第3話「波打ち際」
その日は少しだけ風が暖かかった。
昼間の陽射しも強くなってきている。
もうすぐ夏だった。
大学から帰ったあと。
凪は部屋の隅に置かれたギターケースを見た。
しばらく考える。
そして。
ゆっくりと持ち上げた。
夜の海で弾きたくなった。
理由は分からない。
ただ。
なんとなく。
そんな気分だった。
潮風が吹く。
凪は海沿いの道を歩いた。
波音が聞こえる。
遠くで船の灯りが揺れている。
空には月が浮かんでいた。
あの頃と同じ。
静かな夜だった。
岩場へ向かうのは久しぶりだった。
冬は寒かったし。
大学も忙しかった。
それに。
あの場所へ行くと。
どうしても思い出してしまう。
月明かり。
歌声。
白い髪。
ノア。
凪は小さく息を吐く。
もう会えないのかもしれない。
そう思えるようになった。
それでも。
忘れられない。
不思議な人だった。
いや。
人ではなかったのか。
凪は少し笑う。
本当にいたのだろうか。
今でも時々分からなくなる。
波音が響く。
やがて見慣れた岩場が見えてきた。
懐かしい景色だった。
月明かりが海へ落ちる。
静かな夜。
凪は足を止めた。
そして。
眉をひそめる。
何かが見えた。
岩の近く。
白いものが横たわっている。
流木だろうか。
いや。
違う。
形がおかしい。
人影だった。
凪の鼓動が跳ねる。
まさか。
こんな時間に。
こんな場所で。
ギターケースを肩から下ろし、
慌てて駆け寄る。
波が寄せては返す。
月明かりがその姿を照らしていた。
白い肌。
濡れた身体。
肩までの淡い髪。
息を呑む。
男だった。
しかも。
服を着ていない。
「えっ……」
思わず声が漏れる。
青年は動かない。
目も閉じたままだ。
凪は膝をつく。
恐る恐る肩へ触れる。
冷たい。
けれど。
微かに呼吸はあった。
生きている。
胸を撫で下ろす。
その時だった。
月明かりが青年の顔を照らす。
凪は思わず見入った。
綺麗だった。
人形みたいに。
幻想の中から現れたみたいに。
見たこともないほど整った顔立ち。
白金色の髪が波に揺れている。
どこか。
懐かしい気がした。
けれど。
誰なのかは分からない。
波音が響く。
青年は静かに眠っていた。
まるで。
海がここへ運んできたみたいに。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




