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ンードラロギア  作者: ああああ


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第百四十章:餞別 銀仮面と愛おしき悪癖

百四十章です。ヒョーバル視点でのエピソードが始まります。

里の朝気は冷たく、静謐だった。

大樹の合間から差し込む朝日は、かつての火災の爪痕を隠すように、淡い金色の光を石畳に落としている。


ヒョーバルは、里の境界門の前でひとり、悶々とした思いを抱えて立ち尽くしていた。

グリフィンの鼻息が白い息がでている。彼の脳裏にあるのは、これから始まる隠密任務のことではない。自分を送り出す指示をだしたマスターへの、煮え切らない、喉の奥に小骨が刺さったような感情だった。


「……早い出立ね」


不意に投げかけられた声に、ヒョーバルの肩が跳ねた。

振り返ると、そこには壁にもたれかかり、腕を組んでいるエルキアの姿があった。


「マスター……。見送りとは、珍しいですね」


エルキアは何も答えない。

壁に背を預け、組まれた腕が豊かな胸を押し上げ、その下に隠れている。セレスティアル・サーヴァントの頭領として血の雨を降らせてきた彼女の佇まいは、立っているだけで周囲の空気を支配するような威圧感を放っていた。


(視線が……どうしても誘導される。この状況で邪念を払えというのは、無茶な話だ)


ヒョーバルは必死に視線を自身の軍靴へと落とし、邪念を払いつつ口を開いた。


「……マスター。どうしたのです? 何かアルト殿への言伝ことづてでもできたのでしょうか」


「あぁ、これ。餞別せんべつよ。受け取りなさい」


差し出されたのは、銀細工の施された精巧な仮面だった。


「これは……仮面ですか?」


「今回はセレスティアル・サーヴァントとしての仕事じゃないわ。ただでさえアンタの強面は人種ヒューマンに恐れられていたのに、その眼帯姿でアルブールに入りなさいな。皆、逃げ出してしまうわよ」


「ハハハ……。仕事を全うしていただけなのですがね」


「『真っ当な仕事』じゃないからよ。……でも、これからは変わっていけるわ」


エルキアの言葉に、ヒョーバルは深い溜息とともに頷いた。


「自分も、そう思います」


セレスティアル・サーヴァント。エルフ枢密院の剣として、世界の陰で暗躍し、必要とあらば無垢な女子供も迷わず剣の錆にしてきた戦闘集団。だが、世界の真実を知ったマクシミリアン議長の元で、彼らは変わりつつある。

その頭領から、流浪の魔術師として外の世界を渡り歩いたエルキアもまた、同じ確信を持っているはずだった。


「……アルトのこと、よろしく頼むわね」

ふと、エルキアの声音が低くなった。いつもの傲岸不遜な響きは影を潜め、まるで風に消え入りそうな、か細い響き。


「マスターのことを、なんとお伝えしておけば良いですか? 元気にやっていると?」


「え……えぇ、そうね……。別に、変わったことはないって……」

珍しく歯切れの悪い返事だった。冷徹無比、氷の如き決断力で部下を震え上がらせていたセレスティアル・サーヴァントの『頭領』だった頃には、逆立ちしても絶対に見せなかった姿だ。


(あぁ~! もうこの人は不器用だな……。人のことは言えないがな)

眼の前で視線を泳がせるかつての上官を見て、ヒョーバルの中で、これまで必死に閉じ込めていた感情の濁流が、堰を切ったように爆発した。


「……あの、よろしいのですか? ご自分も行きたいと、顔に書いてありますよ?」


「……っ!! 何のことよ! 私にはここでやることがいっぱいあるでしょ! アルトが元気に目覚めていれば、それでいいのよ!」

エルキアの肩がびくりと跳ね、すぐさま語気が荒くなる。痛いところを突かれた時の、彼女の悪癖だ。


「自分は、あなたに心を抉られ、高い授業料を払わされましたが……マスター、あなたに教えられたのですよ。恋愛という感情が、いかに人を狂わせるかを!」

ヒョーバルは、残された片目で真っ直ぐに彼女を見据えた。かつて彼女に恋焦がれ、そして無残に散った自分という格好の「被害者」が、今ここにいるのだ。その男に向かって、よくもそんな見え透いた強がりが言えたものだと、半ば呆れ、半ば愛おしかった。


「なによ!」


「アルト殿に抱きしめられたいのでしょう!? なぜご自分に素直にならないのですか!」


「……っ! そんなこと言ってられる状況じゃないでしょ!」


「こんな状況だからですよ! ご両親のこと、世界の真実、ご自分の霊体が魔王の半身であること! すり減り、傷ついた貴女の精神を癒してくれるのは、この世界にただ一人しかいないのでしょう!?」

一歩、地を震わせるように踏み出す。

代われるものなら、代わりたい。その華奢な肩を抱き寄せ、すべての苦痛から守ってやりたい。だが、かつて自分が手を伸ばした時、彼女の心に自分が入り込む隙間は一寸たりとも無かった。そして今、彼女の魂の救いになれるのは、遥か遠くにいるあの人間の青年だけなのだ。その決定的な事実を知っているからこそ、当事者である彼女が意地を張って足踏みしているのが、ヒョーバルにはもどかしくて仕方がなかった。その無力さと苛立ちを、もう隠せなかった。


「何よ! 私に振られた腹いせ!? 元上官に対して随分な物言いね!」


「貴女のために言っているのですよ!」

向けられた反論に、ヒョーバルは一歩も引かずに吠え返した。失恋の腹いせなどという安いプライドで言っているのではない。振られた事実を受け入れた上で、それでもなお、最愛の女性には心から幸福になってほしいと願う、一人の男としての叫びだった。


「うるさぁ〜いっ!ふんっ、来なきゃ良かった!!」

完全に言葉に詰まったエルキアは、子供のように顔を真っ赤にして背を向け、苛立ちをぶつけるように石畳を強く踏み鳴らしながら、足早に去っていく。


残されたヒョーバルは、拳を白くなるほど握りしめたまま、冷え切った朝の空気に白く濁った息を吐き出した。視線の先では、彼女の美しい後ろ姿がみるみる小さくなっていく。

(くそっ……! この人の扱いだけは、昔から一度もうまくいった試しがない……!!)


ヒョーバルは銀仮面を付けて荒々しくグリフィンに跨ると、一度も振り返ることなく、里の門を駆け抜けた。グリフィンがその翼を羽ばたかせると、衝撃とともに、一瞬で空に駆け上がる。里の全景が一瞬で手に掴める大きさになっていく。


後ろ髪をひかれる気持ちを振り払う。



「髪も短く切ったのだがな…」

ヒョーバルは火事の際に、長い長髪は焼けてしまったので、サイドの髪は耳を出しつつ後ろへ流れ、襟足えりあしは首筋に沿って少し長めに残し、顔に掛かる長めの前髪を全て後ろへ流したオールバックスタイルにしていた。


日が傾きかける頃、厚く垂れ込めた雲の切れ端から覗く斜光が、一面の銀世界を鈍く照らし出していた。

アルブール王国の北方に位置する、峻険なる「ヤプールの城塞」。その無骨な石造りのシルエットが、うっすらと雪を被った山肌の向こうに姿を現す。エルフの里の温暖な気候とは打って変わり、外界の冬は容赦なく冷気となって肌を刺した。


上空の猛烈な寒風を切り裂き、巨躯を誇るグリフィンが大きく翼を広げてスピードを緩める。

鞍上に跨るヒョーバルは、銀の仮面の隙間から冷たい視線を地上へと走らせた。


「この辺だな……。お、いたいた」


目を凝らした先、雪原の片隅から、規則的な光の明滅が放たれた。あらかじめ決めていた合図だ。ヒョーバルは手綱を引き、光源に向けて一気に降下を開始した。グリフィンが雪を巻き上げながら着地すると、地響きとともに柔らかな白銀の絨毯が四方に飛び散る。


ヒョーバルは鞍から雪の上へと力強く降り立ち、出迎えた男へと歩み寄った。


「エド! 久しぶりだな。元気だったか?」


「ヒ、ヒョーバル筆頭!? その銀仮面と髪はどうしたのですか!」


駆け寄ってきたエドは、かつての威風堂々たる「筆頭騎士」の変わり果てた姿に、思わず息を呑んで声を裏返した。

長い髪はバッサリと切られ、顔の半分は冷徹な金属の光沢を放つ仮面に覆われている。隙間から覗く単眼の鋭さは増しているものの、かつて里の誰もが恐れ、敬った「無敗の剣」の面影には、明らかな戦いの爪痕が刻まれていた。


百四十章お読みいただきありがとうございました。


今回は、元セレスティアル・サーヴァントの筆頭騎士ヒョーバルの「出立」にスポットを当てた、おとこの魅力が詰まった回となりました。


かつての恋慕、そして手痛く振られたという事実。ヒョーバルはそれをうじうじと引きずるのではなく、自分のなかで完全に受け入れた上で、それでもなお「エルキアに幸せになってほしい」と願っています。だからこそ、傷つき、すり減りながらもアルトへの想いに素直になれない彼女に対して、あえて不敬を承知で吠えたシーンは、彼の男気が爆発した名場面となりました。


火災によって長髪を失い、フロントを全てかき上げたオールバックスタイルとなったヒョーバル。一切の迷いを断ち切った凄みとストイックな覚悟を漂わせています。さて、任務を難なくこなすことができるか……この後のエピソードにご注目ください。

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