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ンードラロギア  作者: ああああ


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第百三十五章:業火からの籠城戦

百三十五章です。

ハッチとも言えるような扉を開けた瞬間に吹き出したのは、禁書庫の無機質な清潔さとは真逆の、重く湿った空気だった。


「……うっ。カビと土の臭い……。相当長い間、密閉されていたのね」


リーンネェムが袖で口元を覆う。地下へと続く階段は急で、壁面には粘りつくような湿気が膜を張っている。しかし、エルキアはそんな不快感など微塵も感じていないかのように、汚れを厭わず闇の先へと突き進んでいった。


「エルキア様、足元が危ないです! これを使ってください」

スイが慌てて鞄から携帯用の魔導灯を取り出し、エルキアに手渡す。


「ありがとう、スイ。準備良いわね」

青白い光が狭い通路を照らし出すと、突き当たりに質素だが頑強な、金属製の扉が姿を現した。


エルキアは迷わず、手にした黄金の鍵を差し込む。カチリ、という乾いた音と共に、十数年もの間、世界から隔絶されていた「真実」の封印が解かれた。


扉の向こうに広がっていたのは、わずか十二畳ほどの、驚くほど狭い書斎だった。

壁一面に並ぶ手書きの資料、使い古された観測機器、そして机の上に置かれたままの飲みかけだったであろう乾燥したカップ。


「……お父さん。……お母さん」


エルキアの声が、微かに震えた。

部屋の中央には、二つの肘掛け付きの椅子が、主を待つように並んで佇んでいる。彼女はその背もたれにそっと指先を触れた。そこだけ、時が止まっていた。考古学者として、そして親として、愛する娘に真実を遺そうとした二人の体温が、今もそこに残っているかのような錯覚に陥る。


「エルキアさん……! こ、これを見てください! これって……!?」

スイの驚愕した叫びが、感傷の静寂を破った。彼女が指差す棚には、柔らかな光を放つ無数のクリスタルが、整然と、しかし異様な威圧感を持って鎮座していた。


「……クリスタル・レコード……」

エルキアがその一つを手に取り、灯りにかざす。

今のエルフの里が誇る最高峰の技術をもってしても再現不可能な、超微細な彫刻。精巧な古代文字が、結晶の内部にびっしりと、宇宙の星々のように刻み込まれている。


「リニュイェル先生は……このクリスタル・レコードを解読して、この世界の『本当の歴史』を知ってしまったのですか!?」

スイは興奮を通り越し、恐怖すら感じていた。紙に書かれた歴史などではない。世界そのものが記憶した、改竄不能な「原初の記録」。


「ええ……そうね。そのせいで、お父さんとお母さんは『事故死』した……いえ、消されたのよ」

エルキアの言葉に、部屋の温度が一段下がったような気がした。彼女は冷徹なまでの眼差しで、その結晶を見つめる。


「この書斎には、私たちが知るべき本当の真実が隠されている。……ヒョーバル、悪いけど一度外へ戻って、おじ様を呼んできてちょうだい」


「わかりました。……それと、この広さを調べるには灯りが足りませんな。いくつか大型の魔導照明も持ってきましょう」


「お願い。……気を付けてね」


ヒョーバルは命を受けると、カビ臭い通路を駆け上がり、地上へと這い出した。

西日に照らされた荒れた庭に立ち、彼は大きく息を吸い込む。


(すごい発見だ……! 禁書庫の原本がダミーだった理由がようやく繋がった。これは早くマクシミリアン議長にお伝えしなければ。歴史が変わるぞ……!)


使命感に燃えるヒョーバルは、そのまま里の中央部へと走り去っていった。


だが、彼は気づいていなかった。


鬱蒼と茂る樹木の隙間。

走り去るヒョーバルの背中を見届ける、音も、気配もない「黒い影」がそこにあることを。


「……見つけたぞ。リニュイェルの隠されし禁忌の遺産」


低く、くぐもった声が風に溶ける。影はゆっくりと、隠し通路のハッチが開いたままの地面を見つめ、音もなく滑り出した。


真実を求めるエルキアたちのすぐ背後で、新たな危機がその鎌をもたげようとしていた。


一方、ヒョーバルが去った後、狭い地下室には、湿り気を帯びた空気と魔導灯の青白い光だけが残された。そこにある「過去」の質量がより一層重くのしかかってくる。


三人は、三者三様の想いを抱えながら、時が止まった書斎の深淵に身を置いていた。


エルキアは、両親が愛用していた二脚の椅子の背から手を離せずにいた。

指先に伝わる古い木材の感触は、驚くほど冷たい。しかし、彼女の脳裏には、この狭い部屋で頭を突き合わせ、熱心に議論を交わしていた父と母の姿が鮮明に蘇っていた。


(お父さん、お母さん……。あなたたちは、この冷たい石の輝きの中に、どんな絶望と希望を見たの?)


彼女の瞳に宿るのは、いつもの光ではない。それは、失われた温もりを追い求める、一人の寄る辺なき娘の「哀愁」だった。禁書庫で感じた『偽りの歴史』への怒りは、今、この真実の部屋で、静かな悲しみへと形を変えていく。

彼女は、椅子の座面に残る微かな凹みを見つめ、自分がここへ辿り着くことが、両親の遺志を継ぐことの始まりであることを悟っていた。


リーンネェムは、壁一面を埋め尽くす膨大な手書きの計算式と、中央に鎮座するクリスタル・レコードを見渡し、深いため息を漏らした。


(……脱帽だわ。あの大樹の書庫ですら、この部屋にある情報の密度には及ばない)


巫女として数々の伝承を叩き込まれた彼女ですら、この結晶が放つ異常なまでの魔力波長には戦慄を覚えていた。リニュイェル夫妻は、里の監視の目を潜り抜け、独力でこの領域にまで到達したのだ。その執念と知性、そして娘への愛の深さに、リーンネェムはただただ圧倒されていた。

それは、巫女としての矜持すら霞むほどの、一人の人間が成し遂げた究極の研鑽に対する、心からの敬意だった。


一方で、スイは既に別の世界へと足を踏み入れていた。

彼女は震える手で、クリスタル・レコードの表面を這わせるようにして観察している。


「……信じられない。この結晶格子の中に、情報がレイヤーになって重なっている……。エルキア様、これ、たった一個で禁書庫の棚一つ分以上の真実を語っていますよ……!」


スイの瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの純粋な「興奮」が渦巻いていた。考古学者にとって、未知の一次資料、それも世界の根幹に関わる代物を、自分たち三名だけで独占して紐解こうとしている現状は、麻薬的な悦楽に近い。


「先生、あなたは……一体どこまで『見て』しまったのですか……!」


彼女の指先が、結晶から漏れ出す古代文字の光に触れる。その瞬間、彼女の知的好奇心は臨界点を超え、この場の危険すら忘れて、情報の海へとダイブしようとしていた。


三人の想いが重なるこの地下室で、エルキアが静かに一歩踏み出した。


「スイ、興奮するのはいいけれど、呼吸を整えなさい。……クリスタル・レコードの解析をしたい気持ちは抑えて、今はお父さん達の手記や記録を探りましょう」


三人は資料の整理に取り掛かった。世界の歴史以外にも、レコードの解読法や地学など、多岐にわたる優れた研究資料が次々と見つかっていく。


そんな中、リーンネェムが机の異変に気が付いた。鍵穴の無い引き出しが、どうしても開かないのだ。


「ねぇ、エルキア。この引き出しは何かしら? びくともしないのよ」


エルキアは注意深く観察した。意匠として施されたアカンサス模様の装飾。その唐草の隙間に、一粒の小さなクリスタルが埋め込まれている。彼女はおもむろに、その石に自身の指を押し付けた。


――カチリ。


特有の魔力波長を認識したのか、軽やかな音と共にロックが外れた。

そこには一通の、ずっしりと重みのある封筒が入っていた。表書きには、紛れもない父の筆跡でこう記されていた。


『リニュイェルとソレムナからエルキアへ』


「お父さん、お母さん……」


エルキアは無心になって封筒に手をかけた。ついに、自分宛ての言葉に辿り着いた。その時だった。


「ねぇ……なんだか、すごく暑くない?」


リーンネェムが顔を上げ、眉をひそめた。

言われてみれば、地下特有のひんやりとした湿気が消え、喉を焼くような乾燥した熱気が満ち始めている。


スイが嫌な予感に突き動かされ、バッっと身を翻して書斎の扉のノブに手をかける。


「熱っ!!」


彼女は悲鳴を上げて手を引っ込めた。金属製の扉は、既に素手で触れられないほどの熱を帯びていた。

扉の隙間からは、うっすらと目に染みる白煙が入り込み始めている。


「火災!? いったい誰がこんなことを!?……まさか、ヒョーバル筆頭が……!?」


スイの邪推に、エルキアは即座に、鋭い声で返した。


「違う、ヒョーバルはそんなことをしないわ! 彼は忠実な私の剣よ!」


地上で見張っていた「影」が、ハッチを閉じ、周囲に火を放ったのだ。酸素が薄れ、熱気が密室を支配していく。


「今は、ヒョーバルがこの異常に気が付くのを待ちましょう……! それまでに、私たちはここで倒れるわけにはいかないわよ!」


逃げ場のない地下十二畳の書斎。

真実を掴んだ瞬間に仕掛けられた紅蓮の罠。エルキアたちの命を懸けた、最悪のタイムリミットが始まった。


扉の向こうから伝わる熱気は、既に肌を刺すほどに高まっていた。薄煙が書斎を白く霞ませ、酸素が刻一刻と失われていく。パニックに陥りかけたスイとリーンネェムを、エルキアの鋭い声が引き戻した。


「慌てないで! 私たちはこの程度の危機なんて、簡単に乗り越えてやるわ!」


エルキアは抱きしめていた封筒を引き出しに戻すと、かつて父が使っていた実験用机の前に飛び出した。その瞳は、絶望ではなく、かつての記憶を呼び戻して輝きを帯びている。


「スイ、そこにある製本用の糊を全部持ってきて! それと、水差しにある水を混ぜて泡立てなさい。それを扉の隙間と表面に厚く塗りたくるのよ!」


「えっ……糊と水で、ですか!?」


「空気を含ませた泡は最高の遮熱材になるわ! 急いで、扉が焼き切れる前に熱を遮断するのよ!」


スイは弾かれたように動き出し、ベトつく糊と水を激しくかき混ぜて、扉一面に真っ白な泡の層を作り上げていく。


「リーンネェム、あんたは棚の奥にある黒のインク瓶を探して! それとこの紙の漂白剤に少しずつ混ぜていくのよ!」


「わかったわ! ……あった、これね!」


リーンネェムが二つの薬品をエルキアの手元に揃える。エルキアは迷わず、大きなフラスコの中でそれらを混ぜ合わせた。瞬時に激しい反応が起こり、透明な気体が発生し始める。


「これは酸素よ。これを吸って凌ぐわ。いい、煙を吸わないように姿勢を低くして!」


酸素の供給源を確保したエルキアは、さらに書斎を見渡した。


「スイ、煙の侵入は防げてる?」


「はい、泡の糊がこの部屋を密封しています。でもこのままだと……」

スイは上昇していく温度に絶望する。


「大丈夫よ」

エルキアが集中し、魔力を解放した瞬間、扉周辺の温度が急激に下がっていく…。


「すごい……周囲に水も無いのにどうやって…!?」


「説明は後よ、…ハァ、ハァ……。これでしばらくは持つわ。酸素が尽きるか、あの鈍感な男が火を消しに来るのが先か……。お父さん、お母さん、見てる? あなたの娘は、こんなことで死ぬほどヤワじゃないわよ」

エルキアは乱れた銀髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべた。


百三十五章読んでいただきありがとうございます。


エルキアの大樹の書庫での知識と経験のフル活用なエピソードとなりました。


エルキア達の籠城戦は持ちこたえられるのか!?ヒョーバル!煙は見えているはず!急げよ!!と言いたくなりますね。

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