第4話「触れられない」
その夜。
海は穏やかだった。
波打ち際へ月の光が落ちている。
凪は岩場ではなく、
砂浜へ腰を下ろしていた。
ギターは持ってきていない。
ただ、
何となく海を見たかった。
「ナギ」
聞き慣れた声。
振り向くと、
ノアが浅い波の中から顔を出していた。
白金の髪が月光を受けて輝いている。
凪は少し笑った。
「今日は早いな」
「私の方が先だったよ」
「そうなのか」
ノアは嬉しそうに笑う。
最近。
こうして他愛もない話をする時間が増えた。
歌だけじゃない。
人間の話。
海の話。
くだらない話。
気付けば、
何時間も一緒にいる。
それが当たり前になっていた。
ざあ、と波が寄せる。
ノアは少し前へ出た。
尾ひれが月明かりを反射する。
「今日はギターないんだね」
「たまには」
「そうなんだ」
静かな会話。
心地良い沈黙。
波音だけが響いている。
その時。
ノアが不意に海面を見上げた。
「月、綺麗」
凪も空を見る。
満月だった。
白い光が海へ落ちている。
「うん」
そう答える。
ノアは月を見る。
凪はノアを見る。
それだけで、
胸の奥が少し騒がしくなる。
最近。
ノアが近い。
いや。
物理的な距離じゃない。
もっと別の何かだ。
名前を呼ばれるだけで嬉しい。
笑われると安心する。
会えない日は少し寂しい。
そんな自分に気付いている。
でも。
まだ認めたくなかった。
「ナギ」
呼ばれる。
凪が顔を上げる。
ノアは少し不思議そうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「何が」
「最近、
時々ぼーっとしてる」
凪は思わず目を逸らした。
原因はお前だ。
とは言えない。
「別に」
「変なの」
ノアはくすりと笑った。
その笑顔が反則だった。
凪は誤魔化すように海を見る。
その時。
波が少し強く寄せた。
ノアの身体が揺れる。
反射的に。
凪は手を伸ばしていた。
「ノア」
ノアも驚いたように目を見開く。
伸ばした手。
伸ばされた手。
ほんの少しだけ。
互いへ向かう。
けれど。
届かない。
凪は陸。
ノアは海。
その間には、
浅い波が揺れている。
指先は近い。
近いのに。
触れられない。
ざあ、と波が引く。
凪はゆっくり手を下ろした。
ノアも同じだった。
静かな沈黙が落ちる。
どちらも何も言わない。
けれど。
胸の奥だけが妙にうるさい。
ノアは自分の手を見る。
それから凪を見る。
少しだけ寂しそうな顔だった。
「近いのにね」
ぽつりと呟く。
凪の胸が痛む。
近い。
本当に近い。
毎日会っている。
名前も呼ぶ。
歌も重ねる。
それなのに。
海と陸の境界だけが、
どうしても消えない。
「……そうだな」
小さく答える。
波音が響く。
月の光が揺れる。
ノアは再び海を見る。
凪も同じ方向を見る。
並んでいるはずなのに。
ほんの少しだけ遠い。
その距離が。
今夜は妙に切なく感じられた。
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『夜凪に溶ける』は、毎日【23:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
深く、静かに沈んでいく、透明感あふれる恋の余韻をぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『深海に溺れる』




