老人と海
老人と海
かもめよかもめ。どうしてかような声で鳴くのか。母なる海が恋しいか。
「おじいちゃん。また、こんなところまで出て行って」
岬に佇みカモメを見上げる老人をその娘たちが急いで引き戻す。老人はここ数年で急激の衰え、自分が何者であるのかさえ忘れてしまっていた。
我は帰る。いつかは海へ。
老人は漁師だった。代々続く漁師の家の最後の男だった。時代はもう漁だけでは食べていけない。だからこそ、子どもたちを大学まで行かせるために必死で働いた。雨の日も風の日も、嵐でしける日も、子どもの未来のため、魚を捕り続けた。
「おじいちゃん、このままだと海に落っこちちゃうわ」
「そうだな。親父には世話になったから、これからも元気で暮らしてほしいが」
老人の願いは海に帰ること。だが、この願いはまだまだ老人に地を歩いてもらうこと。
老人は山の病院に入院することになった。そこであれば万が一にも老人が外に出て危険な目にあうこともない。
息子たちは毎日老人に会いに行った。
だが、老人は息子たちに目を向けることなく、毎日窓から見える海を眺めていた。
かもめよかもめ。そなたはわしを笑うのか。海にいぬ漁師は陸の魚か。
老人はかもめを見ると、目に涙をためた。
息子たちには老人がどうして目に涙を浮かべているのか理解できなかった。
そして、老人は何の前触れもなく息を引き取った。ただ、静かに寝るように深淵へと落ちていった。
その日、朝一番に津波が襲った。津波は山を飲み込み陸を侵食する。みな、命はないと思った。だが、不思議なことにただ一人の死者もなく、波に飲まれた人間は浜辺に打ち上げられていた。まるで海に拒絶されたかのように。
そして、ただ一人、老人だけが帰っては来なかった。
家族は悲しみに暮れ、老人を探そうと海にまで潜ったが、老人は家族の前に二度と姿を現すことはなかった。




