第5話「もしも」
祭りの日が近付いていた。
港の方では、
夕方になると提灯に灯りが点き始める。
夜の海からでも見えるほどだった。
「綺麗」
ノアがぽつりと呟く。
遠くの灯りを見つめながら、
尾ひれを静かに揺らした。
凪は隣でギターを鳴らす。
ぽろん、と優しい音。
波音へ溶けていく。
「祭りって、
何日あるの?」
「二日」
「二日も?」
「そんな驚くことか?」
ノアは素直に頷いた。
「だって人間、
お祭り好きなんだね」
凪は少し笑う。
確かにそうかもしれない。
毎年当たり前のようにやっているから、
考えたこともなかった。
ノアは港の灯りを見つめたまま、
静かに言う。
「花火もあるんだよね」
「ある」
「浴衣も着るんだよね」
「着る人もいる」
「屋台もいっぱい」
「いっぱい」
ひとつ答えるたび。
ノアは少し嬉しそうで。
少し寂しそうだった。
凪はそれに気付く。
けれど、
何を言えばいいのか分からない。
海と陸。
その距離は、
どうしても埋まらないから。
しばらく沈黙が続く。
波音だけが響く。
その時。
ノアがぽつりと呟いた。
「……いいなぁ」
凪が顔を上げる。
ノアは海面へ腕を乗せたまま、
遠くの灯りを見ていた。
「私も行ってみたい」
静かな声だった。
「祭り」
凪の胸が少しだけ痛む。
「ノアなら好きそうだけどな」
「うん」
即答だった。
その答えに、
思わず笑ってしまう。
ノアもつられて笑った。
それから。
本当に何気なく。
まるで独り言みたいに。
「私が人間だったらなぁ」
その言葉が落ちる。
凪の指が止まる。
ギターの音が途切れた。
波音だけが残る。
ノアは気付いていない。
ただ灯りを見ている。
「そしたら」
小さく続ける。
「花火も見られるし」
「昼の海も見られるし」
「写真も残るんだよね」
月明かりが、
白金の髪を照らしていた。
凪は何も言えない。
人間だったら。
その言葉が妙に胸に残る。
ノアは少し笑った。
「変な話だね」
「……別に」
凪は小さく首を振る。
変じゃない。
そう思った。
もし本当に。
ノアが人間だったら。
一緒に祭りへ行ける。
昼の海を見せられる。
同じ場所を歩ける。
そんなことを想像してしまう。
「ナギ?」
不思議そうな声。
凪は慌てて視線を逸らした。
「なんでもない」
「変なの」
ノアがくすりと笑う。
その笑顔を見ていると。
本当に。
そんな日があったらいいのにと思ってしまう。
叶うはずもないのに。
波音が響く。
遠くで祭りの準備の音が聞こえる。
ノアは灯りを見つめていた。
その瞳は、
少しだけ憧れるような色をしていた。
まだ。
それは願いではない。
ただのもしも。
小さな憧れ。
けれど。
その想いは少しずつ。
確かに大きくなり始めていた。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




