第2話「秘密」
その日から。
凪は一つの秘密を抱えることになった。
波音が響く。
窓の外には夜の海が広がっている。
部屋の明かりは消えていた。
けれど。
凪は眠れなかった。
天井を見上げる。
何度考えても。
答えは同じだった。
海はノアだ。
間違いない。
あの歌。
あの声。
あの言葉。
全部同じだった。
忘れるはずがない。
忘れたことなんて一度もない。
凪は小さく息を吐く。
ノアはいた。
ちゃんといた。
夢じゃなかった。
幻でもなかった。
本当に。
また会えた。
それなのに。
胸は少しも軽くならない。
凪は目を閉じた。
海は覚えていない。
名前も。
夜の海も。
歌ったことも。
凪と出会ったことも。
何も。
全部。
失くしてしまったみたいに。
波音が聞こえる。
海の向こうから。
静かに。
絶え間なく。
凪はふと思う。
なぜ。
人間になったのだろう。
ノアは人魚だった。
月明かりの海を泳ぐ。
綺麗な人魚だった。
それが今は。
人間になっている。
しかも男だ。
意味が分からない。
考えれば考えるほど。
現実味がなくなる。
凪は苦笑した。
「人魚が人間になるなんて」
ぽつりと呟く。
誰も聞いていない。
「御伽話かよ」
返事はない。
波音だけが響いていた。
翌日。
海はいつも通りだった。
朝から庭を歩き回り。
猫を見つけて追いかけ。
花を見つけて立ち止まる。
楽しそうだった。
記憶喪失とは思えないくらい。
よく笑う。
「ナギ」
呼ばれる。
凪は振り返る。
海は手を振っていた。
「見て」
小さな貝殻を見せてくる。
子供みたいな顔だった。
「綺麗」
嬉しそうに笑う。
凪は思わず目を細める。
そして。
胸が少し痛くなる。
ノアだ。
間違いなく。
そう思うほど。
昔と同じだった。
けれど。
海は何も知らない。
だから。
凪も言わない。
言えなかった。
「ノアなんだろ」
そう聞いたところで。
海は困るだけだ。
「人魚だったんだろ」
そう言ったところで。
信じられるわけがない。
凪は全部飲み込む。
海を見る。
白金色の髪が風に揺れていた。
夏の光が落ちる。
波音が聞こえる。
海は笑う。
何も知らないまま。
何も覚えていないまま。
凪だけが知っている。
それが少しだけ寂しかった。
潮風が吹く。
海は貝殻を空へかざした。
光が透ける。
嬉しそうだった。
凪はその横顔を見る。
そして。
小さく目を伏せた。
この秘密は。
もう少しだけ。
自分の中へしまっておこうと思った。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




