第3話「好き」
夏の陽射しが庭へ落ちていた。
潮風が吹く。
遠くで波音が聞こえる。
海は縁側へ座っていた。
手には麦茶。
冷たいグラスを両手で持ちながら、
庭を眺めている。
猫が歩いていく。
海は目を輝かせた。
「ナギ」
呼ばれる。
凪は振り返る。
「見て」
「見てる」
「猫」
「猫だな」
海は満足そうに頷いた。
最近こんな会話ばかりだった。
くだらない。
本当にくだらない。
けれど。
不思議と嫌じゃない。
海は何でも楽しそうだった。
空も。
花も。
猫も。
風も。
全部。
「ナギ」
また呼ばれる。
「今度は何だよ」
海は少し考えていた。
そして。
当たり前みたいに言った。
「好き」
凪は固まった。
「は?」
海は首を傾げる。
何が問題なのか分かっていない顔だった。
「好き」
もう一度言う。
凪の心臓が跳ねた。
「な、何が」
声が少し裏返る。
海は素直に答えた。
「ナギ」
沈黙。
波音だけが聞こえる。
凪は海を見る。
海も見ている。
真っ直ぐ。
本当に真っ直ぐ。
誤魔化しも。
照れも。
何もない。
だから困る。
「お前な……」
凪は額を押さえた。
海は不思議そうだった。
「だめ?」
「だめじゃない」
「ならいいよね」
よくない。
全然よくない。
凪は深く息を吐く。
海は嬉しそうに笑った。
その笑顔が余計によくない。
「好き」
また言った。
「だから軽々しく言うなって」
「軽くないよ」
即答だった。
凪は言葉に詰まる。
海は首を傾げる。
「ナギといるの好き」
波音が響く。
「話すの好き」
凪は黙る。
「ご飯食べるのも好き」
海は楽しそうだった。
「ギターも好き」
少し笑う。
「一緒にいるの好き」
凪は空を見上げた。
だめだ。
心臓がおかしい。
海何も知らない。
恋も。
好意の重さも。
言葉の意味も。
ただ思ったことを言っているだけ。
分かっている。
分かっているのに。
胸の奥が落ち着かない。
海は麦茶を飲む。
そして。
ふいに言った。
「ナギといると楽しい」
凪は目を閉じる。
だめだ。
本当にだめだ。
海は何も覚えていない。
ノアだった頃のことも。
夜の海も。
全部。
それなのに。
同じ顔で。
同じ声で。
同じことを言う。
反則だろ。
凪は小さく息を吐いた。
海は笑う。
夏の光の中で。
とても嬉しそうに。
その笑顔を見ていると。
胸の奥が少しだけ温かくなる。
どうしてだろう。
答えはまだ分からない。
波音が響く。
海は再び凪を見た。
そして。
当たり前みたいに言う。
「ナギ」
「ん?」
「好き」
凪は顔を覆った。
海は首を傾げていた。
何が問題なのか。
本当に分かっていないみたいだった。
夏の風が吹く。
波が揺れる。
その日。
海は何度も好きと言った。
そして。
凪はその度に困った。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




