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夜凪に溶ける  作者: 深幸-みさき-
第5章:「海の魔女」
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第3話「もしも人間なら」

月の光が海へ落ちている。


深海から見れば、

海面近くは明るすぎる場所だった。


ノアはひとり、

浅い海流の中を泳いでいた。


最近よく来る場所だ。


ここへ来れば、

月が見える。


ナギが見ている空に、

少しだけ近付ける気がした。


ざあ、と波が揺れる。


海面の向こうには、

島の灯りが見えていた。


小さな光。


けれど。


ノアはその灯りが好きだった。


「また来ていたのか」


低い声が響く。


振り返る。


レヴィだった。


長い青銀の髪が海流に揺れる。


深海色の瞳。


相変わらず静かな顔だった。


「お兄様」


ノアは少し笑う。


レヴィは隣まで来ると、

海面の向こうを見上げた。


何も言わない。


けれど。


最近のノアが何を見ているのか、

きっと知っている。


そんな気がした。


しばらく沈黙が続く。


波音だけが聞こえる。


ノアは海面を見上げたまま、

ぽつりと呟く。


「ねぇ、お兄様」


「なんだ」


「もしも」


少しだけ迷う。


自分でも変な話だと思った。


けれど。


胸の奥にある気持ちが、

勝手に言葉になる。


「人間になれたらな」


その瞬間だった。


海流が止まった気がした。


ノアは目を瞬く。


隣を見る。


レヴィが動かない。


まるで時間ごと凍り付いたみたいに。


深海色の瞳だけが、

真っ直ぐノアを見ていた。


ノアは少し困惑する。


「お兄様?」


返事がない。


静かな海。


月の光。


その中で。


レヴィだけが異様だった。


やがて。


低い声が落ちる。


「今、何と言った」


ノアは少し首を傾げた。


「だから」


「人間になれたら――」


「二度と口にするな」


鋭い声だった。


ノアは息を呑む。


レヴィがこんな声を出すのを、

ほとんど聞いたことがない。


深海の王族らしい静けさも。


余裕も。


今はなかった。


「お、お兄様……?」


レヴィは何も言わない。


ただ。


強く目を伏せる。


まるで。


聞きたくないものを聞いてしまったみたいに。


ノアは戸惑う。


そんなにおかしなことを言っただろうか。


ただ。


少し思っただけだ。


ナギの隣で花火を見たい。


昼の海を見たい。


同じ場所を歩いてみたい。


それだけなのに。


長い沈黙が落ちる。


やがて。


レヴィが静かに口を開いた。


「その願いは」


低い声だった。


けれど。


どこか苦しそうだった。


「叶えようとするな」


ノアは瞬きをする。


「願い?」


レヴィは答えない。


ただ海面を見上げている。


月の光が揺れる。


その横顔は。


今まで見たことがないほど硬かった。


「お兄様」


呼んでも。


返事はない。


しばらくして。


レヴィはゆっくり背を向けた。


長い尾ひれが海流を揺らす。


「忘れろ」


それだけ言う。


静かな声だった。


けれど。


それ以上聞くなと告げるような声だった。


ノアはその背中を見送る。


どうして。


そこまで嫌そうな顔をするのだろう。


どうして。


そんなに苦しそうなのだろう。


分からない。


何も分からない。


ただひとつ。


レヴィが口にした言葉だけが、

胸に残った。


――願い。


ざあ、と波が揺れる。


ノアは海面を見上げた。


遠い月。


遠い陸。


遠いナギ。


胸の奥が少し痛む。


そして。


その痛みは。


忘れろと言われたはずなのに。


少しずつ大きくなっていく気がした。

ご覧いただきありがとうございます。

『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『深海に溺れる』

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