たった一度……
たった一度……
これはたった一度の親切によって世界が変わってしまった青年のお話。
青年は実業家だった。何事にも若くして成功し、幸せの絶頂とも呼べるそんな日々。
ある日、青年はバスに乗る。バスに一人の老婆が乗り込んできた。髪はベタベタで、来ているものはつぎはぎだらけ。臭いは臭わずとも異臭が漂う。
だが、青年はそんな老婆を嫌悪したりはしなかった。
「お席、いかがですか?」
あくまで普通の老婆と同じように接した。
「いえ、わたしは……」
「どうぞ」
青年の厚かましい笑顔に老婆は屈したようだった。渋々、バスの席に座る。
「どえらいことをしてくれたね」
老婆はそう呟いた。
青年は言葉の意味を問いただす前に、バスが目的地にまで到着してしまったので、結局問いただすことができずじまいであった。
後日、青年はバスに乗っていた。風邪気味で、調子が悪く、のどに痰が絡む。頭も少しくらくらしていた。
そんな青年に声をかける者がいた。
「席を譲んな」
そう言われて青年はその人物を見る。それは白い髪にあばた面の老婆だった。バスが揺れるたびに腰が砕けそうな仕草をする。
青年は辺りを見渡す。どこも満席だった。
「わたしゃ知ってるんだよ。わたしみたいな乞食のババアに席を譲ったんだろ?あいつにゆずってわたしに譲らない義理はないわね」
きゃはははは、と気味の悪い声で老婆は笑う。青年は嫌な気持ちになったが、仕方がなく席を譲った。
ずっと立っていると青年の調子の悪さはだんだんとひどくなってきた。それでも、我慢してその日を過ごした。
それから、何度も青年は老人に急かされてバスの席を譲る羽目になった。それも、どの老人も同じ老人ではなかった。
そして、だんだんとそれはエスカレートしていく。
「老人に席を譲ったんだ。食い物くらい恵んでくれてもいいだろう?」
「あいつに食い物を恵んだんだ。すこしのはした金くらいくれてもいいだろう?」
「老人に金をくれてやったんだ。車をよこせ」
「車をあいつに渡したんだ。家を貰おうか」
「家を老人にくれてやったんだって?じゃあ、会社くらいくれるよなあ」
青年はあっという間に、寄生虫のような老人たちに食い潰され、無一文となった。
老人が無一文となったのを見るや否や、老人たちはどこかに消え去った。
青年はホームレスとなり、公園で長い時間を刻み、そして、老人となった。
老人は何とかしてかき集めた金で遠くに行こうと決めた。二度と帰れないほど遠くへと。
脂ぎった髪に、死体よりも臭い体臭を漂わせながら老人はバスに乗った。
そんな老人を見かねたのか、女性が一人老人に席を譲る。老人は断ったが、女性がしつこく勧めるので仕方がなく座る。
「どえらいことをしてくれたね」
老人は女性の末路を想像して人知れず涙を流した。




