第五十五章:合成の誤謬(ごびゅう)
五十五章です。
ギャング対策本部の地下倉庫。そこには、いつになく緊張感……というよりは、迷走の予感が漂っていた。
「……いい?みんな。シン・ケージ本部長の執念の根回しによって、本庁から最新鋭の魔導インカムが支給されたわ」
ルピナス・グラシアが、耳元に装着した銀色の小型端末を指で叩く。
「これで通信を常に繋いでおけば、捜査員が『お人好し少年』の異常なペースに絡め捕られるのを、外部から客観的に阻止できるはずよ。……パクさん、聞こえますね?」
「……あぁ、聞こえておるぞ。耳の中でルピナスの小言が響くのは、あまり健康に良くないのう」
一足先に旧市街の雑踏へ消えていたパク・エイティの声が、ノイズ混じりに返る。
「パクさん! インカムをつけているのがバレるから、口を出さないで返事はしないでください! 通信は叩く回数で合図して!」
ルピナスの頭は不安だけが支配していく。
マイケル・カミドが、マイクに向かってヒステリックに叫ぶ。
「今回はセイ君が言うように、あの狂犬アンドリュー一家が本当に『良い子の集まり』になったのか、その裏に潜む真の目的を暴くのが任務なの! パクさん、もう歳なんだから無茶しちゃダメよ。分かってるの!?」
「……。…………」
無言。パクからの合図はない。ただ、ザッ、ザッという足音に混じって、グゥゥゥ……という、地鳴りのような音がマイクに拾われた。
「……パクさん? 今の音は何?」
「……なんというか、こうも次から次へとガミガミ言われると……。なんだか……急に……腹が……減った……」
「パクさん!? パクさんのやつ、なんとなく見てみたいけどダメよ!メンチカツを狙ってるわね!! ご飯を食べるのが目的になったら、ただの税金の無駄遣いなのよぉ!!」
マイケルが地団駄を踏む。
「……ルピナス、やっぱり俺たちも行きましょう。あのじいさん、一人にすると何しでかすか分からねぇ!」
セイ・インシュラがボロボロのコートを翻した。
「あなた、昨日の今日で、よくそんなこと言えるわね…わかったわ。マイケルさん、ここをよろしくお願いいたします」
その頃、旧市街の路地。パク・エイティは、拠点の前で警戒(?)にあたっていたオルダとラッシュを発見した。
パクは重々しく足を止め、往年の名刑事が犯人を追い詰めるかのような鋭い眼光を向け――そして、顎を突き出した。
「……アイーンッス!!」
静寂。
アンゾールマの乾いた風が吹き抜ける。
ラッシュとマークは、顔を見合わせた。目の前にいるのは、ヨレヨレの服を着て、奇妙な角度で顎を突き出し、震えている老人だ。
「……なぁ、マークさん。こいつ、発作か何かか?」
「いや……わかりません。関わらない方がいいかな」
渾身の「アイーンッス!」が完全にドン引きされ、返ってくる兆しは微塵もない。パクの心が折れかかったその時、奥からエプロン姿のアンドリューが顔を出した。
「……あぁ、おじいさん。こんなところで震えて……さては、身寄りがいなくて行くアテのない独居老人だな? 腹、減ってるんだろ。いいから入んな。今日はマーク特製、揚げたてメンチカツの二回転目だ!」
「……。……警察官になって、本当によかったわい」
パクは光速で「笑顔の家族」に招き入れられていった。
一方その頃。買い出しから戻ってきたエルキアとエネアウラは、宿の近くで奇妙な二人組を目撃していた。
「あら、エネアウラ、見て。あれはこの前のおまわりさん(セイ)じゃない? 隣にいるのは……恋人かしら?」
エルキアの視線の先には、潜入捜査のために顔を真っ赤にしているルピナスと、戸惑うセイがいた。
ルピナスは「義務よ、これは公務よ」と脳内で念仏のように唱えながら、震える手でセイのコートの裾を掴む。
「……ねぇ、セイ。……手ーつな」
「……お、おう」
「……ちゃんつか(ちゃんと掴んで)……。……義務なんだからねっ!」
ルピナスの決死の「デレ(偽)」を見た瞬間。
エルキアの脳内で、とてつもない規模の演算が開始された。
(……あれ……いい!! すごくいいわぁ!!)
エルキアの視界がピンク色に染まる。エルキアの脳内に仮想世界が広がる。
ターゲットはアルト。場所は王都イルファーンの大通りの灯り下。
自分が『…アルト、…手ーつな…』と囁き、アルトが優しく『ちゃんつか、だね?』と自分の手を包み込む――。
そんなシチュエーションを想像した。
「……はぁっ!! ぐっ、ふぅぅ……!!」
エルキアは顔を真っ赤に熱くし、あまりの萌えの衝撃にその場にしゃがみ込んだ。マナが暴走する。
「エ、エルキア!? どうしたの?その茹で上がったような顔は!」
慌てて介抱しようとするエネアウラだった。
「エネアウラ…私もアルトに『手ーつな』をやってみたいわ…」
彼女もまた、『手ーつな』『ちゃんつか』という言葉の響きを反芻していた。
(……待って!待って!エルキア様が、アルト君にデレながらちょっとぶっきらぼうに手を出して上目遣いで恥じらいながら「…手―つな…」と言う…手を繋いで歩み始め、アルト君を見つめながらアルト君と目線が合ったら、プイっと視線を落として「ちゃんつか」って言ったら……!?)
エネアウラも、脳内で仮想世界を作り出す。
(…………はぁっ!いいわぁ ……それだけでオカズにできちゃいそう…あ、鼻血でそう…)
「ねぇ、エルキア…早く宿に戻りましょう…!身体が疼いてしょうがないの!」
二人は宿に戻り、仮想世界を構築させるために発生した熱を排熱するかのように、お互いの熱を発散させて溶け合った。
……今日もアンゾールマは平和だった。
一方、アルト、オルダ、りっちゃんはテイゲンの仲介で、旧市街の隅にひっそりと佇む、古びた私塾に行っていた。借金が膨らみ首が回らなくなったいた塾の借金を丸ごと引き受け、塾を事実上の傘下に収めることに成功した。その帰り道…。
「よかったね、オルダ。断られたらどうしようかと思った」
帰り道、アルトが安堵の息をつく。隣を歩くオルダは、懐に入れた契約書の手触りを確かめながら頷いた。
「あぁ、オートン先生に来てもらうためには時間がかかるからな。あんな借金まみれでも逃げずに教鞭を執り続けているんだ、根性だけはあるだろうな」
「これで当初の計画は完了したわけだね。これからどうするの?」
アルトの問いに、オルダの目が野心的に光る。
「新しい拠点とメンバーが必要だ。プリムやブラゴニアといった大勢力には、まだ手を出せる規模じゃない。まずは中小規模のギャングやごろつき共を壊滅させては取り込み、組織を肥大化させていく」
『規模が拡大していけば、わざわざ拳を振るわなくても、磁石に吸い寄せられる砂鉄のようにギャング共が自ら流れてくるようになる……というわけですね、主様の主』
アルトの肩に乗ったウサギのぬいぐるみ、りっちゃんが賢しげに補足する。
「そういうことだ。力が有り余っている奴には、軍隊仕込みの特訓を施す。テイゲンやカインがその先頭を担うことになるだろうな。……農地を広げ、工場を作り、真っ当な金で街を回すんだ」
「……ん?」
ふと、オルダが立ち止まる。見ると、派手さはないが、どこか品格を感じさせる佇まいの小料理屋があった。
「良い店じゃねぇか……。アルト、『骨』、俺はマークに契約書を届けてくる。お前らはここで飯でも食って待ってろ」
「わかったよ、僕もちょうどトイレに行きたかったんだ」
アルトは店の扉を開く。
「すみません、先にお手洗いをお借りします!」
「いらっしゃいませ、つきあたりを左に曲がった奥です」
カウンターの中で割烹着を纏った女性が微笑むが、アルトは脱兎の如く奥へ駆け込んでいった。カウンターに残されたのは、虚空を見つめるウサギのぬいぐるみ――りっちゃんだ。
「あら…あなたは確かしゃべるウサギのぬいぐるみの…りっちゃんさん?」
『…何!?貴様は確か…『不夜城』とかいういかがわしい店にいた、アルトが気に入っていた女ではないか?』
りっちゃんが首を回して毒づく。エルミアは苦笑しながら、そのふかふかの耳を見つめた。
「いかがわしいとは失礼ね…でもこんなところでもアルト君に会えるなんて、運命なのかしら…」
その時、再び暖簾が揺れた―――。
「ふざけるな!女!貴様とアルトにそのようなものなど―――あ」
叫ぼうとしたりっちゃんが、固まる。店に入ってきたのは、眼鏡を光らせた知的で冷徹な男、キヨウ。そして、その後ろで怯えたように周囲を見渡す若手刑事、カイトだった。
「いらっしゃい、キヨウさん。今日はお早いんですね」
「ええ、職場が最近、どうにも「踊って」いましてね……。定時ダッシュ(緊急避難)してきたんですよ」
キヨウは淀みない動作で席に着く。
「キヨウさん!?なんで自然体なんですか!?今、ウサギのぬいぐるみがしゃべっていたんですよ!?」
カイトが指を差して絶叫するが、キヨウは『本日のおすすめ』のおしながきを眺めたまま動じない。
「あぁ…。これはね、『眠りのぬいぐるみ』というトリックを使っているですよ」
キヨウはハンドサインとアイコンタクトで熱燗二本を注文しながら、淡々と「迷」推理を展開し始めた。
「トリックですか!?」
「犯人に顔を見られないように、麻酔で眠らせたウサギのぬいぐるみの後ろに隠れて、犯人のアリバイや証拠を白日の下に晒すんですよ。全ては少年の皮を被った大人がラッキースケベのためにひた隠しにしているんです」
「ウサギのぬいぐるみに麻酔…?キヨウさん…それ、何か別の名探偵が混ざってませんか!? しかも最後、絶対間違ってる!!」
「ええ、そうです。放映される時間帯と『少年』という設定の関係で無理でしょうねぇ。しかし、本人はずっと叶わぬ願いを持ち続けているんですよ。昨今の規制は厳しすぎます。おねショタ展開は私も期待しているんですが…」
「警察関係者がそれ言うんですか!?炎上しますよ!ダメですって!」
(何!?こいつら公僕か!…アルトが余計なことを話さなければよいが…)
そこへ、スッキリした顔のアルトが戻ってきた。
「すみません、ありがとうございました。…お酒は結構なので、食べ物をいただけますか…って、エ、エ、エルミアさん!?」
「いらっしゃい、アルト君。そうよ、私ここのお店でも働いているの」
(セイさんの報告にあった『お人好し少年』だーーーー!!)
カイトは突然のターゲットとの邂逅に焦りを隠しきれない。
「それよりも、最近お店の方にも来てくれないから、寂しかったわ」
(嘘つけぇぇぇぇぇ!あざとい女!)
りっちゃんは毒づく。
「あ、すみません!タイゼル組っていうギャングと同盟を結んで、アンドリューさん達が家族になって事務所を作ったり色々していたんですよ」
(アルト、だめーーー!! 警察の前で自白しないで!!)
りっちゃんは念話をこめるがアルトには届かない。アルトの「善意の自白」は止まらない。
「…順調にギャング作りはうまくいっているのね。…この後はどうしたいのかしら?」
「そうだね、アンドリューさん達が良い子になったから、次は中小規模の悪いギャングを良い子にしていくんだ。街をキレイに掃除して、土地も増やして畑を耕して野菜を植えて、孤児達にご飯をあげる。借金だらけだった塾も買い取ったんだ。そこで働くための知識や技術の他に、道徳や倫理観を身につけてもらうんだ」
「すごいわね!応援しているわよ!」
エルミアの微笑みに、りっちゃんはハッとした。
(ぬ…?もしやこの女、アルトのやろうとしていることが警察に誤解されないように先に善行として説明させているのか……?)
「ちょっとよろしいですか、アルト君。初めまして、私はキヨウと申します」
「はぁ、こんばんは…初めまして、アルトです」
「君がやろうとしていることですが…それではいつまで経ってもラッキースケベには辿り着けませんよ」
「え…ラッキースケベ…?」
きょとんとするアルト。カイトは頭を抱えた。
(ちょっと何言ってるんですか!キヨウさん!)
「あなたが本当にしたいことは何なんですか!悪いギャングを良いギャングに変える…それ自体はとても素晴らしいことです。でもあなたにはそれ以外もやるべきことがあるでしょ!?」
「あ……僕が本当にしたいこと…エルキアを守れる男になることです!」
「そう、それがおねショタ展開なんですよ!ラッキースケベに繋がるのです!あなたにはもっとやるべき『おねショタ的宿命』があるはずです!目を覚ましなさい!」
(キヨウさん!?いつもの犯人の凶行を止める説得のノリで、『お人好し少年』を歪める真似はやめましょうよ!!なんかエルミアさんも汚物を見る目でこちらを見ているし…)
「ごめんなさい!仕事が残っていたのを忘れてたので、帰りまーす!!」
カイトはキヨウの首根っこを掴み、無理やり店から引きずり出していった。
…静まり返る店内。
りっちゃんが低く、恐ろしい声で言った。
『女、塩はあるか…?』
エルミアもまた、無言で盛り塩を用意する。
「ええ、お願いしても良いかしら…」
(不死の王にすら塩をまかれるとは…この国の行政機関は末端まで腐りきっているな)
「お…良い雰囲気の店じゃねぇか、熱燗一本ね」
そこへ、何も知らないオルダが暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ、あ、アルト君のお連れ様ですね」
「オルダ…ごめん、僕、修行しなきゃいけなかったんだ、先に出てるね…?」
アルトは瞳の光を失い、哲学者のような足取りで店を出ていく。
「ん……?何かあったの…?」
首を傾げるオルダの前で、エルミアとりっちゃんは、ただ深く、深く頭を抱えるのだった。
『合成の誤謬』――一人一人が「良かれ」と信じて突き進んだ結果、全体として救いようのない破綻をきたす現象のことである。
後の歴史家は、アンゾールマのこの一日を切り取り、『慌ただしい喜劇』と呼んだ。
五十五章読んでいただきありがとうございます。警察組織に『笑顔の家族』が無害であることと、エルミアにギャング活動の進展を伝える要素を盛り込むために、とんでもないギャグ回になってしまいました。
しかし、その結果、ルピナスの任務と割り切れない恥じらいは、エルキア、エネアウラの欲望を燃やす燃料となり、警察の捜査活動はりっちゃんとエルミアは公権力の腐敗っぷりを痛感させ、アルトの中には再度暴走するかもしれない『芽』が育ってしまいました。




