第1話「来ない」
夏の夜だった。
窓の外から、
波音が聞こえる。
凪はベッドへ寝転んだまま、
天井を見上げていた。
時計を見る。
いつもの時間。
少し前までなら。
今頃、
岩場へ向かっていた。
ギターを抱えて。
月明かりの海へ。
けれど。
最近は行っていない。
凪は目を閉じる。
ノアが来なくなってから。
夜の海へ行く理由がなくなった。
最初は数日だった。
何か用事でもあるのだろうと思った。
人魚にも、
人魚の都合があるのかもしれない。
そんなことを考えていた。
でも。
一週間が過ぎた。
二週間が過ぎた。
一か月が過ぎた。
それでも。
ノアは来なかった。
潮風がカーテンを揺らす。
窓の外には月が浮かんでいた。
あの日と同じ月。
静かな光が海へ落ちている。
凪はゆっくり起き上がる。
机の隅。
スマホ。
その横。
ギターのピック。
ノアが興味津々で触っていたことを思い出す。
『これなに?』
『ピック』
『ぴっく』
楽しそうに復唱していた。
思わず笑ってしまう。
そして。
すぐに笑えなくなる。
静かだった。
ノアがいないだけで。
こんなにも静かになるのかと思う。
会いたい。
その言葉は飲み込んだ。
代わりに。
窓の向こうの海を見る。
今頃どこにいるのだろう。
元気なのだろうか。
また会えるのだろうか。
分からない。
何も。
ただ。
夜になると考えてしまう。
波音が響く。
夏が終わろうとしていた。
空気が少しずつ変わる。
海の色も。
風の匂いも。
少しずつ。
それでも。
ノアだけは戻ってこない。
凪は窓から目を逸らした。
岩場へ行こうとは思わなかった。
行けば。
思い出してしまうから。
月明かりの海も。
歌声も。
名前を呼ぶ声も。
全部。
忘れられないまま。
季節だけが過ぎていく。
波音が響く。
その夜も。
ノアは来なかった。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




