第六十章:宴に溶ける緊張感
六十章です。
『敵意』が霧散し、和気あいあいとした室内。そこにラッシュの枯れんばかりの叫びが響いた。
「アルト! エルミアさん! 来てくれ! 犯人を捕まえたぞッ!」
一同は、弾かれたように外へ飛び出す。そこには、顔を泥で汚した中年男性の襟首を、鬼の首を取ったような形相で締め上げているラッシュの姿があった。
「離してくれ! 痛い、痛いよ! 俺は何もしていないんだ!」
「黙れ! 往生際が悪いぞ!」
ラッシュは、ようやく自分が「役に立った」という達成感に目を輝かせ、アルトたちを見上げた。
「こいつだ! 間違いない。さっきからエルミアさんの部屋の様子を執拗に窺ってやがった。声をかけたら逃げ出しやがって……。俺のワーウルフの脚を舐めるなよ!」
「……亜人種にいきなり声をかけられたんだ、逃げもするだろう!?」
「じゃあ聞くがな、なんで覗きなんかしてたんだ! えぇ!?」
ラッシュの追及に、男は半べそをかきながら白状した。
「だって……あんな、艶っぽい……。いや、あんな破廉恥な……『あぁっ、いいわっ』なんて声が聞こえてきたら、中の様子が気になるだろ! 男なら当然だろぉ!」
「「「「………………」」」」
全員の視線が、静かにエルキアとアルトに注がれる。
「そ、それは……」と絶句するラッシュ。
(……正論だ。俺が通りすがりの他人でも、絶対聞き耳を立てる自信がある……!)
「あら、この人……お店の常連客だわ。ギャング……ではなさそうね」
エルミアが冷ややかな視線で男を見下ろす。
「ほぅ~……常連客ねぇ。そんな『お金持ち』が、どうしてこんな安長屋に来るんだ? 歪んだ愛ってやつか? えぇ!?」
ラッシュがさらに追い込もうとしたその時、通報を受けた警察が到着した。
現れたのは、相変わらずボロボロのコートを羽織ったセイと、相変わらず不機嫌そうなルピナスだ。
「ご協力感謝します。状況を説明してください」
セイがメモを取る傍ら、ルピナスは被害者がエルミア(とアルトたち)であることを確認すると、犯人の男をゴミを見るような目で見据えた。
「女性へのつきまとい、および覗き見……か。お前のような手合いは、一生オリの中で反省しているのがお似合いよ!」
「待て、俺はただ興味本位で――ぎゃあああっ!?」
ルピナスの慈悲のない関節技が決まり、男は文字通り「しょっぴかれて」いった。
「これで一安心ね。ラッシュ君、ありがとう。……皆さんも」
エルミアが優雅に一礼する。その微笑みに、ラッシュは「ああ、外で孤独に待っていた甲斐があった……」とようやく報われた気持ちになった。
「まぁでも念のため、お店の護衛がつくまでは、用心棒は継続します。僕たちが守りますから」
アルトが意気込むと、エルキアがすかさず口を挟んだ。
「……アルト、貴方がこの部屋に泊まるのは、エルミアさんも流石にご近所の目があるわ。ここは、りっちゃんを使いなさい。持ち運びも手軽だし、これなら24時間、不審者が近づけば物理的に排除できるもの」
エルキアは、まるでりっちゃんを最新の「携帯用防犯グッズ」のように推薦した。
『解せぬ……我は不死の王だぞ』と言いそうなりっちゃんを想像してラッシュは苦笑する。
「それじゃあ、遠慮なく……。あ、そろそろ湯浴みをして支度をしなきゃ。今日は小料理屋の仕事があるの」
エルミアが日が傾いているのを見て髪を整え始めると、エネアウラが提案した。
「どうせなら、女三人で公衆浴場に行きましょうよ。お風呂で精神的なコリも洗いほぐすべきですわ」
「……ええ。悪くないわね」
さっきまで殺し合わんばかりの敵意を向けていたのが嘘のように、キャッキャと腕を組んで連れ立っていく三人の後ろ姿。
「……え……? アルト、あの修羅場は一体何だったんだ? 俺が必死に外で犯人と格闘してる間に、中で宗教改革でも起きたのか?」
呆然と立ち尽くすラッシュ。
「ん~……エルミアさんの魔法……かな? やっぱり、エルミアさんはすごいよ。あんなに怖かったエルキアを、あんなに笑顔にしちゃうんだから。原因が何だったのかも忘れちゃうね」
アルトは、夕日に照らされる彼女たちの背中を、心底感心したように眺めていた。
(原因だけははっきりしている…お前だよ……!)
ラッシュの心のツッコミは、オレンジ色に染まるルートシアの空へと虚しく消えていった。
小料理屋の厨房。急遽ピンチヒッターとしてカウンターに立ったエネアウラは、驚くほど手際よく客の注文を捌いていた。
酒瓶を傾け、グラスに注ぐ。客との距離感を完璧に保ちながら、時折見せる慈愛に満ちた微笑み。その姿は、かつて彼女が切り盛りしていたコンカフェ『月夜の尻尾』の看板娘、あるいは「伝説のママ」そのものだった。
「流石、人気店の元主役だな。明日からでも現役復活できらぁ。小料理屋のしっとりした雰囲気も、不夜城の華やかさも、あのお人ならどっちでもいけるだろうな」
カウンターの端で、エネアウラの流れるような接客に見惚れながら、ラッシュが感心したように呟いた。
「お待たせ。りっちゃん(防犯グッズ)を連れてきたわよ」
エルキアはカウンターにちょこんとりっちゃんを置く。
『主様より厳命されている。女、安心すると良い』
「――おぉ、『玉藻ママ』の一日復活と聞いて、俺も駆けつけてやったぞ!」
エルキアが暖簾をくぐった直後、さらに力強い声が店内に響いた。
オルダだ。ガハハと笑いながら入ってきた豪傑の姿に、店内の空気が一気に活気づく。
「オルダ! また飲み歩いてたの?」
「馬鹿を言え、アルト。これは『情報収集』と『人脈作り』だ。……おぉ、玉藻ママ、相変わらず良い手際だ。一本つけてくれ!」
その夜、小料理屋は不思議な一体感に包まれた。
エルキアはりっちゃんと共に、食事は摂らずとも場の空気(とアルトの横顔)を楽しみ、エネアウラはかつての輝きを取り戻したかのように活き活きと立ち働き、ラッシュは「今日一日の心労」を酒で洗い流す。
それぞれが、『明日』を前に、この束の間の休息を噛み締めていた。
宴もたけなわとなった頃、アルトが思い出したように切り出した。
「あ、そうだオルダ。明日の夜、エルミアさんのお店のオーナーと会うことになったんだ。オルダとテイゲンさんも一緒に来てほしいって言われてるんだけど……いいかな?」
その言葉が出た瞬間、それまで酔客を装っていたオルダの瞳に、鋭く冷徹な光が宿った。
彼は手にした杯を置き、カウンター越しにエルミアをじっと見つめる。
「……ふぅん、なるほどね。あの女が動いたか」
オルダの口調から酔いが消える。彼はすべてを理解したように、エルミアに向かって低く、重みのある声で告げた。
「エルミアさん…だったか、橋渡しをしてくれて、ありがとよ…。正直なところ、限られた時間の中で手詰まり感があったんだ。ルートシアを動かすには、俺たちだけじゃあ手が足りねぇ……。俺たちはあんたの主とも『仲良く』したいと思っているぜ」
「え……はい。ありがとう……ございます……」
エルミアは、オルダから放たれた圧倒的な「強者」の圧に、思わず息を呑んだ。
アルトの前で見せる「だらしない師匠」の顔ではない。世界を盤上で転がそうとする野心家の顔だった。
「……明日が、楽しみだ。テイゲンにも伝えておく。アンゾールマの夜が、少しは賑やかになりそうだな」
オルダは再び酒を煽ると、不敵な笑みを浮かべた。
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