第百三十七章:生還と遺言
百三十七章です。
ヒョーバルの巨体が崩れ落ちた後、現場は騒然となった。
すぐさまマクシミリアン議長の手配により、ヒョーバルは里で最高水準の医療施設へと緊急搬送される。地下室に残された膨大な資料と「クリスタル・レコード」は、ユーリ率いる部隊が厳重な警戒態勢を敷くこととなった。
「いいか、ネズミ一匹通すな!ここは里の、いや、世界の宝が眠る場所だ!」
ユーリの鋭い号令が響く中、エルキアたちは力なく運び出されていくヒョーバルの背中を追った。
白を基調とした無機質な医療施設の待合室。
消毒薬の匂いが鼻をつく中、リーンネェムとスイは椅子に深く腰掛け、祈るように手を組んでいた。
エルキアは一人、窓の外の焦土となった我が家を眺めていた。その手には、泥と煤に汚れ、それでも大切に抱えられた「父と母からの封筒」がある。
「エルキアさん、その封筒……開けないんですか?」
スイが控えめに尋ねる。これほどまでに求めていた「真実」が今、手元にあるというのに。
エルキアは静かに首を振った。
「今は……そんな気分じゃないわ。これを守ってくれた男の命がどうなるかも分からないのに、一人で先に進むなんてできない」
彼女の横顔には、いつもの傲慢な自信は影を潜め、一人の仲間を想う切実な痛みが浮かんでいた。
やがて、処置室の扉が開いた。
「処置が完了しました。……結論から言うと、奇跡です」
医師の言葉に、三人が弾かれたように立ち上がる。
「急激なマナの消費による一時的なショック状態でしたが、事前に水を被っていたことが功を奏したのでしょう。魔法障壁のようなものを展開されていたのか、火傷も限定的なもので、命に別状はありません。数時間もすれば目を覚ますでしょう」
その瞬間、待合室にいた全員の肩から力が抜けた。リーンネェムはその場にへたり込み、スイは「よかった……」と何度も繰り返して涙を拭った。エルキアもまた、固く握りしめていた封筒をようやく膝の上に置き、深く、長い吐息をついた。
数時間後、病室のベッドでヒョーバルがゆっくりと瞼を持ち上げた。
「……ん……。マスター、ここは……?」
「医療施設よ。まったく……無茶しちゃって。二度とあんな真似はしないで。心配させるんじゃないわよ」
エルキアの呆れたような、けれど慈しみを含んだ声が降ってきた。横を見ると、目を真っ赤にしたリーンネェムとスイ、そしてマクシミリアン議長までが彼を覗き込んでいる。
「ヒョーバル様、本当によかった……。意識が戻らなければどうしようかと……」
「本当じゃ……。娘たちを助けてくれてありがとう。君がいなければ、私は家族を失うところだった」
「皆さん……私なんかのために、そんな顔を……」
恐縮するヒョーバルを見て、スイが空気を和ませようと茶目っ気たっぷりに笑った。
「ヒョーバル筆頭、そんなに卑下することないですよ。筆頭はエルキアさんに絶大な信頼をされてたんですから。なんせ、あんな極限状態でエルキアさんったら『私の忠実な――』」
パコーン!
乾いた音が病室に響いた。エルキアの手が、スイの後頭部を見事に捉えていた。
「ふぇぇ……痛いです! な、何するんですかぁ!」
「ス~イ~!!重度の人見知りだったあんたが、いつの間にそんなに口が軽くなったの!? 余計なことを喋るんじゃないわよ!」
エルキアは耳まで真っ赤にしてスイを追い回す。その必死な様子に、ヒョーバルは目をパチクリさせた。
「ちゅ、忠実な……? スイ、マスターは一体なんと言ったのだ!? 非常に気になるぞ!」
身を乗り出すヒョーバルに対し、エルキアは彼をベッドに押し戻しながら叫んだ。
「うっさいわね! アンタなんか……私の『忠実な飼い犬』よ! 文句ある!?」
「か、飼い犬……。ははっ、それはそれで光栄ですな」
ヒョーバルが満足そうに笑うと、病室は温かな笑い声に包まれた。
命を懸けた死線の後に訪れた、不器用で、けれど確かな絆を感じさせるひととき。
「それは、そうと……あの状況下で無事だったのは流石ですね」
スイがパァっと明るく話し出す。
「そうなんですよ!エルキアさんの機転が素晴らしかったです!」
「えぇ……大したことじゃないわよ。糊で作った泡による空気断熱、それと酸素生成と冷却をやったのよ」
「インクと漂白剤で酸素ができるなんて知らなかったわ。すごくびっくりしたわよ!」
「お父さん、黒のインクに二酸化マンガンを使っていたの。古代の遺跡の壁画にも使われていて耐候性にも優れているのよ。紙の漂白剤は過酸化水素水ね。これを混ぜると酸素が発生するのよ」
「冷却は分子の運動エネルギーを減衰させるように魔法の力技よ。せっかくの天使からもらったマナがまた無くなるかと思ったわ」
「すごい!流石一五歳で大樹の書庫を読破したエルキアさんです!」
「よしてよ、おだてても何もでないわよっ……それよりも―――」
しかし病室を包んでいた温かな空気は、エルキアの鋭い一言によって、一気に氷点下へと引き戻された。
「今回の火事……事故に見せかけた『真実の隠蔽』と考えるのが妥当ね」
ベッドに横たわるヒョーバル、そして傍らに立つマクシミリアン議長も、その言葉に表情を強張らせた。議長が沈痛な面持ちで口を開く。
「……現在、ユーリたちに詳細な現場検証を進めさせておるが、ただの不審火以上の手がかりは、今のところ見つかっておらん」
「一体誰がこんなことを……。私たちが地下室を見つけたその瞬間に火を放つなんて、まるで見張られていたみたいじゃない」
リーンネェムが不安げに周囲を見渡す。その脳裏には、かつて里を騒がせたアンセラルの残党の顔が浮かんでいた。
スイが弾かれたように顔を上げる。
「……!!まさか、アンセラルの生き残りが復讐のために……?」
「いいえ。やり口が違うわ」
エルキアは窓の外、煙の消えた生家の方角を見つめながら断言した。
「彼らなら、もっと派手に魔法で地下室ごと吹き飛ばす方を選ぶわ。それが確実だもの。でも、それをしなかったのは、魔法を使えば固有の『魔力痕』が残り、解析の糸口を与えてしまうから。……今回の犯人は、徹底的に足がつくことを恐れ、原始的な『火』という手段で私たちを抹殺しようとした」
「もしかすると……いえ、今はいいわ」
エルキアは言いかけて、言葉を飲み込んだ。
両親を「事故死」に見せかけて消した何者かが、数百年の時を経て、再び自分たちに牙を剥いてきた。それは、アンセラルという新興の過激派などとは比較にならないほど、このエルフの里に深く、静かに根を張っている「闇」の存在を予感させていた。
「ヒョーバル。あんた、外に出た時に何も感じなかったの?」
エルキアの冷徹な問いが、ベッドの上の筆頭騎士に向けられる。
ヒョーバルは悔しさに顔を歪め、深く頭を下げた。
「……面目次第もございません。不覚にも、議長への報告に意識が向きすぎておりました」
「……よほどの手練れか、それとも、アンタが左目を失ってまだ慣れていなかったか……ね。責めているわけじゃないわ。」
エルキアはそう言ったが、その瞳には冷たい怒りの炎が宿っていた。
敵は自分たちのすぐ側にいる。それも、里のシステムや防犯の隙を熟知した何者かが。
(お父さん、お母さん。あなたたちが戦っていた相手は、今もこの里を支配しているのね……)
エルキアの手の中で、古びた封筒がカサリと音を立てた。この中に書かれた真実こそが、犯人が葬ろうとしたもの。
「おじ様。……覚悟はいいかしら。この封印を解けば、もう後戻りはできないわよ」
「無論じゃ。我々は後戻りも立ち止まることもできない」
迷わず封筒を開けるエルキア、そこには手紙と簡素な一冊の本とレコードがあった。
エルキアは手紙を読みあげる。
それはリニュイェルとソレムナからエルキアに向けられて書かれた内容だった。
『私たちの可愛いエルキアへ
この手紙を読んでいるということは、既にお父さんとお母さん、そのどちらか、あるいは両方がお前の側からいなくなってしまったということだろう。
幼いお前を一人残し、どれほどの寂しさと悲しみを与えてしまったか。それを思うと、胸が張り裂けるようだ。本当に、許しておくれ。
お父さんとお母さんは、世界の真実を知ろうとした。
しかし、私たちが辿り着いた答えは、エルフの里が数百万年の中で築き、守り続けてきた『常識』や『平穏』を根底から覆し、壊しかねないものだった。それゆえに、私たちは何者かに追われ、こうして遠い場所へ行かなければならなくなったのかもしれない。
この封筒に入っている一冊の本。そこに私たちが命を懸けて暴いた「世界の真実」が記されている。
もし、お前がこの本を開き、真実を知ろうというのであれば、どうか心して欲しい。
もし今、お前が独りだと感じ、背中を預けられる愛する仲間がそばにいないのであれば……エルキア、お願いだ。その時は迷わず、この本を火に投じて燃やして欲しい。
それほどまでに、この本に書かれている事実は残酷で、知る者の心を削り、孤独にするものだ。独りで背負うには、この世界の真実はあまりにも重すぎる。
私たちの可愛いエルキア、お父さんとお母さんの本心は、お前にただ普通の女の子として、穏やかな幸せの中で生きてほしいということだ。
マクシミリアンおじさんは、不器用だが信頼できる男だ。彼の言うことをよく聞き、助けを借りなさい。周りの人々への感謝と、そして何より、お前のその美しい笑顔を、多くの人に振りまいてほしい。
お前は私たちの誇りであり、最愛の娘だ。
どこにいても、私たちは、お前を心から愛している。
――父 リニュイェル、母 ソレムナより』
手紙を読み終えたエルキアは、長い間、沈黙したまま動かなかった。
震える指先が、手紙の最後に綴られた両親の名を、確かめるようになぞる。
そして、ゆっくりと顔を上げると、そこにはいつもの勝ち気な笑顔ではなく、決意に満ちた、どこか悲しげな光を宿した瞳があった。
彼女は、ベッドの上のヒョーバル、そして寄り添うリーンネェムとマクシミリアン、スイを一人ずつ見つめる。そして、心の中でアルト、オルダ、りっちゃん、ラッシュ、エネアウラを思い浮かべる。
「……お父さん、お母さん。私、もう独りじゃないわ」
彼女はそう呟くと、迷うことなく、封筒の中に残された「残酷な真実が記された本」へと手を伸ばした。
百三十七章読んでいただきありがとうございます。
ヒョーバル、生還! 読者の皆様もヒヤヒヤされたかと思いますが、彼らしいタフさが彼を救いました。
そして地下室でのサバイバルの答え合わせ。実際に約2万年前に描かれたと言われるフランスのラスコー洞窟も二酸化マンガンで描かれているそうです。二酸化マンガンとオキシドールで酸素発生させる理科の実験とか、懐かしいなと思いながら本を作るような書斎で揃うものを考えてみました。
この世界では無から氷やツララを作る「氷結魔法」が使えないので、冷却させる魔法をもっともらしく書きましたが、無数の分子の運動エネルギーを減衰させるエルキアさん……下手すりゃまたマナ切れ起こすでしょ!っていうくらいの無茶なことやっちゃっています。
エピソード終盤の愛の詰まった手紙。十年以上前のエルキアさんであれば、間違いなく燃やすしかなかったでしょうね。彼女は強くなり、そして支え合う仲間がいます。
リニュイェルの記した世界の真実が紐解かれ、ようやく時系列的にも第三部の終わりに追いつきつつあります。




