第6話「隣」
祭りの日だった。
夜の海はいつもより明るい。
港から伸びる灯りが、
波の上で揺れている。
遠くから、
人々の賑やかな声も聞こえてきた。
「すごい」
ノアが目を輝かせる。
波打ち際から、
じっと港を見つめていた。
「人がいっぱい」
「祭りだからな」
凪は笑う。
ノアは本当に楽しそうだった。
見たこともない世界を、
ひとつひとつ眺めている。
その姿を見ているだけで、
凪も少し嬉しくなる。
「花火はまだ?」
「もう少し後」
「早く見たい」
即答だった。
凪は思わず笑ってしまう。
「子供みたい」
「そうかな?」
「そうだよ」
ノアは納得していない顔をする。
そんなやり取りが、
妙に心地良かった。
ざあ、と波が寄せる。
潮風が吹く。
遠くでは祭囃子が聞こえていた。
ノアはしばらく港を見つめていたが、
ふと呟く。
「楽しそうだね」
その声に。
凪は少しだけ胸が痛くなった。
ノアは笑っている。
羨ましいとも、
寂しいとも言わない。
ただ静かに見ているだけだ。
けれど。
本当は行きたいのだろう。
屋台も。
祭りも。
人間の世界も。
全部。
凪は港を見る。
それから、
隣のノアを見る。
月明かりの中。
白金の髪が揺れていた。
綺麗だと思う。
こんなに近くにいるのに。
一緒には行けない。
その事実が、
妙に寂しかった。
だから。
本当に何気なく。
思ったことをそのまま口にした。
「一緒に祭り行けたらいいのにな」
言った瞬間。
ノアが動きを止めた。
凪は気付かない。
ただ海を見ていた。
「花火も近くで見れるし」
「屋台もあるし」
「ノア、
絶対楽しむだろ」
少し笑いながら言う。
本当にただの独り言だった。
叶わないと分かっている。
だからこそ。
深い意味なんてなかった。
けれど。
ノアにとっては違った。
一緒に。
祭りへ行く。
隣で花火を見る。
同じ場所を歩く。
その言葉が。
胸の奥へ静かに落ちていく。
どくり。
心臓が鳴る。
ノアは港を見る。
灯りが揺れている。
楽しそうな声が聞こえる。
その中に。
自分はいない。
夜しか会えない。
海から出られない。
人間の世界へ行けない。
今までは、
それで良かった。
ナギに会えるだけで幸せだった。
名前を呼んでもらえるだけで嬉しかった。
でも。
もし。
本当に。
隣へ行けたなら。
もっと一緒にいられるのだろうか。
昼の海も見られるだろうか。
写真にも残れるのだろうか。
同じ景色を見られるのだろうか。
「ノア?」
凪の声がする。
ノアははっと顔を上げた。
「どうした?」
心配そうな顔。
優しい声。
胸の奥が温かくなる。
ああ。
そうだ。
欲しいのは。
祭りじゃない。
人間になることでもない。
ただ。
ナギの隣にいたい。
一緒に笑いたい。
同じ景色を見たい。
それだけだった。
「……ううん」
ノアは小さく笑う。
「なんでもない」
凪も笑う。
その笑顔を見ながら。
ノアはそっと海面を見つめた。
月の光が揺れている。
遠い海面。
遠い陸。
遠い世界。
今まで気付かなかった距離。
けれど。
初めて思った。
――人間になれたら。
その願いはまだ小さい。
誰にも聞こえないほど小さい。
けれど確かに。
ノアの胸の中で生まれていた。
静かな波音が響く。
そして夜空に。
一輪目の花火が咲いた。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




