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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第5章:「海の魔女」
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第6話「海の魔女」

恋だった。


その言葉は。


思ったよりずっと重かった。


深海の神殿へ戻っても。


歌を聞いても。


眠ろうとしても。


胸の奥で静かに揺れている。


ナギが好き。


その事実だけが。


消えない。


ノアはひとり、

神殿の回廊を泳いでいた。


白い石柱。


青い海流。


見慣れた景色。


けれど。


今日はどこか息苦しい。


好きになったからだろうか。


それとも。


願いが大きくなってしまったからだろうか。


隣にいたい。


会いたい。


同じ景色を見たい。


その気持ちは。


もう止められそうになかった。


ざあ、と海流が揺れる。


その時。


ふと。


昔聞いた噂を思い出した。


深海のさらに奥。


誰も近付かない海。


古い歌にだけ残る場所。


海の魔女。


願いを叶える存在。


代わりに何かを奪う存在。


ノアは立ち止まる。


胸が鳴る。


どくり。


どくり。


静かな海の中で。


自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。


「……少しだけ」


誰にも聞こえない声。


「見るだけ」


そう呟いて。


ノアは泳ぎ出した。


神殿を離れる。


白い回廊を抜ける。


人魚たちの歌声が遠ざかる。


やがて。


景色が変わり始めた。


光が減る。


海流が冷たくなる。


魚の姿も少なくなる。


深海は静かだ。


けれど。


ここは違った。


静かすぎる。


まるで。


海そのものが息を潜めているみたいだった。


ノアは泳ぎ続ける。


古い石柱が見える。


崩れた神殿。


半分だけ埋もれた巨大な門。


誰もいない。


何百年も。


誰も触れていないような景色。


それでも。


不思議と恐ろしくはなかった。


むしろ。


どこか懐かしい。


海が生まれる前から、

そこにあったような。


そんな感覚。


ざあ、と海流が揺れる。


その瞬間だった。


歌が聞こえた気がした。


ノアは顔を上げる。


誰もいない。


魚もいない。


人魚もいない。


それなのに。


確かに聞こえた。


遠く。


ずっと遠く。


眠るような旋律。


子守歌にも似ている。


祈りにも似ている。


けれど。


どちらとも違う。


胸の奥へ直接触れるような歌だった。


ノアは息を呑む。


知らない歌。


なのに。


なぜか涙が出そうになる。


寂しい。


温かい。


懐かしい。


感情が混ざる。


不思議な歌だった。


やがて。


海流がゆっくり渦を描く。


暗い海の奥。


遥か先。


何かがいる気がした。


姿は見えない。


輪郭も分からない。


けれど。


確かに。


何かがこちらを見ている。


そんな気配。


どくり。


心臓が鳴る。


怖い。


少しだけ。


本当に少しだけ。


けれど。


目を逸らせない。


ナギの顔が浮かぶ。


花火。


昼の海。


写真。


名前を呼ぶ声。


隣にいたい。


その願いが。


胸の奥で静かに脈打つ。


すると。


どこからともなく。


また歌が聞こえた。


今度は少しだけ近く。


まるで。


海そのものが笑ったみたいに。


ノアは知らない。


その歌の意味を。


その気配の正体を。


けれど。


確かに感じていた。


深海のさらに奥。


誰も近付かない禁忌の海。


その先に。


何かがいる。


願いを聞く存在が。


静かに目を覚まし始めていることを。


遠い海の底で。


歌だけが揺れていた。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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