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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第5章:「海の魔女」
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第7話「願い」

歌が聞こえる。


遠く。


海の底から。


ノアはひとり、

禁忌の海を泳いでいた。


崩れた石柱。


沈んだ神殿。


白い砂。


誰もいない世界。


海流さえ眠っているような静けさ。


それでも。


あの歌だけが響いている。


優しく。


寂しく。


懐かしく。


まるで海そのものの声のようだった。


ノアは立ち止まる。


胸が鳴る。


怖い。


少しだけ。


けれど。


引き返したくはなかった。


ざあ、と海が揺れる。


その瞬間。


歌が止んだ。


音が消える。


何も聞こえない。


何も見えない。


それなのに。


気配だけがあった。


光の届かない場所。


そこに誰かがいる。


見られている。


そんな感覚。


ノアはゆっくり前を見る。


暗い海。


けれど。


その奥に。


微かな光が揺れていた。


青でもない。


白でもない。


月明かりにも似た光。


ゆっくりと。


海の奥で揺れている。


その時だった。


声が聞こえた。


男とも。


女とも。


分からない声。


近くで囁かれたような。


遥か遠くから響いたような。


不思議な声だった。


「人魚よ」


ノアの肩が震える。


けれど。


逃げなかった。


声は続く。


「何を望む」


海が静まり返る。


魚も。


海流も。


時間さえ止まったようだった。


何を望む。


その問いだけが残る。


ノアは目を閉じた。


思い浮かぶ。


祭り。


提灯の灯り。


夜空の花火。


スマホの写真。


昼の海。


青空。


白い雲。


そして。


岩場で笑うナギ。


ギターの音。


優しい声。


『また明日』


胸が痛いほど温かくなる。


会いたい。


もっと一緒にいたい。


隣で笑いたい。


同じ景色を見たい。


その願いが。


胸の奥から溢れてくる。


ノアはゆっくり目を開いた。


暗い海の奥を見る。


そこにいる存在へ向かって。


小さく。


けれど確かな声で答える。


「ナギの隣にいたい」


沈黙が落ちる。


ノアは続ける。


「同じ景色を見たい」


「一緒に笑いたい」


声が震える。


けれど。


止まらない。


「もっと一緒にいたい」


それが。


ノアの願いだった。


人間になりたいからじゃない。


海を捨てたいからじゃない。


ただ。


ナギの隣にいたかった。


長い沈黙が続く。


やがて。


暗い海の奥で。


ふっと笑う気配がした。


優しいような。


恐ろしいような。


海そのものが微笑んだような感覚。


そして。


その声が言う。


「それが願いか」


どくり。


心臓が鳴る。


海流が揺れる。


遠い海の底で。


再び歌が響き始める。


静かで。


美しくて。


どこか悲しい歌だった。


ノアは知らない。


その願いが。


どれほど大きな代償へ繋がるのか。


けれど。


もう迷いはなかった。


胸の奥には。


ただひとつ。


ナギの笑顔だけが残っていた。


海の底で。


歌が揺れている。


まるで。


新しい物語の始まりを祝うように。


――いや。


その歌は少しずつ変わっていた。


優しい旋律の奥に。


誰かのすすり泣くような音が混じる。


静かな海のどこかで。


巨大な何かが目を覚ましたような震えが広がる。


暗闇のさらに奥で。


あの月明かりのような光が。


ゆっくりと。


こちらを見返すように脈打った。


そして歌は。


まるで誰かの運命を告げるように。


低く。


不吉に響き続けていた。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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