ(物理)」を受け、血行が極限まで改善されたためだったが、彼女の白磁の肌は、朝露に濡れた大輪の花のように瑞々しく、艶やかな光を放っている。
男女が一夜を越えた時、女はここまで妖しく光るのか…!?ラッシュは戦慄する。
ご飯を盛り付けているアルトと目があったのか、恥じらいながらも極めて控えめにひらひらと手を振っている。
それに応えるアルトは、痛みに耐えながらも優しく微笑む。
(…これは間違いない!全ての状況証拠、パズルを解くピースが揃っている。長い停滞と紆余曲折の末に、たった一日で…初めて手を繋いだ二人はそのままスキップするようなノリでABCを踏み越えていったんだ…!)
ラッシュは、手に持ったスプーンを握りしめ、天を仰いだ。
(エルミアさん……あんた凄いよ。たった一晩のマッサージ指導で、あのヘタレ二人をゴールまで叩き込んだんだからな……。いつか、うちのルリちゃんにも、その秘訣を伝授してください……!)
エルミアさんとルリちゃんを引き合わせたい…そう願うラッシュだった。
ラッシュの目には、清々しい朝日を浴びるアルトとエルキアの後ろ姿が、眩しすぎて直視できなかった。
再び、目の前のスープに視線を落とす。具材の存在感が異様なほど際立っていた。一口、また一口と啜る。
ズズッ。
…。
(…美味い。良かった…まだ温かい)
塩味の効いた温かいスープが臓腑に落ちていくのがわかる。
発酵した豆のスープは既に沈殿しており、スープの底で、瑞々しくも弾力を蓄えた貝の身が、まるで何かに耐えるようにキュッと口を閉じている。その傍らには、汁を吸って柔らかくなり、どこか艶めかしく横たわる長いキノコ。
(……おい、待て。ヘルシーすぎるだろ。……余計な味付けがない分、この『形』が、昨夜のアルトの腰を悶えさせたであろう『何か』を嫌でも連想させやがる……!)
ラッシュは、震える手でスプーンを木椀の底へと沈めた。
慎重に掬い上げた匙の上には、プリッとした貝と、ひょろりと長いキノコが乗っていた。
その質感が、昨夜のエルキアの指先や、それに応えて跳ねたであろうアルトの身体の動きを彷彿させた。
(この、飾り気のない……剥き出しの素材感。……これを昨夜のアイツらが、あんな密室で……。いや、考えるな、ラッシュ! これはただの健康食だ! 胃に優しいスープなんだ!!)
だが、口元へ運ぶ途中で――。
「あ……」
瑞々しい貝の身が、ツルリとスプーンの縁を滑り、スープの海へと逃げるように帰っていった。 残されたのは、スプーンの上に虚しく横たわる一本のキノコだけ。
(……おいおい、待てよ。エルキアさんに逃げられたのか、このアルトは……)
ラッシュはやむなく、残されたキノコを口に運び、奥歯で噛み締めた。
ぐにゅ…。
その独特の弾力と、じゅわりと溢れ出す山の旨味。
(……ぐっ、キノコの食感が……アルトの『あの状態』を連想させて……。……うぷっ、なんか、親友のイチモツを食ってるみたいな気分になってきた……気持ち悪りぃ……!)
二日酔いの胃袋が、あまりに生々しい連想に激しく拒絶反応を起こす。
自分の想像が脳幹の嘔吐中枢を刺激して、『オエッ』と吐き気をもよおす。ラッシュは口元を押さえ、込み上げるものを必死に飲み下した。
……はぁ、はぁ……。
(あぶねぇ。……よし、落ち着けラッシュ。次は慎重に……)
冷や汗を拭い、口直しに今度こそ貝を、と二度目のスプーンを深く差し込んだ。 そして、淀みの底からゆっくりと引き上げたその時。
「…………っ!?」
ラッシュの喉が、今度は別の意味で引き攣った。 そこにはもう、キノコはいない。 銀色の匙の上で、ぷっくりと膨らんだ二つの貝の身が、互いの柔らかな肉を寄せ合うようにして、重なり、手の震えによって激しく揺れていた。
キノコという異物を排除した世界で、二つの貝は熱いスープに溺れながら、ただ密着し、互いの存在を確かめ合うように小刻みに震えている。 一方が動けば、もう一方が吸い付くように追随する。その、あまりにも「共鳴」し、二人だけの完結した悦楽に耽っているかのような連動性。
(……重なってる。……キノコを置き去りにして、二つの貝同士だけが、こんなに……!)
ラッシュは何も知らない。アルトが不発のまま立ち去った後の密室で、エネアウラがどれほどの執念で主君を愛で、エルキアがどれほど瑞々しい悲鳴を上げたのかを。そしてスプーンの上の「二つの貝」は、饒舌にその真実を物語っていたことに理解が及ぶこともなかった。
ズズッ…。
二つの貝を一度に啜り込む。歯と舌に感じる弾力、ねっとりと舌に絡みつく濃厚な旨味が口腔内に広がっていく。
美味い…ただただ、美味い。
「二つの貝」を咀嚼することで初めて得られる濃密な母なる海の味。ラッシュにひと時の天上の楽園を見せた。
そして、この二つの貝が愛し合ったことで、しみ出したであろうエキスの一滴も残さぬように、無心でスープを飲み干した。
完食。
「…ごちそうさまでした」
ラッシュの隣には「貝に逃げられたキノコ」であるアルトが「このスープ、優しい味だね……」と、純粋に身体に染み入る旨さを噛み締めていた。
六十二章読んでいただきありがとうございます。
貝とキノコの組み合わせは、あくまで健康のためです。他意はありません(マーク談)
吹き出した方、吹き出しそうになった方、メッセージ、感想お待ちしております。




