第六十一章:二人を繋ぐ 一本の影
六十一章です。
―夜が深く更け…小料理屋の表の灯を消し、エルミアが暖簾を下げる。
「みなさん、お代もいただいているのに、こんな後片付けまで……」
エルミアが申し訳なさそうに、けれどどこか嬉しそうだった。
「気にしないでよ、エルミアさん。みんな好きでやっているだけだから」
アルトが爽やかに笑いながら、机を拭き上げる。その隣では、ワーウルフの俊敏さを活かして皿を積み上げるラッシュと、帳簿を完璧に整理し終えたエネアウラがいた。
「そうだ! 片付けも用心棒も世直しも、全部好きでやってる道楽よ!」
「いや、師匠。あんたは片付けもしないで、ずっと隅っこで酒飲んでるだけでしょ」
ラッシュの鋭いツッコミに、オルダは「ガハハ!」と豪快な笑い声を響かせる。
「本日の売上をまとめておきました。お釣りもぴったりです」
「エネアウラさん、完璧です。接客も、まるでお店の人みたいでした」
「ふふ、昔取った杵柄ですわ。アルト君も、今日は本当にお疲れ様」
エネアウラは、鼻をひくつかせながらアルトを労う。その瞳の奥には、後の「イベント」への期待が渦巻いていた。
「それじゃあ途中まで送りますよ」
店の戸締りを終え、魔導灯が等間隔に並ぶ石畳の道を進む。
「みなさんは、色んな国を行き来しているんですね……」
エルミアのその言葉は、レイに情報を渡すためではなく、どこか遠くを見つめるような羨望の色を含んでいた。
「色々落ち着く暇はないっすけど、毎日が新鮮で張り合いがあるのは間違いないね」
「私も…そんな毎日になったら楽しいだろうな…」
「エルミアさんも僕らと一緒になろうよ!きっと楽しいよ!」
屈託のないアルトの誘いに、エルミアは一瞬、少女のような顔で微笑んだ。だが、すぐに寂しげな影を落とす。
「えぇ……でも、生き別れた弟が、まだこの国のどこかにいるような気がするんです。あの子はたくましかったから、きっと生きているはずなの」
「弟さんに会えるといいですね…」
アルトの真摯な言葉に、エルミアは「えぇ、本当に」と小さく頷いた。
「あ、じゃあ私、こっちなんで。……りっちゃん、よろしくね」
『まかせよ! これでも日夜、修練に明け暮れておるわ!』
「はーい、それじゃあ気を付けてください。りっちゃん、頼んだよ」
防犯グッズ(という名のウサギのぬいぐるみ)を伴い、エルミアは闇の中へと消えていった。
エルミアと別れ、一行が二手に分かれ始める。足取りの怪しいオルダをエネアウラとラッシュが支え、自然とアルトとエルキアが先頭を歩く形になった。
「何やってるのー?早くいくよ!」
アルトが振り返るが、後方の三人はわざとらしく歩調を緩める。
オルダは無言で手をあげるが、その足取りはおぼつかない。
「さっさと行きましょう」
オルダ達を置き去りにし、エルキアは、いつもの凛とした歩調を保とうとしていたが、その内心は高度な魔法を編むときよりも激しい混乱――というか、「手をつなぐための演算処理」に100%占拠されていた。
(……そうよ!マッサージで肩に触れられた今の私ならば、私から手を差し出すのは戦術的にも可能な行動なはず……。でも、どのタイミングで? 今? いや、まだ早い…次の街灯を過ぎてから!?)
「…エルキアとこうして二人っきりで歩くのも、なんだか久しぶりだね」
「ええ、そうね……」
(最近、こうして二人きりで行動することなんて無かったから……緊張しすぎて指先が震えてるわ! 震えていたら手をつなぐ時に不自然じゃないかしら!?)
「いつの間にか、エルキアよりも僕の方が身長が大きくなったんだよ。ほら」
アルトが少しだけ歩み寄り、肩を並べる。その拍子に、彼の体温が夜風に乗って伝わってきた。
「ええ、そうね……」
(今後の偽装工作のために『カップルのふり』の練習をしようと提案するのは、ある意味『逃げ』よね! でも、そんな口実でもないと、私、自分から触れるなんて一生できない気がするのよ……!)
「……少しは、恋人同士みたいに見られるかな?」
「ええ、そうね……」
(あわよくば自然に手をつないだり、指先を絡めたりすることで距離を縮められれば……。あぁ、でもアルトは私のことをどう思っているのかしら。いきなりつないだら、嫌がられる? それとも困らせる?)
エルキアの脳内では、朝から考えた「手を繋ぐための32通りのシナリオ」が超高速で演算され、すでにオーバーヒート寸前だった。アルトの言葉はもはや「音」としてしか認識されていない。
「あ、あははは! 手をつないだりしちゃって……流石にそれはまずいよね!? もう大人だけど、一応師匠と弟子なんだし!」
「ええ、そうね……」
(あぁぁぁ!!! もし『がっつく女』だと思われたらどうしましょう! エルフの誇りは!? 師匠としての威厳は!? でも……でも今夜を逃したら……!)
「……あの、エルキア?」
アルトが急に、シュンと肩を落とした。その沈んだ声に、ようやくエルキアの演算が停止する。
(……え!? な、何!? もしかして今の、私の不埒な脳内実況が漏れてた!?)
「……え!? どうしたの? アルト」
(まずいわ、完全に自分の世界に入り込んでいて、アルトの話を一つも聞いていなかった!)
「いやいや! なんでもないよ!」
アルトがそう狼狽えた瞬間、アルトの指先がエルキアの白磁の指に触れる…。
「あ…」
その瞬間、お互いがお互いの手を探り、やがて指を絡め、しっかりと握りしめる。
アルトはエルキアに視線を向けるが、下を俯き、その美しい銀髪が魔導灯に影を作りアルトが驚いて隣を見ると、エルキアは俯いていた。美しい銀髪が魔導灯の光を遮り、彼女が今、どんな表情をしているのか窺うことはできない。
「……ちゃんつか…」
消え入りそうな震える声。
「…う、うん…!」
街灯に照らされ、二人が手を繋いだ影が、石畳の上に一本の長いラインを描く。
その完璧な光景を、後方で見守る三人は見逃さなかった。
「よしっ!!師匠の独り負けっすよ!」
ラッシュが拳を握りしめる。
「う、うぅ……尊い……」
エネアウラは、決壊した鼻血をハンカチで押さえつつ、もう片方の拳でラッシュと熱いハンドシェイクを交わした。
「しかし、エネアウラさん、全財産の金貨200枚をオールインするとは…。狂気の沙汰だと思ってましたが……完全勝利ですね」
「ふふ、私は、信じていましたから。……エルキア様の『執念』を」
「やられたぜ…あいつらいつの間にか、前に進んでいるじゃねぇか…」
オルダは懐の財布が軽くなったことよりも、二人の成長に対して清々しい気分になっていた。そして偏屈だった友人の後ろ姿を祝福するかのような眼差しを向け、夜空を仰いだ。
「いやー、負けた負けた!こんなに気持ちの良い負けは初めてだ。おいラッシュ、エネアウラ! 二人の成長を祝って、俺の奢りでもう一軒行くぞ!」
「すみません、この後、金貨200枚以上の価値があるイベントが待ってまして…」
笑顔で手を振り、拒絶するエネアウラ。その視線の先では、繋いだ手を離せないまま、もどかしく歩く二人の後ろ姿が、夜の街へと溶けていくのだった。
宿の玄関が見えてきた。
アルトとエルキア、二人の手を繋いだ影。エルキアの心拍数は、宿の扉が近づくにつれて、安堵と寂しさが入り混じった複雑なリズムを刻む。…長いようなあっという間だったような、そんなひと時は、終わりを迎えようとしていた。
(……あぁ、もう着いてしまう。この温もりが離れてしまう。……でも、私の心臓も限界よ。これ以上繋いでいたら、おかしくなりそう……!)
「……着いたね、エルキア」
「ええ、そうね……」
アルトが名残惜しそうに、けれど優しく指先から力を抜こうとした、その瞬間だった。
ガシッ!!
「――アルト君。今日はまだ、終わりじゃないのよ?」
背後から、音もなく忍び寄ったエネアウラの細く、けれど鉄万力のような握力が二人の肩に食い込んだ。
「ひゃいっ!? ……エ、エネアウラさん!?」
アルトが飛び上がり、エルキアはあまりの恐怖に硬直する。
「え…でももう遅いから」
アルトが必死に常識的な言い訳を絞り出すが、エネアウラの瞳には一点の曇りもなかった。その鉄面皮のような笑顔は、尊い光景を網膜に焼き付けすぎた反動か、どこか狂気すら孕んでいる。
「忘れたのかしら? エルミアさんが仰っていたわよね。……『今晩またやるのよ。感覚が空くとできなくなっちゃうんだから』……と」
エネアウラは、まるで聖典を引用する司祭のような厳かさでエルミアの言葉を繰り返した。
「さぁ、行きましょう。鉄は熱いうちに打て。マッサージは、熱いうちに揉め……ですわ」
「あ…はい」
エネアウラは、怯えるアルトと赤面するエルキアを、大型犬の首根っこを掴むような手慣れた動作でフロントへと追い立てた。
「あ、あの……! 宿泊手続きはもう……」
フロントの従業員が怪訝な顔をする間も与えず、エネアウラはカウンターに『チャリンッ』と、鈍く重い音を立てて金貨を滑らせた。
「追加の宿泊ではありませんが……少々、重要な『集中講習』がありまして。……お釣りは結構ですわ。静寂を買いましょう」
その迷いのない投資に、従業員は深々と頭を下げた。エネアウラにとって、この金貨は単なる通貨ではない。主君と少年の「さらなる進展」という名の未来への投資だった。
「さぁ、入って」
エルキアの部屋の前に辿り着くと、エネアウラは自ら鍵を開け、二人を室内へと招き入れた。
「あの、エネアウラ!?やっぱり、今日はもう……っ!」
エルキアが我に返り、ようやく絞り出した抗議の声も、エネアウラの「鉄の微笑」に飲み込まれる。
「私はただ、講師の教えを忠実に守っているだけですわ。さぁ、アルト君。……まずは貴方が『横に』なりなさいな。エルキア様の『復習』が始まりますから」
パタン、と静かに扉が閉まる。
その密室に漂うのは、夜の冷気と、これから始まる「さらなる密着」への、逃げ場のない熱気だけだった。
「あの……昼間にお風呂に入ったばかりなのに、また冷や汗をかいているし……もう一度、身を清めてから……」
エネアウラは、ふぅ、とため息をして一呼吸する。
「アルト君!ベッドに横になりなさい」
「…!!え…でもシーツに汗がつく…」
オロオロするアルト。
「ベッド!」
エネアウラの指先が、有無を言わせぬ鋭さでシーツを指す。それは昼間、エルミアがアルトを従わせた「技」そのものだった。エネアウラは、この半日で「アルトを操る最短ルート」を完全に学習していたのだ。
「はい!」
もはや条件反射。アルトは軍用犬のような素早さでベッドに突っ伏した。
「さぁ、どうぞ……エルキア様。準備は整いましたわ」
エネアウラの声には、観測者としての期待と、ある種の覚悟が混じっていた。
「ア、アルト。……そういう訳だから。エルミアさんの言いつけを破るわけにはいかないし。……するわね?」
エルキアが、意を決してアルトの背に手を置いた。
「……うん、お願いします」
最初は、羽が触れるような慎重さだった。だが、昼間の講習を思い出し、彼女は「フェザータッチ」にならないよう、ぐっぐっと指に力を込める。
「首の方は……どうかしら? 少し優しめに揉むわね」
「あ……うん。これ、すごく気持ちいいよ……エルキア」
「……! 気持ちいいのね? なら、肩も……どう?」
「うん。いいよ……」
アルトの吐息がシーツ越しに漏れる。エルキアの指先を通じて、アルトの筋肉の緊張と、そこから伝わる確かな体温が彼女の心臓を叩く。
「肩以外も、凝っているところがあれば言ってね。……あ、腰なんか、どうかしら?」
「う……っ!!」
アルトの身体が、ビクリと跳ねた。
傍らで凝視していたエネアウラの瞳が、妖しく光る。
(……血流が改善されているのね。それも、血が下腹部に集まっちゃって……随分と『正直』な反応だこと……)
「あ、もう、いいよ! ありがとう、エルキア! 本当に十分だよ!」
アルトが慌てて声を上げる。
「あ……そうかしら? じゃあ、今度は交代……」
「あ! ……う、うん。ちょっと待って!」
アルトは突っ伏したまま、頑なに起き上がろうとしない。
(あらあら…反り上がっていて起き上がれないのね。アルト君。いいわ、今夜の貴方は十分すぎるほど頑張った。……後は、私に任せなさい)
エネアウラは、アルトの『身体的な変化』と『限界に達した理性』を完璧に把握していた。彼女はアルトの下腹部がエルキアから死角になるように、二人の間に身体を割り込ませた。
「エルキア様。アルト君は今日の修行と警護で、もうお疲れなんですわ。彼には明日、また改めてマッサージしてもらいましょう?」
「そうなの? アルト」
「うん、ちょっと意識が……飛びかけちゃって。あはは……」
(違うわよね…?飛びかけたのは、理性の箍でしょう? ……実は私もそうなの。半日もお預け状態で、もう我慢ができないのよ!)
エネアウラの背中が、静かな熱を帯びていた。彼女はアルトを促し、素早く部屋の外へと送り出す。
「それじゃあ、また明日!」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい……アルト」
アルトが廊下に出て、背後でカチャリと鍵がかかる。
夜風の通る廊下で、アルトは前屈み気味で自分の身体の火照りに戸惑っていた。
「どうしたんだ、僕の身体……? 変な感じが取れないな」
その時だった。
「――もうッ!! ずっと我慢していたんだから!!」
部屋の中から、エネアウラのこれまでに聞いたこともないような、剥き出しの叫びが響いた。
「あ、エネアウラ……ちょっと……ああんっ! いきなり……激しいわ!?」
ドスン! バタン!!
激しい打撃音(?)の後、エルキアの悲鳴に近い喘ぎ声が廊下まで漏れてくる。
「……? エネアウラさん、よっぽどマッサージしたかったんだな。……よっぽど、コリが溜まってたんだ」
アルトは大きな欠伸を一つ。廊下の騒音を「主従の仲睦まじいコミュニケーション」だと信じて疑わないまま、重い身体を引きずって自分の宿へと戻っていった。
その頃、部屋の中では――マッサージという仮初の名の「主従による欲望の解放」が、嵐のように吹き荒れていた。
六十一章読んでいただきありがとうございます。ラブコメ要素強めなので、今回表現はあえてカットしているつもりです。読者様のご想像におまかせ致します。四十二章を読み直して六十一章を読んでいただくのもよいかもしれません。




